第3話:山の影、ダンジョンの口へ
山頂に残された家族たちへ、レオンは短く、しかし揺るぎない声音で告げた。
「探しに行く。必ず連れ戻す」
その言葉は、山の静けさを切り裂くように響いた。
彼は迷いなく踵を返し、山道へと歩み出す。
その背中には、いつもの柔らかさではなく、戦士としての鋭さが宿っていた。
美咲は涙をこらえ、震える息を整えながらその背中を追う。
胸の奥で何かが軋むように痛む。
朔弥の名前を思い浮かべるだけで、視界が滲んだ。
大人たちは不安を隠しきれない表情で見送るしかない。
雫は泣きそうな顔で美咲の袖を掴んだ。
その小さな手の震えが、美咲の胸をさらに締め付ける。
美咲はしゃがみ込み、雫をそっと抱きしめた。
「大丈夫……絶対に連れて帰るから」
その声は震えていたが、確かな意志が宿っていた。
雫の頭を優しく撫で、立ち上がると、レオンの背中を追って山頂を後にした。
山道に入ると、周囲の喧騒が嘘のように静まり返った。
鳥の声も遠く、風の音だけが耳に触れる。
その静けさが、かえって美咲の不安を増幅させる。
耐えきれず、美咲はレオンの袖を掴んだ。
その指先は細かく震えていた。
「レオンくん……朔弥くん、本当に……どこにいるの……?」
声はかすれ、今にも泣き出しそうだった。
朔弥の名前を口にした瞬間、胸の奥がぎゅっと痛む。
涙が滲み、視界が揺れる。
レオンは足を止め、静かに目を閉じた。
深く息を吸い込み、気配感知をもう一度発動する。
周囲の魔力の流れを読み取り、空気の揺らぎを探る。
……しかし。
「……いない。完全に気配が途切れている」
その一言で、美咲の顔から血の気が引いた。
足元がふらつき、思わずレオンの腕に手を添える。
「そんな……朔弥くんが……?」
レオンは目を開き、美咲の瞳をまっすぐに見つめた。
その眼差しは真剣で、嘘偽りのないものだった。
「気配が無い、という事は──二人はこの世界の空間にいないという事だ」
美咲は息を呑む。
胸の奥が締め付けられ、呼吸が浅くなる。
「……どういう……こと……?」
レオンは短く息を吐き、静かに告げた。
「つまり──ダンジョンの内部にいる可能性が高い」
その言葉は、美咲の心に鋭く突き刺さった。
朔弥の笑顔が脳裏に浮かび、涙がこぼれそうになる。
「行く……私も行く……! 朔弥くんを……助けたい……!」
震えながらも、必死に絞り出した声。
その想いは痛いほど真っ直ぐだった。
レオンはその瞳を見つめ、静かに頷いた。
「美咲、俺がお前を守る。ついて来い」
その言葉に、美咲の胸が少しだけ温かくなる。
だが、足の震えは止まらなかった。
急斜面の山道を、この速度で下るのは到底無理だ。
美咲の足は震え、地面を踏むたびに不安定に揺れる。
レオンは一瞬だけ周囲を見渡し、判断した。
「……美咲、掴まっていろ」
「え……?」
次の瞬間、美咲の身体がふわりと浮いた。
レオンが、お姫様抱っこで抱き上げたのだ。
「ちょっ……レオンくん!? こ、こんなの……!」
「しゃべると危ない。気にするな」
「気にするよ……!」
顔が一瞬で熱くなる。
胸の鼓動が早まり、耳の奥で自分の心音が響く。
けれど──
朔弥のところへ早く行きたい。
その想いが、恥ずかしさを押し流していく。
レオンは地面を蹴った。
風が鋭く吹き抜け、美咲の髪が後ろへ流れる。
木々が視界の端で線のように流れ、景色が一瞬で遠ざかる。
「速っ……! こんな……!」
「まだ抑えている。しっかり掴まっていろ」
美咲は必死にレオンの胸にしがみついた。
その腕の中は驚くほど安定していて、恐怖よりも安心が勝っていた。
(朔弥くん……どうか無事で……)
胸の奥で、ただその願いだけが強く響いていた。
フェンス。
監視カメラ。
「立入禁止」の看板。
朔弥が見つけた抜け道が、そこにあった。
レオンはフェンスを軽々と持ち上げ、美咲を通す。
その動作は無駄がなく、迷いもない。
「……ありがとう」
「礼は後でいい」
短い言葉のやり取りの中にも、緊張が滲んでいた。
二人はそのまま山の奥へと進んでいく。
山の岩肌に、ぽっかりと開いた黒い穴。
冷たい空気が流れ出し、魔力の揺らぎが肌を刺す。
まるで異世界への口が開いているようだった。
美咲は息を呑んだ。
「ここが……ダンジョン……」
レオンは手をかざし、ストレージを開く。
淡い光が揺らぎ、純白のローブ、白木の杖、聖紋のブーツが姿を現した。
美咲の装備──聖紋装束。
レオンは静かに言う。
「美咲。預かっていたものを返す」
美咲は震える手でそれを受け取った。
指先が触れた瞬間、胸の奥に覚悟が灯る。
「……ありがとう……レオンくん」
ローブを羽織り、ブーツを履き、杖を握る。
その動作一つひとつに、決意が宿っていくのが自分でも分かった。
装備を整えた美咲は顔を上げる。
その瞳には、もう迷いはなかった。
「行こう……朔弥くんを助けたい」
レオンは短く頷く。
「美咲、お前がいてくれて心強い」
その言葉に、美咲の胸が一瞬だけ熱くなる。
だが、今は立ち止まっている暇はない。
ひんやりとした空気が肌を撫でる。
足音が反響し、薄暗い通路が奥へと続いている。
壁に刻まれた古い紋様が、淡い光に照らされて揺れていた。
レオンは気配感知を広げた。
眉がわずかに動く。
「……二人の気配、微かに感じる」
美咲の目に涙が浮かぶ。
「ほんとに……?」
「ああ。まだ生きている」
美咲は胸に手を当て、震える声で言った。
「よかった……朔弥くん……!」
その声には、安堵と切なさが入り混じっていた。
レオンは聖剣を抜き、静かに構えた。
その背中には、勇者としての覚悟が宿っていた。
「急ぐぞ、美咲。──ここから先は、戦場だ」
二人は闇の奥へと踏み込んでいった。




