31、ディロン伯爵家
タウンハウスに到着してから数日が経った。
彼女は毎日公爵邸に突撃しては、門番を困らせている。あまりにも大きい声で喚くものだから、私の部屋まで聞こえてくるのだ。公爵様の言いつけで、彼女の来訪で門は開けない事となっている。
公爵様は、ユーイン殿下に呼ばれてほぼ毎日登城していた。彼がいなくても、門前で叫ぶものだから、きっと狙いは私なのだろうと思う。マルセナの話によれば、公爵様の出入りについて外へと漏らしている者が内部にいるとの事。現在その者を特定し終えているそうだが、他に余罪はないかと泳がせているところだそうな。
私は関与しなくて良い、と公爵様が言ってくださっている。そのため私はマルセナの話を聞いたり、魔術や魔法の訓練をしたり、商人を呼んだり……と、日々忙しくしていた。
その日私は、気分転換にと庭のガゼボで休憩をしていた。ゆっくり本を読もうとマルセナから受け取り、紅茶を嗜みながらページをめくる。
すると遠くからいつもの声が聞こえてきた。普段と違う事と言えば、彼女の声がすぐに収まった事だろう。
私は目を細めた後、マルセナに指示をして紙とペンを用意させた。そしてまた本へと視線を戻ししばらくすると、通路から聞き覚えのある二人の声が聞こえてくる。
私は顔を上げるつもりなど更々ない。
相手はディロン伯と娘。先触れもなく、訪問するのは無礼なのだから。
二人がガゼボに到着したのか、足音が止まる。けれども私は二人に振り向く事はない。そのままページをめくっていると、目の前でディロン伯爵令嬢が癇癪を起こす。
「ねえお父様! この非礼な女、なんなの?!」
私の態度が気に入らないらしい。そもそも私は王国のホイートストン公爵家の娘。いくら他国だからって、公爵家の娘に噛みついて良いわけではない。それ以前にこの伯爵の態度もいまいち理解できなかった。
私――正確に言えばブレンダではあるが――の嫁入りについては条約で決まっている事であるし、皇帝陛下の勅命でもある。
それをズケズケと否定する娘を叱る事なく……しかも自分も一緒になって品位を欠く行動ばかり。何をしたいのだろうか? そう疑問を思っているうちに、伯爵は笑って言った。
「いやいや、このお方は言葉を喋る事ができない方なのだよ。優しくしてあげなさい」
「あら、お父様。そうなの?」
目を丸くして伯爵を見るディロン伯爵令嬢。
「ああ、次期公爵様の隣にふさわしいのはお前だ」
父親に言われてニコニコと満面の笑みで笑う娘と、それを見る伯爵。どちらも不気味である事には変わりないけれど……強いて言えば、娘はこの数日間で本当に公爵様を慕っていて、彼の隣に立ちたいのだという考えなのは理解した。
彼女は貴族として生まれているのに、その在り方考え方を学ぶ事なく、今まで生きていたのだろう。その境遇を踏まえると、今の彼女の言動は納得できる。
だが、それ以上に理解ができないのは彼女の父である伯爵だ。
末娘が可愛いから、と何故そのまま彼女の行動を放置できるのかが分からない。そして今も娘の行動を煽るような行動を取っている。
皇帝陛下の勅令でブレンダに扮した私と公爵様の婚約は、すでに締結されており、私は公爵様の婚約者なのだが……それを壊したいのだろうか。彼の行動を内心訝しんでいると、伯爵がニコニコと近づいてくる。
マルセナや他の使用人を視線だけで止めた私は、引き続き本をめくった。その時――。
「お嬢様、無理にレオネル殿と結婚する必要はありません。よろしければ、あなた様は私が匿いましょう」
耳元で囁かれた声。驚いた私は思わず伯爵を見る。
私の行動で彼は満足したのか、ニヤニヤと上から下まで舐め回すように見る伯爵に嫌悪感を覚えた。そしてふと思う。何故私がこの事を公爵様に報告しない、と思うのか……そこが不思議だ。
彼らは私の前で色々と話した後、愉快そうに帰っていく。私はそんな二人を最後まで見る事はなかった。
「という話がございまして。公爵様にご報告させていただきました」
夜、公爵様の執務室。
私は昼間の出来事を公爵様に話していた。彼は報告を聞きながら、眉間を揉んでいる。
この場にはヘンリーと私、そして公爵様の三人だけだ。盗聴の可能性を鑑みて、防音の魔道具を起動している。後ろにいるヘンリーは目を細めてこちらを見ていた。
「なるほど、教えてくれて助かった……エスペランサ嬢には迷惑をかけたな」
「いえ。ご報告するのは私の義務だと思っておりますので」
私は公爵様の婚約者。ブレンダも言っていたではないか。『郷には郷に従え』と。だから私は、公爵様に追い出されない限りは、この地に骨を埋めるつもりなのだから。
そのためには公爵様と信頼関係を積み重ねていかなければならない。その上で有効なのが、報告・連絡・相談だと私は思うのだ。
公爵様は思うところがあるのか、私の報告を聞いた後は物思いに耽っている。しばらく思い悩んでいた後、「ああ、すまない」と顔を上げた。
その時私はふと頭の中に浮かんだ疑問があったので、公爵様に声をかけた。
「あの、ひとつよろしいでしょうか?」
私の言葉に公爵様は驚いた表情を見せながらも、ひとつ頷く。許可を得たと私は、質問をぶつけた。
「ディロン伯爵様は、何故私にこのような提案をされたのでしょうか? あの方は私が公爵様へと報告をするはずがないと考えているようなのですが……」
私がこの件を公爵様に黙っているとでも思ったのだろうか。その点がなんだか腑に落ちないと正直に伝える。
すると公爵様はその事については、理由が分かっているようだった。
「伯爵は君のことをブレンダだと思っているからだろう」




