第24話、YAMATO NADESHIKO 26050407
令和二年四月七日。
広島県呉市上長迫町、長迫公園。
旧海軍墓地、『戦艦大和戦死者の碑』前。
「……今年は随分と寂しい、『慰霊日』になってしまったな」
それは別に、去年まで一緒に参加していた、同期の悪友が、とうとう『鬼籍』に入ってしまったからだけでは無い。
昨今、世界中を騒がせている、例の『伝染病』のために、毎年盛大に行われている、大和の乗組員たちの慰霊式典が、本年に限り取りやめになったのだ。
そのため、私のようなかつての大和の関係者を始め、昔かたぎの軍艦愛好者に、最近とみに増えてきた『某艦隊美少女ゲーム』のプレイヤーである自称『提督』等々の諸君は、それぞれ個々人や同好の士のみの少人数での、参拝となってしまっていた。
……まあ、こっちのほうが、落ち着いて昔を懐かしむことができて、いいかも知れんがな。
空を見上げれば、下界の騒ぎが嘘のように、春真っ盛りのさわやかな青空のてっぺんで、太陽がうららかに光を放っていた。
──平和、だ。
何だか、この場だけが、世界から切り離されているようにも、思えた。
『あの時』の私たちはまさしく、平和とは対極の状況にあったというのに。
──75年前の今日この日、私たちは確かに、この世の『地獄』を見た。
そっと目を閉じるだけで、ありありと甦る、過ぎし日の光景。
──空を飛び交う、無数の敵機。
──次々と被弾していく、我らが大和の、巨大な船体。
──燃え盛る、大海原。
──そして、次々に命果てていく、仲間たち。
……結局、最も新兵だった当時の同期の中で生き残っているのは、もう私だけになってしまったな。
まさか、一番役立たずの調理見習いに過ぎなかった私が、こうしておめおめと、生き恥をさらすなんて。
きっと私なんかよりも、戦後の復興の役に立ったであろう方々は、あの日大和と、運命を共になされというのに。
どうせならこの私も、連れて行ってくだされば、良かったのに。
ふふふ、料理長殿があんなにも厳しく仕込んでくださったというのに、最後まで要領が悪く物覚えが悪かった私に、すっかり愛想をつかれてしまったのかも知れないな。
本当に、寂しいものだ。『置いて行かれる』ばかりの、人生なんて。
……だが、それももう、終わりだ。
わずか十代半ばというのに、終戦間際に軍属として、大和の厨房に配属されて以来、すでに八十年近く過ぎ、自分自身もすでに齢九十を超えた。
おそらくは、今回の流行病を無事に乗り越えることなぞできず、しかもこの高齢だと、一度感染してしまえば、助かる可能性は万に一つも無いだろう。
ついに私の『悪運』も、尽きてしまうというわけだ。
……一体、私の人生とは、何だったのだろうな。
そのような悔恨まじりのため息を、我知らずに唇から漏らした、その刹那。
突然の突風に、桜吹雪が湧き起こり、視界が完全に塞がれてしまった。
「──っ」
風が収まった後で、ふと気がつけば、ほんの近くに見覚えの無い幼い少女が、一人ぽつんとたたずんでいた。
十歳ほどの小柄で華奢な肢体を包み込む、あたかも喪服のような漆黒のシンプルなワンピースを始め、艶やかな烏の濡れ羽色の長い髪の毛に縁取られた、日本人形そのものの端整なる小顔の中で煌めいている、黒水晶の瞳に至るまで、すべて黒一色に統一されていることがむしろ、彼女の素肌の初雪のごとき純白さを、神秘的なまでに強調していた。
そんな天使か妖精かといった感じの、大げさに言えば『この世のものとも思われない』ような絶世の美少女が、何の感情も窺えない顔つきで、大昔の軍艦の慰霊碑を一心に見つめている姿は、あまりにも異様に見えた。
……大和に興味があるにしては、あまりにも幼すぎるし、どうしてこんなところにこんな年端のいかない女の子が、独りっきりでいるのだろう。
そのような疑問に駆られるあまり、心配半分興味半分で、私は思わず声をかけてしまった。
「お嬢ちゃん、どうしたんだい? 親御さんと、はぐれしまったのかな?」
そんな私の問いかけに対して、ゆっくりと振り返る、周囲の桜にも負けない、『華の顔』。
あたかも、こちらの心の奥底まで見透かすかのような、深遠なる黒の瞳。
そしておもむろに開かれた、鮮血のごとき深紅の唇から飛び出してきたのは、思いがけない言葉であった。
「──いいえ、ここには、あなたに会いに来たの」
…………は?
な、何だって?
ついまじまじと彼女の顔を見つめ直してみたものの、やはり見覚えは無かった。
──いや。
この年に似合わぬ、泰然自若としたたたずまいには、なぜだか『懐かしさ』すらも覚えるのだが、なぜなのだろうか?
「……私に会いに来たって、何かの間違いじゃ無いのかね?」
「いいえ、どうしてもあなたに聞きたいことがあって、今日ここに来たの」
「私に、聞きたいこと?」
「大和が沈没した後で、乗組員の皆さんが、どうなったのか、知りたいの」
「──っ」
──ドウシテ、ワタシニ、ソンナコトヲ、キクノダ?
「ねえ、教えて、欲しいの」
──ヤメロ!
「当時、沈没した大和から、海に投げ出された生存者たちを、救助に向かった軍艦のうち」
──ヤメテクレ!
「駆逐艦『初霜』について、なんだけど」
──モウソノハナシハ、キキタクナイ!
「我先に殺到する大和の乗組員に対して、このままでは重量オーバーとなり、初霜自体が沈没の危機に瀕しかねないために、救助に当たっていた下士官の一人が、軍刀によって、船体の船縁を掴んでいた手を、次々に斬り捨てたと言うのは、本当なの?」
「──やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
咄嗟に左腕を握りしめながら、私は叫んだ。
──そう、二度と動くことの無い、古びた義手を。
「これは、違う、違うんだ! これはあくまでも敵機の爆撃によって、船体の破片が突き刺さったためのものだ! 救助してくれた艦艇では、むしろ手厚く手当てをしてもらい、一命を取り留めたくらいなんだ! そもそも我ら大和の乗組員を救ってくれたのは、主に冬月と、私が収容された雪風であり、初霜のほうは主に、浜風や矢作の乗組員の救助に当たっていたのだ。それに何より、ちっぽけな少人数用の手漕ぎのボートでもあるまいし、最も小型な駆逐艦も含む軍艦の甲板に、海に浮かんだ者の手が届くはずが無く、ほとんどの者たちはロープ等を使って救助されたのであり、例の恥知らずの『偽書』に描かれているように、『船縁を握りしめている手を、軍刀で斬って捨てた』なんてことが、実際にできるはずがないのだ! ──それなのに、ああ、それなのに、あの『懺悔派』の売国奴の生存兵どもが、運悪く腕を無くした私を、自分たちの『捏造自虐史観』の生き証人に仕立て上げやがって! いくら私自身が否定しようと、GHQの情報操作のもと、マスゴミどもが面白おかしく書き立てて、世間を盛大に煽って、最近になっても外国製のパクリ艦隊美少女ゲームの中で、国辱的なエピソードとしてでっち上げられるという始末! 何かと言えば、『日本sage』ばかりしやがる、国賊どもが! 今回の『大陸風ウィルス』騒動も、そうだ! 今こそイデオロギーすらも超えて挙国一致体制を打ち立てて、未曾有の国難を乗り越えるべき時だというのに、無駄な政権批判をしたり、根も葉もないデマやあえて悲観的な意見ばかりを蔓延させて、日本を破滅の道へと陥れようとするとは! 別に大国にならなくてもいい、戦争に勝たなくてもいい、今更むやみやたらと経済成長を目指さなくてもいい、ただ国民一人一人が健やかに平和に暮らしていければいいのであり、戦後の日本政府は、それをちゃんと実現してきてくれた。この世界にどれだけ、貧困にあえぐ国や、独裁政治で苦しめられている国が、あるとでも思っているのだ? 今回のウィルス騒動も、同じだ。政府に対する文句をいくら言っても、事態は少しも好転しないのだぞ? 日本は『民主』国家なのだ。一人一人が主権者なのだ。どんなに危険極まる伝染病であろうとも、国民全員が、自分自身や自分の身近の者だけでも守ろうと全力を尽くせば、必ずや危機を乗り越えて、国家そのものを救うことができるのだ! 少なくとも、私は信じている。きっと日本は、この危機を見事乗り越えることを!」
「──よくぞ、申されました」
え?
興奮のあまり長々と続いていた、私の台詞がようやく途絶えるとともに、すかさず差し込まれる、涼やかなる声音。
しかしそれは、目の前の黒ずくめの少女のものでは、無かったのだ。
「……初霜?」
「お迎えに上がりました、ナデシコ殿」
自分よりも随分と年下の少女に向かって、畏まり一礼する、年の頃十五、六歳ほどの、抜き身の日本刀を彷彿させる、凜とした佇まいの少女。
なっ、初霜、だと?
それに、ナデシコ、って……。
あまりの予想外の事態に、私が言葉を失って呆気にとられていると、まさにそのナデシコと呼ばれたほうの少女が、再び厳かに言葉を発した。
「沖田調理補佐、貴殿が作ったまかない料理は、佐渡料理長殿が、よく褒めておられましたよ?」
──‼
「ど、どうして、私の名前を⁉」
その瞬間、
再び風に煽られた桜吹雪が、辺り一面を覆い尽くし、
再び視界を取り戻した時には、二人の少女たちの姿は、どこにも無かったのだ。
──そして、この日の夕刻、ついに大陸風ウィルスに対する、非常事態宣言が、政府によって発令されたのであった。
しかし、もはや私は、おめおめと死ぬつもりなぞ、微塵も無くなっていた。
そうだ、今こそ私は、『大和の真実』を──すなわち、かつて日本人が、どんなに勇敢に戦ったかを、人々にあまねく知らせることによって、再びすべての日本人の心を一つにまとめて、現下の世界的危機を乗り越えるために、全力を尽くしていこうと誓ったのであった。




