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虐げられた私の身代わり婚約、そして見つけた幸せ  作者: 柚木(ゆき)ゆきこ@書籍発売中


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34、囮

 風が優しく頬を撫でた。不思議と心が静かだ。

 公爵様へ囮になると宣言してから、私はガゼボで本を読み耽っていた。かの伯爵の様子であれば、今日もまたこの屋敷へ来るだろうと考えて。

 今日の読書のお供は魔法書である。王国の魔法書ではなく、帝国で作られている魔法書ではあるが。


 ページをめくっていると、遠くから門の開く音が聞こえる。近づいてくる足音は一人分。娘のエルシーはいないのだろう。

 テーブルの前で足音が止まる。私が顔を上げると、そこにいたのは満面の笑みの伯爵だった。私は言葉を発することなく、軽く頭を下げる。

 すると、歓迎されていると考えたのか、伯爵は私に話しかけてきた。


「お嬢様、以前のお話、考えていただけましたでしょうか?」

 

 彼は楽しそうにニマニマと笑う。まるで私の答えは決まっている、と言わんばかりに。

 周囲に私の行動を見られないよう小さく頷けば、やはり予想通りの答えだったのだろう。更に上機嫌になったのか、口角が上がりっぱなしだ。


「そうでしたか。では、私の手の者からまた連絡を差し上げます。まずはこれを――」


 机の上へとそっと置かれる紙。私は立ち上がって、紙を受け取る。どうやら今後のやり取りの仕方が書かれているようだ。

 一度目を通してから、私は元の位置に戻す。口角が上がりそうになるのを堪えつつ、無表情を取り繕っている私を見て、伯爵は満足げだ。

 

 彼は紙を回収した後、軽い足取りで背を向けて帰っていった。




『ねえ、赤い花が欲しいわ』

 

 伯爵との対面後……数日。

 マルセナとリーナが仕事で席を外している間、入ってきたメイドに私は筆談で伝えた。彼女は伯爵家の手の者であると事前に伯爵から伝えられているメイド。

 ここ数日は、誰が伯爵家の手の者なのかを確認したのだけれど……彼女も含めて三名はいるようだ。


 ちなみに赤い花は合言葉である。

 

 赤い花を私が欲しがる時は、暗に伯爵家へと手紙を届けて欲しいという意味なのだ。この意図を知らない者は首を傾げながらも、花瓶に生けてくれる。

 赤い花の意味を知っている者は、私の近くへと来て手紙を受け取るのだ。

 

 誰が伯爵の手の者なのか分からない時は、一日中緊張で張り詰めていた。決意したとはいえ、気を緩めることができないのは大変だ。

 幸い、私のところに来るメイドや執事は決まっているので、数日で結果が出たのはありがたい。

 

 私は窓のそばで風を感じつつ、いつものように本をめくっていた。

 そんな時、生けてくれた花が目に入る。


 まるでドレスのフリルのような花びらに、赤ワインのように濃い赤色……花を生けてくれたメイドはスイートピーと言っていたような。

 窓の側に置かれた花瓶は、風に乗って時折ほのかな香りが鼻をくすぐる。


 ――それが私の心を癒してくれた。


 

***


「あら、お父様。お手紙ですか?」


 エルシーは食堂で紙を熱心に確認している父、ディロン伯爵へと声をかけた。伯爵は娘の声だと気づくと、手紙を折りたたみながら話す。


「ああ、今動いている案件が順調に進んでいるからね。エルシーにはもう少し我慢してもらうことになるけれど、大丈夫だろう?」

「もちろんですわ!」

 

 ガメス公爵の隣を歩めるのなら、エルシーはいつまでも待つつもりだった。隣国の……口も聞けない地味な女に、昔から想っていた彼を取られるなんて我慢ならない。

 流石に帝国の皇女殿下との婚約であれば、彼女も口を噤んでいたけれど。何故ガメス公爵が敵国の女と婚約しなければならないのか、とエルシーは憤慨していた。

 だったら、愛嬌があって可愛くて……顔立ちも母に似て美人だと言われる自分でもいいじゃないか。


 そう伯爵へと告げれば、彼はエルシーの話をしっかりと聞いてくれた上で、「その夢を叶えようじゃないか」と約束してくれたのである。

 今公爵家へ突撃していないのは、伯爵から止められているからだ。ガメス公爵の婚約者であるあの女と交渉をしているらしい。その邪魔をしてはならない、と言い付けられている。

 

 彼女は何度も何度も……公爵の隣で腕を組む自分を夢見てきた。それなのに――。


 公爵がタウンハウスに着いた、と伯爵家の手の者が伝えにきた時。

 エルシーは、丁度着替えを終えた時だった。これは公爵家のタウンハウスを訪れるべきだという、神の思し召しだと感じた彼女は早足で公爵家に向かったのである。

 公爵家にたどり着くと、慌ただしい隙を突いてエルシーは門の中へ入っていく。


 既に玄関前には馬車があり、まさしくその時に公爵が一人で降りてきたのである。


 馬車のステップを降りるだけではあるが、優雅で美しい仕草に釘付けになっていたエルシー。その後自分が手を取られて降りてくる姿を想像していると――。

 公爵の視線はまだ馬車に留められていた。エルシーが首を傾げていると、公爵の手を取った者がいたのだ。

 

 それがまさか、声の出せない婚約者だとは!


「エルシー?」

「……お父様、どうしました?」


 彼女は我に返る。あの時のことを思い出してしまい、伯爵の言葉が耳から耳へと抜けていたようだ。


「エルシー、いい子だね。きちんとお前を公爵様の婚約者にしてあげるからね」

「ええ、お願いね! お父様!」


 二人は楽しそうに笑った。

 

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