表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
君と風の行方  作者: 月見饅頭
第五章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

52/80

52 曇り空のまま


 幸子のことを、久しぶりにちゃんと思い出していた。


 中学の頃、幸子に「離れたくない」と言われるたびに、俺は少しほっとしていた。誰かに必要とされているという感覚が、自分の輪郭を作っていたのだと思う。でも今になって思い返すと、あの頃の俺は幸子の顔色を読むことに慣れすぎていた。話し終わるたびに表情を確認して、怒っていなければ初めて息を吐いた。それが普通だと思っていた。


 白松さんと話す時、俺はそれをしない。する必要がない。そのことに気づいた時、ようやく何かが違ったのだとわかった。


 その夜はなかなか眠れなかった。暗い天井を見つめていると、幸子の泣き顔と、白松さんの不安そうな横顔が交互に浮かんできた。どちらも消えなかった。寝返りを打つたびにシーツが擦れる音が、やけに大きく響いた。


 ――――俺は、ちゃんと守れるのか。


 その問いだけが、頭の中をぐるぐると回り続けた。



 翌日、日曜日。


 目を覚ましても、気持ちは晴れなかった。カーテンを開けると、昨日の雨は上がっていたが、空はまだ薄く曇っている。どこか中途半端な天気だった。




 昼前に家を出た。日曜日の公園は家族連れで賑わっていて、子供たちの笑い声があちこちから風に乗って聞こえてくる。その明るさとは裏腹に、胸の奥はまだ落ち着かなかった。




 ベンチに座って待っていると、白松さんが小走りでやってきた。


「お待たせ」


「ううん、今来たところ」


 隣に腰を下ろした彼女の横顔は、少しだけ疲れて見えた。


「昨日、眠れた?」

 白松さんは一瞬迷ってから、小さく首を振った。


「あまり……色々、考えちゃって」

「幸子のこと?」


 彼女は頷いた。それから少し間を置いて、「桜井くんのことも」と言った。

 その一言で、何か言おうとしていた言葉が出てこなくなった。


「ごめん。心配かけて」

「桜井くんは悪くない。ただ……本当に、大丈夫かなって」


 声がわずかに震えていた。


「幸子さん、本当に諦めてくれるかな」

 まっすぐ見つめられて、言葉が詰まった。正直、確信はなかった。


「俺は、はっきり断った」

「でも、それで終わる人なら、こんな風になってない気がして」


 その言葉は、静かに沈んだ。確かに、幸子は簡単に引くような人じゃない。


「白松さん……」

「疑ってるわけじゃないの」

 と彼女は続けた。


「桜井くんのことは信じてる。でも、幸子さんが……怖いの」


 俺は彼女の手をそっと握った。指先が冷たくて、かすかに震えていた。


「大丈夫。何があっても、俺は白松さんのそばにいる」

「本当?」


「ああ。約束する」


 白松さんは少しだけ微笑んだ。でもその笑顔の奥に、まだ何かが残っているのがわかった。それがわかるから、余計に言葉が見つからなかった。



 しばらく、二人で黙ったまま座っていた。遠くでボールが転がる音と、子供たちのはしゃぐ声が届く。平和な日曜日の風景なのに、俺たちの間だけ空気が違った。


「私、自信がないの」

 とぽつりと白松さんが言った。


「桜井くんに、ちゃんと好きでいてもらえるかって」

「俺が好きなのは、白松さんだけだ」


「今は、ね」

「今も、これからも」


 彼女の目に涙が浮かんだ。俺はその肩をそっと引き寄せた。


「不安になるのは当たり前だよ。俺だって怖い」

「桜井くんも?」


「ああ。失いたくないから」


 しばらくして、白松さんは小さく笑った。


「そっか。お互い様だね」



 昼を過ぎて、近くのカフェで食事を取った。料理の感想や他愛ない話をしながら、それだけの時間が妙に尊く感じられた。でも頭の片隅には、幸子の存在が消えずにいた。本当に、これで終わるのだろうか。その疑問は、家に帰ってからも消えなかった。


 夜、スマホが震えた。見知らぬ番号だった。


 メッセージを開いた瞬間、息が止まった。


 ――中川幸子。


 ――――この前はごめんね。でも、やっぱり諦められない


 全身が冷えた。続けて、もう一通。


 ――――桜井の彼女、見たいな。どんな子か気になる


 背筋にぞくりとしたものが走った。無視するか、はっきり拒絶するか。どの選択も波紋を広げそうで、指が止まった。


 結局、白松さんに電話をかけた。


「もしもし?」

 といつもより少し緊張した声が返ってきた。


「幸子から、メッセージが来た」

 電話越しに、息を呑む気配が伝わった。内容を伝えると、しばらく沈黙が続いた。


「どうしよう……」

「大丈夫。俺が何とかする」


 そう言いながら、自分でも確信は持てていなかった。


 電話を切ったあと、三浦に連絡を取った。事情を話すと、三浦は深くため息をついた。


「そこまでか……」

「ああ」


「俺が中川と話してみる。時間はかかるかもしれないけど、任せろ」

「頼む、幸子を止めてくれ」


 少しだけ肩の力が抜けた。通話が終わって、天井を見上げる。静かな部屋だったが、胸の奥はざわついたままだった。


 本当に、これで終わるのか。答えはまだ見えなかった。それでも、白松さんと前を向いて歩くという気持ちだけは、揺らがせたくなかった。


 三浦の「任せろ」という声が、やけに重く残った。あいつは、あの頃からずっと見ていた。俺と幸子の関係が少しずつ歪んでいくのを。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ