76 夜の問い
奥の方、ランタンの光の中に鈴木がいた。柱に縛られて座っていた。唇の端が切れていた。その両脇に、二人の男が立っていた。どちらも顔に見覚えはない。腕を組んで壁に背を預け、こちらを流し見るだけで何も言わなかった。
鈴木が吐き捨てる。
「来んなよ」
「馬鹿だろ、お前」
「わかってる」
「探しに行ったのか」
「……ちょっと歩いてたら会った」
「嘘つくな」
「……」
暗がりから、足音がした。急ぐでもなく、躊躇うでもなく、ただ静かに近づいてくる。その静けさが、怒鳴り声よりずっと怖かった。
竹中洋二が、ランタンの光の中に入ってきた。高1の夏以来の顔だった。髪を短く刈っていて、あのときより顔つきが険しくなっていたが、口の端だけで笑う癖は変わっていなかった。
「来たか」
それだけ言って、ゆっくりと歩き回り始めた。手をポケットに入れたまま、値踏みするような目でこちらを見ていた。
沈黙が続いた。先に口を開いたのは、竹中だった。
「お前白松のこと、好きなんだって?」
「関係ない」
「関係ある。あいつに何したか、俺が一番分かってるからな」
竹中はただ事実として言った。その平坦さが、怒りよりも恐ろしかった。
「中学の頃、覚えてっか。こっちは忘れてねえ」
一拍あって、また歩き始める。
「小学校のとき、あの子の日記を読んでやった。クラス中に見せてやった。泣いてたぜ、あのとき。その顔がまたかわいいんだわ」
「黙れ」
と鈴木が低く言った。身を乗り出そうとしたのか、体が前に傾いた瞬間、両脇の男が肩をがしりと押さえた。鈴木の動きが止まる。竹中は一瞥して、また俺を見た。
「お前まだ誰かの後ろに隠れてるのか。昔っから一人じゃなにもできねえヤツだ」
何も言えなかった。いや、何も言わなかった。言い返す気が、起きなかった。いつも取り巻きを連れているのは、竹中、お前もだ、と思った。だが、
「白松との関係なんて、新しい依存先を見つけただけだろ」
その言葉は、思っていたよりも深く胸にずしりと沈んできた。すぐに否定しなければいけないはずなのに、言葉が出てこない。
白松さんのそばにいると、息ができる。あの感覚を、俺は知っている。けれどそれは、ただ楽なだけなんじゃないのか。必要とされたいだけなんじゃないのか。幸子のときと、何が違う?
あのときも同じように考えて、同じように息苦しくなって、結局は自分の方から距離を置いたんじゃないのか。逃げ出したんじゃないのか。
――俺は、本当に誰かの隣に立てる人間なのか。
顔を上げると、竹中がこちらを見ていた。答えを待っている目じゃない。答えられないことを分かった上で、あえて突きつけている目だった。
「中川幸子も、白松百合子も、俺の方が先に見つけたのによ。なんでどっちも、お前ごときに取られちまったんだろうな」
そう言いながら、向かってくる。
次の瞬間、鈍い衝撃が腹にめり込んだ。空気が一気に抜け、息ができなくなる。視界がぐらりと揺れ、膝が折れかけて壁に手をついた。冷たいコンクリートの感触が、掌にじかに伝わる。
間を置かず、もう一発。今度は肩口だった。ごつりと鈍い音が体の内側で響き、踏ん張りきれず片膝を床につく。口の中にじわりと鉄の味が広がり、血だと遅れて気づく。
それでも、立ち上がる。理由は分からない。意味もないのかもしれない。それでも体が勝手に動いた。
「……しぶてえな」
竹中の声は低かったが、嘲りではなかった。どこか、確かめるような響きだった。
さらに一撃が胸にめりこむ。まともに食らい、息が完全に止まった。そのまま床にどさりと倒れる。視界が低くなり、目の前にコンクリートのひびが見えた。細く枝分かれした線の先で、遠くに鈴木の叫び声が聞こえる。「やめろ」と言っているのだろうが、どこか遠い。鈴木を押さえる気配も聞こえたが、それもすぐに遠ざかった。
床に染みた水の跡が、乾きかけてまだらな色をしていた。それが、枯れた川のように見えた。どうでもいいことを、ぼんやりと考えていた。
ふと、白松さんの顔が頭をよぎった。あのときの、少し困ったような顔だった。
手のひらをざらりとした床につく。冷たさが、じんわりと体に伝わる。何のために立つのか分からない。誰のためなのかも分からない。それでも指にぐっと力を込め、腕に力を入れて、体を持ち上げた。
立つ。ただそれだけの動作が、やけに遠く感じた。
顔を上げると、竹中が動きを止めていた。拳を上げたまま、こちらを見ている。その目は、さっきとは違っていた。値踏みするような目ではない。何か測れないものを見ているような目だった。
「……これで……気は済んだか」
思ったよりも声はしっかり出た。ただ聞きたかった。ここまでやって、何を確かめたかったのかを。
竹中は答えない。口の端で笑おうとして、結局やめた。その顔を、初めて見た。




