25、偽鏡作成
その日から一ヶ月。
所長とヒューを含めた魔術研究所は、いつにも増して賑やかだった。現在は研究所の者ほぼ全員を動員して、国宝鏡の作成に当たっている。ちなみに私はやっと三つ目の魔法陣を込められるようになったところだ。
数日前から夏の月となり、二日ほど前に大公家が舞踏会を行ったと聞いた。
社交界はここから二ヶ月ほど続く。毎年最初の舞踏会は大公家が、最後は王家が主催するのだという。ガメス公爵家は王国と国境が隣接しているため、社交界は王家主催以外全て免除となっていると、教えていただいた。
所長の話によれば、国宝鏡には魔法陣が組み込まれているらしい。ただ、その魔法陣を短時間で解読する事はできなかったのだという。そもそも、いくつかの魔法陣は見た事のないものだったようだ。
「まあ、国宝鏡を見た者は皇族の皆様か吾輩と副所長しかいないですからね! 皇族が触れて光れば問題ないでしょうね!」
「そうですよねぇ〜。偽鏡も言い張れば本物と認識しますからねぇ」
見えるものが白でも、皇族が黒、と言えば黒になると。そうなるわよね。
「ですから、皇族の方の魔力を込めると淡く光るような魔法陣を込めておけば良いのですよ! そのためには複数の魔法陣を宝石に込めないといけませんがね!」
「そこが問題になるんですよねぇ……」
セヴァルの言葉に皆が同意する。魔力を識別して光らせる魔法陣、これはこの一ヶ月で作成が終わったのだとか。ただし、魔法陣ひとつに対し、一人分の魔力しか込める事ができないため、皇帝陛下と皇子、皇女殿下の分の魔法陣を書き込む必要がある。この時点で四個の魔法陣を込めなくてはならないのだ。
「儀鏡の場所が把握できる魔術も込めたいのですよ! そうすると五個は必要になるじゃないですか!」
「現在魔法陣を三個込める事ができるのは、セヴァルと所長とエスペランサ様ですね」
二個込める事ができる者は多くいるらしいのだが、三個となると後は王宮魔術研究所にいる副所長の二人くらいなのだとか。しかし、今欲しいのはそれ以上の魔法陣を込める事ができる人なのだ。
「残念ながら、私は無理ですねぇ……三個で魔力が限界でしょう」
「吾輩も無理ですな!」
二人の声が上がった後、全員が私へと注目する。頼みの綱は私、そう言わんばかりの視線が降り注ぐ。皆が私に期待しているようだった。
しかしその日から一週間。私は四個目の壁を越える事ができていない。魔法陣を魔宝石に書き込むのが困難を極めていたのである。
セヴァルに教えてもらった方法は、魔宝石のカットの部分にひとつひとつ魔法陣を書き込むやり方だ。正面と裏部分はそのまま置いて魔法陣を書き込む事ができるので問題ない。しかし、三つ目以降は斜めの面に書き込まなくてはならなくなるのだ。
魔法陣は繊細で、少しの誤差も許されない。ズレがあると、正しく動作しない可能性が高いためだ。
そのため三つまでは集中力が続いても、四つ目になると魔法陣が上手く描けずに失敗するという事が多くなっていた。正しいと思っていても、何らかの歪みがあるためか、魔法陣が定着しないのである。
私たちは行き詰っていた。
その日、所長たち含めた研究員たちで、他に良い方法がないかと案を出し合っていた。私も参加していたのだけれど、昼食になったので一度解散したのだ。食堂へ行くと、ヘンリーが公爵様を呼びに行こうとしていたところだったらしい。折角だからと私が彼を呼びに行くことにした。
執務室にたどり着き扉を叩くと、中から公爵様の声が聞こえたため、私は部屋へと入っていく。
「少々待ってくれ」と言われた私は、執務机の手前にあるソファーへと座り、公爵様を待つことにした。公爵様の執務机には大量の書類が積まれている。彼は一枚取って内容を確認後、ペンで何かを書いてから反対の山へと乗せていく。以前私も行っていた業務を懐かしく思う。
しばらくして目処が付いたのか、公爵様はペンを置いて伸びをした。私も書類仕事をしていたから分かるけれど、どうしても肩が凝ってしまうのよね。そんな時に公爵様と私の視線が交わった。「あ」という表情で私を見ている。集中されていて、私がいる事に気が付かなかったらしい。
「いや……すまない。みっともなかったな」
「いえ、私も書類仕事の後はよく両手を伸ばしていましたから」
「同じ姿勢ばかり取っていると、肩が凝るからな」
どうやら公爵様も私と同じような悩みを抱えていたらしい。しばらく肩の凝りと書類仕事の大変さを共有する私たち。そんな中、彼は書類の山を見ながら肩をすくめて言った。
「本当にこの書類の束には参るな。この束がこう圧縮されたら、山が少なく見えて気持ちだけでも軽くなるだろうか?」
公爵様は書類の束を上から押すような仕草をする。彼の行動に私は目を丸くした後、思わず声を上げて笑ってしまった。彼もこんな冗談みたいな事を言うんだな、と思ったのだ。
「書類の枚数は変わらず山が小さくなるだけでしたら、山が減らずに疲れてしまいませんか?」
「……うむ、そ、そうかも……しれない」
勢いよく顔を逸らした公爵様。心なしか狼狽いているように見えるのは気のせいだろうか。そしてふと、思っていた事を話した。
「それか書類のサインの位置が全て同じ場所にあれば、楽かもしれませんね。今だとサイン欄を探すのが大変そうですから」
しばらく公爵様を見ていて、サインを書いている位置が違うように思えたのだ。思えば王国も一緒だった。いつもサインの位置がどこか探したものだ。一度そう告げたのだが、話すら聞いてくれなかった記憶があった。
公爵様も紙の上部に書いている事もあれば、右下、左下に書いている事もあった。そこが一致していれば、少しくらいは時間の短縮になりそうだ。
そう無意識に呟いていたのだが、返事がこない。どうしたのだろうか、と思って見ると、公爵様は私を見たまま固まっていた。
「あ、あの……どうかしましたか?」
何か場違いな事を言ってしまったのか……いや、もしくは私の意見が気に食わなかったのか……? 一人で不安になっていた私。それがもしかして表情に出ていたのかもしれない。公爵様は我に返ると、慌てて言葉を探しつつ口にした。
「いや、エスペランサ嬢。それは素晴らしい案だ! どうして私は今まで思いつかなかったのだろうか……それにサインの位置だけでなく、書式も統一すれば確認しやすく、書きやすいのではないか?」
ぶつぶつと呟きながら考え込む公爵様。どうやら私の言葉を受け入れてくださったようだ。適当な紙を取り出した彼は、そこに何かしらの文字を書き込んでいる。その後すぐにヘンリーを呼び出し、紙を渡して何かを依頼していた。
私がそのやりとりを唖然と見ていると、終わった公爵様がこちらにやってきて、私の両手を彼の手で包むように握りしめてくる。まるで玩具を見つけた子どものように目をキラキラと輝かせていた。
「助かった! これで書類の時間をもっと短縮できるかもしれない! 君のおかげだ!」
握りしめられた手が温かい。ここまで触れられたのは、お母様以外いないかもしれないわね。そんな場違いな事を呆然と考えていた私だったが、公爵様はすぐに自分のしていた事に気づかれたらしい。気づくといつの間にか両手を手から離されていた。
「す、すまない……興奮してしまってつい……」
顔を真っ赤にする公爵様。
そんな彼を見て、私は思った。公爵様は意外と女性慣れしていないのでは……? 銀髪に青の瞳、そして細身ではあるけれど腕を見る限り筋肉はついている……女性に好かれそうな容姿だと思うのだけれど。
まあ……人のことは言えない。なんだかんだ私も頬が熱くなっている気がする。恥ずかしさから私は公爵様から視線を逸らした。
「いえ、大丈夫です……」
声が震えないように注意をしながら話す。公爵様が胸を撫で下ろすのが見えた。
そんな彼を見ながら、私は手にかすかに残る温もりを感じる。まるでその温かさを忘れないかのように、私は無意識に両手を重ねた。




