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【架空歴史短編小説】バロックの永遠なる調べ ―コレッリとバッハ、響きあう魂―  作者: 霧崎薫


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●第1章:少年期(1653-1670 / 1685-1700)

【コレッリの視点】


 1653年2月17日、私は北イタリアの小さな町、フジニャーノで生を受けた。父サンタは葡萄栽培農家で、決して裕福とは言えない生活だったが、音楽への愛情だけは豊かな家庭だった。


「アルカンジェロ、聞こえるか? 風の音が歌っているぞ」


 父はよく、そう言って私を膝に抱き、畑から聞こえる自然の音に耳を傾けさせた。母アンナもまた、教会で聖歌を歌うことを心から愛していた。その澄んだ声は、今でも私の心に深く刻まれている。


 5歳の時、町の祝祭で初めてヴァイオリンの音色を聴いた。その瞬間、私の人生は大きく変わった。まるで天使の声のような音色に魅了され、夢中でその楽器を見つめていたという。両親は私の情熱を理解し、近くの教会の音楽教師に師事することを許してくれた。


 しかし、幸せな日々は長く続かなかった。6歳で父を、7歳で母を失い、孤児となった私は、叔父のイッポーリトに引き取られることになる。幸い、叔父もまた音楽を愛する人物で、私の才能を伸ばすことに理解を示してくれた。


「お前には神から授かった才能がある。それを無駄にしてはならない」


 叔父の言葉は、私の心の支えとなった。13歳でボローニャに送り出されたのも、叔父の決断だった。当時のボローニャは、イタリア最高の音楽教育の中心地。私は昼夜を問わず練習に打ち込んだ。


【バッハの視点】


 1685年3月21日。アイゼナハの小さな家で、私は生を受けた。父ヨハン・アンブロジウスは町の楽師長を務め、バッハ家は代々音楽家の家系として知られていた。幼い頃から、家には常に音楽が満ちていた。


「セバスティアン、よく聴くんだ。音は神様からの贈り物だよ」


 父の言葉は、今でも鮮明に覚えている。兄のヨハン・クリストフも、私の最初の音楽の師となった。彼から教わったオルガンの基礎は、私の音楽の礎となった。


 しかし、運命は私にも試練を与えた。9歳で母エリザベートを、10歳で父を失う。突然の孤独に打ちのめされた私を救ったのは、オールドルフの聖ミヒャエル教会のオルガニストを務める兄だった。


「セバスティアン、お前には確かな才能がある。これからは私が面倒を見よう」


 兄の家で過ごした日々は、苦しくもあり、充実してもいた。昼間は学校に通い、夜は兄の蔵書を必死で写譜した。月明かりを頼りに、禁じられた楽譜を写し取ったことは、今となっては懐かしい思い出だ。


 15歳でリューネブルクの聖ミカエル教会の聖歌隊員となった時、私は音楽こそが自分の生きる道だと確信していた。高い声で歌えなくなった私は、オルガンの演奏に活路を見出した。教会の図書館に通い詰め、古今の楽譜を研究した。コレッリの作品との出会いもこの頃だった。


「なんという完璧な均衡……」


 彼のトリオ・ソナタを初めて目にした時の衝撃は、今でも鮮明に覚えている。旋律と和声の見事な調和、そこには私が求めていた音楽の真髄があった。


【コレッリの視点】


 ボローニャでの修業時代、私は恩師ジョヴァンニ・ベニーニから厳しい指導を受けた。彼は当時、イタリアでも指折りのヴァイオリニストだった。


「アルカンジェロ、音楽は数学だ。しかし、それ以上に魂の言葉なのだ」


 ベニーニ先生は、技巧だけでなく、音楽の本質を教えてくれた。私は貪るように学んだ。夜明けまで練習を重ね、指が血を流すことも珍しくなかった。


 17歳でアカデミア・フィラルモニカの会員となった時、私は初めて自分の才能に確信を持てた気がした。しかし、それは新たな試練の始まりでもあった。


「お前のような田舎者が、何を分かるというのだ?」


 貴族の子弟たちからの嘲笑。しかし、私には音楽があった。彼らの言葉に傷つきながらも、私はヴァイオリンを手に取り続けた。そして、その音色は少しずつ、人々の心を動かし始めていった。


【バッハの視点】


 アイゼナハのラテン語学校での日々。私は音楽と同じくらい、言葉の力に魅了されていた。ルターの聖書の言葉は、後に私の音楽の重要な基盤となる。


 学友のゲオルク・エルトマンとは、よく神学について議論を交わした。彼は私の無二の親友となり、生涯の理解者となる。


「ヨハン、お前の音楽には何か特別なものがある。まるで天上の調べのようだ」


 エルトマンの言葉は、私に大きな自信を与えてくれた。しかし、周囲の理解を得ることは容易ではなかった。


「おい、坊主。そんなに技巧を凝らして何になるんだ? もっとシンプルに弾けないのか?」


 教会の古参の音楽家たちからは、しばしばそんな言葉を投げかけられた。けれども、私には確信があった。音楽は神の栄光を表現する最高の手段であり、その表現に制限を設けることはできない。


 リューネブルクでの生活は質素だったが、音楽的刺激に満ちていた。ハンブルクまで歩いて出かけ、著名なオルガニスト、ヨハン・アダム・ラインケンの演奏を聴いたこともある。


「若いのに、なかなかやるじゃないか」


 ラインケンの言葉は、私の心に深く刻まれた。彼の即興演奏の技術は、私に新しい音楽の地平を示してくれた。


【コレッリの視点】


 ボローニャでの修業も終わりに近づいた頃、私は重大な決断を迫られていた。故郷に戻るか、それとも新天地を目指すか。


「アルカンジェロ、お前の才能は、もっと大きな舞台で試されるべきだ」


 ベニーニ先生の言葉が、私の背中を押してくれた。19歳で単身パリに向かったのは、大きな賭けだった。しかし、その決断が私の人生を変えることになる。


 パリでの成功は、私自身も予想していなかったほど大きなものだった。フランス式の優美さと、イタリア式の情熱を融合させた私の演奏スタイルは、パリの聴衆の心を捉えた。


「これこそが、新しい音楽の形なのですね」


 ある侯爵夫人の言葉は、私に新しい可能性を示してくれた。しかし同時に、私の心には新たな疑問も生まれていた。


「果たして、これが本当に私の求める音楽なのだろうか……」


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