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君と風の行方  作者: 月見饅頭
第七章

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75 夜の呼び出し


 鈴木からの連絡は、ない。


 送ったメッセージはどれも既読にならなかった。電話をかけると呼び出し音だけが続いて、そのままつながらなかった。もう一度送った。もう一度かけた。それでも変わらなかった。


 胸の中だけが、少しずつ冷えていった。鈴木が連絡なしに消えることはない。そういうやつじゃないのを、俺は知っていた。

 最後にもう一度、電話をかけた。


 今度は、つながった。


「よう」


 低い声が聞こえた瞬間、全身がびくりと固まった。鈴木の声じゃなかった。高1のバイト帰りに絡まれた、あのとき以来の声だったが、変わっていたようで、変わっていなかった。からかうような声の質が、記憶の中のそれと重なった。


「竹中……」


「久しぶりじゃねえか」


 返事をしなかった。声を出すと、震えそうだった。


「鈴木はどこだ」


「来ればわかる。東の廃工場に来い」


「鈴木を――」

 鈍い音がした。誰かの息が詰まる。


「やめろ」

「大人しくしてろよ」


 短い沈黙があった。


「一人で来い」


 それだけ言って、電話が切れた。

 手のひらが、じっとりと湿っていた。


 白松さんに電話をかけた。すぐに出た。


「鈴木の電話に竹中が出た。廃工場に鈴木がいるらしい」

「え……」


「俺、行ってくる」

「待って。一人で行くの?」


「一人で来い、って言われた」

「危ない。警察に――」


「時間がない」

 少し間があった。


「位置情報、共有して。三浦さんにも連絡して」


 声が落ち着いていた。俺が焦っているのに、白松さんの声の方が静かだった。その静けさが、少し胸に刺さった。


「わかった」


 位置情報を送って、電話を切った。立ち上がって、東の方へ歩き始めた。


 歩きながら、三浦にメッセージを送った。『鈴木が竹中に連れていかれた。東の外れの廃工場』。送信して、画面を見た。既読がついた。返信はすぐに来た。


『わかった。動く。お前は時間を稼げ』


 それだけだった。俺は画面を見たまま、少しの間止まった。三浦が竹中の周辺をどれだけ把握しているのか、どういう経緯で動けるのか、今は聞けない。ただ、あの『わかった』の重さだけは伝わった。三浦はもう動いている。


 スマホをポケットに押し込んで、また歩き始めた。足が自然に速くなる。



 住宅街が途切れると、街灯の間隔が広くなった。靴の下でじゃりじゃりと砂利が鳴り始めた。風が吹くたびに錆の匂いがした。金属が雨に濡れて、長い時間をかけて腐っていくときの、あの匂いだ。


 歩きながら、鈴木の顔が浮かんだ。俺に何も言わないで一人で動いたのかもしれない。馬鹿だとも思ったし、怒る気にもなれなかった。俺も同じことをするかもしれなかった。

 白松さんの顔も浮かんだ。電話の向こうで、声の震えを押し殺すように落ち着かせていた、あの声。位置情報、と言ったとき、もうすでに画面を見ていたんだろうと思う。何かを考えながら、俺が歩き始めるのを待っていたはずだった。


 足を速めた。怖くないと言えば嘘になる。でも足は止まらなかった。


 信号のない交差点を渡った。街灯が一本、フィラメントが切れかけているのか、ぼんやりと点滅していた。風が強くなって、草の細い匂いが混じってきた。空には雲が厚く広がっていて、星は見えなかった。

 こういう夜に、こういう場所を歩くのは初めてじゃない。中学のとき、用もなく夜の土手を歩いたことがあった。理由なんてなかった。ただ部屋にいたくなくて、外に出て、気づいたら遠くまで来ていた。あのときも怖かったが、止まらなかった。止まり方が分からなかった、というほうが正確かもしれない。今も、似たようなものかもしれなかった。

 ただ、今は向かう場所がある。



 廃工場が見えてきた。鉄骨だけが残った建物で、壁の一部が崩れていた。錆びたフェンスは一部が倒れていて、中からかすかに光が漏れていた。その光は弱く、揺れていた。ランタンだ、と直感でわかった。

 草をざくざくと踏みながらフェンスの隙間を通った。砂利の音が耳にざらりと大きく響いた。静かな夜に、自分の足音だけが目立つのが、嫌だった。立ち止まって、ゆっくり息を吸った。吐いた。もう一度吸った。


 心臓が速い。掌が冷たい。それでも、体は前を向いている。


 入り口をくぐると、広い空間が広がっていた。天井が高く、夜風がひゅうと中を流れていた。床のコンクリートはあちこちにひびが入っていて、水が染みた跡が地図みたいな模様を作っていた。鉄とコンクリートと、古い空気の匂いがした。誰かが長い時間をかけてここを忘れていったような、そういう匂いだった。


 目が暗さに慣れるのを待ちながら、少しずつ奥に進んだ。光の方向へ向かって、一歩ずつ。


 奥の方、ランタンの光の中に鈴木がいた。


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