21、うさぎの人形
気持ちが落ち着いたと分かったのか、公爵様は私に微笑んだ。
「少しは私が役に立っただろうか? もしまた何かあれば、相談してくれ。私たちはこれからを共に生きる者同士だからな」
「ありがとうございます」
王国にはこんな事を言ってくれる人はいなかった。私は彼の隣にいて良いのだと実感する。
感謝の意を示すために小さく礼をした。そしてすぐに顔を上げると、公爵様はそっぽを向いて頭を掻いている。心なしかソワソワしているように思うのは、私の気のせいだろうか?
「公爵様?」と声をかけると、「ああ……」と返事が来るけれど、その言葉はどこか上の空でぎこちない。
首を傾げていると、彼は意を決したのか私の目の前に何かを取り出した。驚いて思わず目を瞑ってしまった私は、恐る恐る目を開ける。するとそこには可愛らしい桃色のウサギの人形があった。しかも私の顔ふたつ分ほどあるだろうか……結構な大きさの人形だ。
まだまだ私と視線を外している公爵様へと、私は声をかけた。
「あの……、これは……?」
ぎぎぎぎ、と言いそうなほどゆっくりとこちらへ顔を向けた公爵様。私と視線が交わると、彼の顔がこわばった。
「もし良ければこれを貰ってくれないか? ……人形を抱きしめていると心が安らぐ、と侍女長に聞いたからな。これは私が以前から持っていた人形なのだが……良かったら使ってくれ」
きっとこれを渡すために、公爵様は気もそぞろだったのだろう。私は公爵様とウサギに何度も視線を送った後、人形へと手を伸ばして受け取った。人形は子どものおもちゃだ、と言われているけれど嬉しかった。私は一度も人形を手にした事がなかったから。
人形を胸に抱くと、先ほどまで公爵様が触れていたからだろうか、ほんのりと温かい。嬉しさからぎゅっと抱きしめる。
「よろしいのですか?」
公爵様は『以前から持っていた』と仰っているけれど……それにしては形も崩れていないし、綺麗だと思う。その意味も込めて、大丈夫かどうか確認したのだけれど……。
「ああ。飾ってあるより可愛らしい君に使ってもらえる方が良いだろうからな」
「……へ?」
可愛らしい? 私が? その言葉に頬が熱くなる。
今まで自分の容姿を褒められた事がなかった私は、それに耐性がない。最近リーナやマルセナはよく綺麗と褒めてくれていて、私も慣れてきたかななんて思っていたのだけれど……男性に言われるのは、なんと言うか破壊力があったわ。
幸い、動揺から無意識に上がった声は公爵様に聞こえなかったようだ。恐る恐る顔を上げると、公爵様は口角を上げて笑っている。きっと彼も意識せず口にしたのかもしれない。
私は改めてお礼を告げた後、恥ずかしさから逃げるように部屋へと入っていた。
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「その様子ですと受け取ってもらえたようですね、坊ちゃん」
レオネルの寝室で、ヘンリーが話す。そう、彼がエスペランサに人形を渡した事を知っているのは、現在ヘンリーのみだった。
「ですが、よろしかったのですか? ウサギの人形は坊ちゃんが一番気に入っていたものでしたよね?」
あの人形はレオネルが寄付を行っている孤児院から届いたものだ。桃色のウサギと水色のウサギが対になっており、レオネルの寝室に飾られていた。
公爵領にはいくつかの孤児院があり、彼はその全てを支援しているのだが、ある孤児院で裁縫の得意なシスターがいる。そこではある程度大きくなった子どもたち――多くは女の子だが、中には男の子もいる――が人形を制作しているのだ。
レオネルは支援も兼ねて、その孤児院から人形を購入している。孤児院の者たちは誰かに配っているのだろう、と思っている。けれども実際は――。
レオネルは寝室内にある本棚から一冊本を抜く。すると、瞬く間に本棚が動き出し……現れたのは扉だった。
「あの人形はシスターが『一番出来の良かったものを譲りたい』という子どもの意図を汲んでいただいたものだ。エスペランサ嬢なら大切にしてくれるだろう。それに……片方はこちらに置いておくから、子どもたちも許してくれるのではないかな」
サイドテーブルの上に置かれている水色のウサギを一瞥した後、レオネルは扉を開けて部屋へと入る。
そこには数十個もの人形が棚の上に置かれていた。この人形は全て先ほどの孤児院から定期的に購入しているものだ。もちろん、孤児院支援のためでもあるが……一番は彼が可愛い人形を好きだから。
レオネルは軍部に入った後から、癒しを求めるようになった。
騎士としての仕事は非常にやり甲斐があった。けれども周辺国との小競り合いの現場に参戦した際、改めて戦場というものを理解したのだ。
敵も味方も関係なく死んでいく世界。表情には出さなかったが、その光景に愕然としたのである。
そして父である先代公爵の凄さを理解した。
彼は初陣で王国と帝国の戦争に駆り出されているのだ。そこで成果を上げた事もあり、現在王国からも『血濡れの死神』として恐れられている父。自分にはできないと思った。
だからエスペランサが『予言の巫女』である可能性が高いと聞いた時に、彼女の不安が手に取るように分かった。己の両親の壁の高さに気圧される。それは彼も経験した事だったからだ。
現在は折り合いをつけ、自分なりに動けているとレオネルは思っている。
自分自身の戦力は勿論上げて、血濡れの死神という異名の父に負けないよう努力してきたつもりだ。ただ、何故か帝国内で鋼知の貴公子と呼ばれているけれど……。
まあ、そんなこんなで癒しを人形に求めているレオネルだったが、それを知っているのは侍女長とヘンリーだけだ。
他の者に示しがつかないと、レオネルはこの事を他の使用人には必死に隠していた。ただ、ウサギの人形二体だけは、彼宛に届いたので寝室に置いていたのだ。他の使用人たちも、まさかレオネルが人形を好きだとは思っていない。ヘンリーたち以外は、直接届いたから律儀に飾っているのだろう、と思っているはずだ。
「やはりこの空間は私の癒しだ」
レオネルはひとつずつ人形の頭を撫でていく。軍部の時はまさか人形に癒しを求めるとは思っていなかった。爵位を継承する前、領地を視察した時に見つけた癒し。このふわふわな手触り、そして可愛らしさはレオネルの心を射抜いた。
そしてたまに歪な形の人形もあったりするが、これも可愛らしい。孤児院の子が頑張って作っている様子が思い浮かぶのだから。
人形の部屋でレオネルは思う存分楽しんでいた。部屋の扉は閉まっており、ここにはヘンリーや侍女長も入る事ができない。
ここは自分だけの癒しの場。侍女長を入れないという事もあり、この部屋だけは自分で掃除しているほどの徹底ぶりだ。
最後に頭を撫でようとした人形……これもウサギの人形だった。レオネルは頭を撫でようとして、先ほどエスペランサに渡した人形を思い出す。
「私のこのような姿に幻滅しないだろうか……」
ふと溢れた言葉。それは紛れもなくレオネルが隠そうとしている弱さだった。




