58 会いたくない
クリスマスの翌日、白松さんからの「おはよう」が来なかった。
昼を過ぎても、画面は静かなままだった。何度スマホを開いても、通知はない。我慢できなくて、俺から送った。
「おはよう。今日、どう?」
しばらくして、返信が来た。
「おはよう。ごめん、連絡遅くなって」
「大丈夫。体調悪い?」
「ううん。ちょっと、考え事してて」
嫌な予感がした。胸の奥に、小さな棘が刺さったような感覚。
「何か、あった?」
少し間があった。
「電話、してもいい?」
「もちろん」
着信が鳴った。通話ボタンを押す指先が、わずかに震えていた。
「もしもし?」
「桜井くん……」
受話口から聞こえた声は、いつもより低く、遠かった。何かを決意した人間の声だった。
「どうした?」
「あのね……」
一呼吸置いて、彼女は言った。
「しばらくの間、会いたくない」
時間が止まったような気がした。言葉の意味は理解できるのに、現実として受け取ることを体が拒んでいる。
「え……?」
「ごめん、急に。……別れたいわけじゃないの。誤解しないで」
「じゃあ……」
「ただ、少しの間、一人で考えたいの」
俺はできるだけ冷静に聞いた。
「どうして?」
白松さんは、少し間を置いてから話し始めた。
「昨日、ずっと考えてたの。鈴木くんと宮田を見てて、思ったことがあって」
「何を?」
「二人、すごく自然だった。お互いに、依存してない感じがして。一緒にいるのに、それぞれがちゃんと立ってる感じ」
「白松さん……」
「でも、私たちは違う気がする。幸子さんのこともあって……私、桜井くんに依存してるかもしれない」
「そんなこと——」
「いつも、桜井くんのことを考えてる」
白松さんの声が、わずかに震えた。
「桜井くんがいないと、不安になる。メッセージが来ないだけで、何かあったんじゃないかって焦る。それって……依存だよね」
俺は何も言えなくなった。
否定できなかった。胸が痛いほど分かってしまったからだ。俺だって同じだった。白松さんの機嫌ひとつで一日が左右された。既読がつかないだけで落ち着かなくなった。それを愛情だと信じていたけれど、もしかしたら違うのかもしれない。
「私、変わりたいの」
彼女は続けた。
「桜井くんに頼りきりじゃなくて、自分で立てるようになりたい。だから……冬休みの間だけ、一人になりたい。会わないで、連絡もしないで、そうやって自分と向き合いたい」
俺は、しばらく黙っていた。
電話の向こうで、白松さんも黙っていた。二人の間に、長い沈黙が落ちた。遠くで車の音がした。それ以外は、何も聞こえなかった。
白松さんの気持ちが、痛いほどわかった。そして、俺も同じことを感じていた。白松さんがいないと不安になる。必要とされることで自分を保っていた。それは健全な関係じゃない。
やがて、俺は口を開いた。
「わかった」
「……本当に?」
「ああ。白松さんが成長しようとしてるんだ。それを、俺の寂しさで止めることはできない」
「ごめん……」
「謝らないで」
俺は続けた。
「俺も、一人で過ごしてみる。白松さんがいなくても大丈夫な自分になる。そして新学期に、また会おう」
電話の向こうで、白松さんが小さく息をのんだ。
「……ありがとう、桜井くん」
「お互い、頑張ろう」
「うん」
通話が切れた。
ベッドに倒れ込んで、天井を見上げた。
寂しさは確かにあった。でも、それと同じくらい、どこかで納得している自分もいた。このままではいけない、と感じていたのは俺も同じだったからだ。依存は温かい。でも、温かさに甘えてばかりでは、いつか息が詰まる。
部屋の中は、静かだった。窓の外に、曇り空が広がっていた。薄暗く、冷たい色の空だった。でも、これを乗り越えれば、きっと春が来る。
冬休みが始まった。
白松さんとは、本当に連絡を取っていない。スマホを開くたびに、彼女の名前を探してしまう。指先がメッセージ欄を開きかけて、何度も引っ込めた。
これは罰じゃない。約束だ。そう言い聞かせる。
数日後、一人で近くの公園へ行った。
いつも白松さんと来ていた公園だ。一人で来るのは、久しぶりだった。
冬の空気は乾いていて、歩くたびに白い息が出た。ベンチに腰を下ろすと、冷たさがコートの上からでも伝わってくる。
雲がゆっくりと流れていく。子どもの笑い声が、遠くで弾けていた。
スマホを取り出して、白松さんの名前を見つめた。連絡したい。声が聞きたい。その衝動が胸を締めつける。画面を見たまま、しばらく動けなかった。
白松さんは今頃、何をしているんだろう。一人でどう過ごしているんだろう。寂しくないだろうか。
でも——深呼吸して、ポケットにしまった。
立ち上がって、公園を出た。
一人の時間は、確かに寂しい。でも悪くないとも思えた。誰かの存在に頼らずに、ただここにいる。その感覚が、少し頼もしかった。自分の輪郭が、少しずつはっきりしていく気がした。
公園の帰り道、鈴木からメッセージが来た。
「よう、桜井。今度、遊ばないか?」
思わず笑みがこぼれた。
「いいよ。いつにする?」
「年明けくらいにまた連絡する」
「わかった」
白松さんと出会ってから、彼女中心の毎日だった。鈴木との時間を後回しにしていたのは事実だ。それも、変えなければいけない。年明けに会う約束を交わしながら、少しだけ前を向けた気がした。
その夜、ベッドに横になって窓の外を見た。
冬の星空が澄んでいた。冷たくて、静かで、どこまでも続いている。
白松さんも今、この空を見ているだろうか。一人の部屋で、自分の弱さと向き合っているだろうか。
同じ空の下で、それぞれの時間を過ごしている。そう思うと、胸の痛みは消えないが、代わりに小さな温もりが灯った。
連絡はしない。白松さんを信じる。そして、自分も変わる。
目を閉じると、白松さんの笑顔が浮かんだ。
冬休みはまだ長い。でも、乗り越えてみせる。白松さんのためにも。そして、俺自身のためにも。




