53 側にいるほど(回想4/10)
三浦尚央。
中学の時、よく側にいてくれた。
あの時も――
俺の意識は、再び過去へと引き戻されていった。
中学2年の秋。
俺は、教室の隅で一人、窓の外を見つめていた。校庭では、体育の授業を受ける生徒たちの声が聞こえる。でも、俺の頭の中は、別のことでいっぱいだった。
幸子のこと。最近、幸子の様子がおかしい。いつもより不安そうで、俺にべったりと張り付いてくる。
「桜井、今日も一緒に帰ろうね」
「うん」
「絶対だよ」
「わかってる」
幸子の独占欲は、日に日に強くなっていた。束縛も、きつくなっていた。でも、それには理由があった。
竹中洋二。クラスの問題児。取り巻きを従えて、好き勝手に振る舞う男。その竹中が、最近、幸子を狙い始めていた。
昼休み、俺と幸子、そして三浦の3人で弁当を食べていた時のことだ。
「中川さん」
竹中が、幸子に声をかけてきた。
「ちょっと、いい?」
幸子が、俺の腕にしがみつく。
「何?」
「いや、ちょっと聞きたいことがあってさ」
竹中が、ニヤニヤと笑う。
「次の数学のテスト、範囲どこだっけ?」
「え……プリント見れば、わかるよ」
「プリント、なくしちゃってさ。見せてくれない?」
幸子が、困った顔で俺を見る。俺は、竹中を睨んだ。
「俺のプリント、貸すよ」
「いや、中川さんのがいいんだよね」
竹中が、幸子に近づく。その時、三浦が間に入った。
「竹中、俺のプリント使えよ。ほら」
三浦が、自分のプリントを差し出す。竹中が、チッと舌打ちをした。
「……まあ、いいけど」
プリントを受け取って、竹中は去っていった。
「ありがとう、三浦」
幸子がほっとしたように言う。
「気にすんな」
三浦が、いつもの調子で笑う。でも、俺は胸の奥がざわついていた。
竹中の目。あれは、ただプリントを借りたいだけの目じゃなかった。幸子を「獲物」として見ている目だった。
放課後、俺は幸子を家まで送った。いつもより、幸子が俺にしがみついてくる。
「桜井……」
「ん?」
「竹中、怖い」
「大丈夫。俺がいる」
「でも……もし、また来たら……」
「その時は、また俺が守る」
そう言ったが、本当に守れるのか、自信がなかった。竹中は、クラスの権力者だ。取り巻きもいる。俺一人で、どうにかできる相手じゃない。でも、幸子には強気なことを言うしかなかった。
翌日から、竹中の嫌がらせが始まった。最初は、些細なことだった。幸子の教科書が、なくなる。
「おかしいな……確かに、ここに置いたのに」
幸子が、鞄の中を探している。
「どうした?」
「数学の教科書、ない……」
教室を探しても、見つからない。結局、その日は俺の教科書を一緒に見ることになった。次の日、教科書はゴミ箱の中から見つかった。誰かが、わざと捨てたのだ。
「ひどい……誰が、こんなこと……」
でも、誰がやったのか、わかっていた。竹中だ。証拠はない。でも、間違いない。
それから、嫌がらせはエスカレートしていった。幸子の机に、落書き。幸子の上履きが、なくなる。そして、決定的だったのは――ある日の放課後。幸子が、怒りと悲しみを抑えた顔で俺のところに来た。
「桜井……お守りが……」
幸子が、壊れたお守りを見せる。俺が、幸子の誕生日にプレゼントしたお守りだった。紐が切られ、中身が出て泥まみれになっている。
「誰が……」
「わからない……ロッカーに入れてたのに……桜井が、くれた大切なお守りなのに……来月の大会、これ持って頑張るって、決めてたのに……」
その様子を見て、俺の中で何かが弾けた。
「竹中……」
俺は、教室を出て竹中を探した。廊下で、取り巻きと話している竹中を見つける。
「竹中!」
竹中が、俺の方を向いた。
「おう、桜井。どうした?」
「お前、幸子に何した!」
俺が、竹中の胸ぐらを掴もうとした瞬間――取り巻きの一人が、俺の腕を掴んだ。
「おいおい、何してんの?」
「離せ!」
「落ち着けよ、桜井」
竹中が、ニヤニヤと笑う。
「俺、何もしてないけど?」
「嘘つくな! 幸子のお守り、お前がやったんだろ!」
「証拠は?」
その言葉に、俺は何も言えなくなった。証拠はない。ただ、そうだと確信しているだけだ。
「証拠もないのに、人を疑うのは良くないぜ」
竹中が、肩をすくめる。「俺、何もしてないから」
取り巻きが、俺を突き放す。俺は、何もできずに、その場に立ち尽くしていた。
「じゃあな、桜井」
竹中が、去っていく。その背中を見ながら、俺は拳を握りしめた。何もできなかった。幸子を守ると言ったのに。何も、できなかった。
教室に戻ると、幸子が待っていた。
「桜井……」
「ごめん。何もできなかった」
幸子が、俺の腕にしがみつく。
「いいの……騒ぎを大きくしたくないの」
幸子が、震える声で言う。でも、その目には涙ではなく、怒りが浮かんでいる。
「もっとひどいことになったら、怖い。私、悔しい。すごく悔しい。でも、どうしようもない」
その言葉に、俺は何も言えなくなった。確かに、竹中を刺激したら、もっと酷いことになるかもしれない。でも、このまま我慢するしかないのか。
その日の夜、三浦から電話がかかってきた。
「桜井、大丈夫か?」
「ああ……まあ」
「竹中のこと、聞いた。あいつ、調子乗ってるよな」
「ああ」
「でも、桜井。あまり、刺激しない方がいい。竹中、繋がりがあるんだ。年上の、元この学校にいた連中と。下手に刺激したら、お前や幸子が、もっと酷い目に遭うかもしれない」
「じゃあ、どうすればいいんだよ」
俺は、苛立ちを隠せなかった。
「我慢しろってことか?」
「そうじゃない。でも……慎重にいかないと」
俺は、電話を切った。三浦の言うことは、わかる。でも、納得できなかった。幸子が苦しんでいるのに、何もしないでいいのか。
翌日から、俺は幸子をできるだけ一人にしないようにした。登校も、下校も、休み時間も。ずっと、幸子の側にいた。でも、それが逆効果だった。幸子の独占欲が、さらに強くなった。
「桜井、体育館行ってくる」
「わかった」
「すぐ戻るから、ここで待ってて」
「ああ」
「絶対だよ」
幸子が、何度も念を押す。俺が少しでも離れると、不安になる。他の女子と話していると、怒り出す。竹中への恐怖が、幸子をさらに俺に縛り付けていた。そして、俺も幸子から離れられなくなっていた。
幸子を守らなければ。そう思えば思うほど、息苦しくなっていく。
ある日の昼休み、三浦が言った。
「桜井、お前、大丈夫か?」
「何が?」
「顔色、悪いぞ」
「大丈夫」
俺は、そう答えた。でも、本当は大丈夫じゃなかった。幸子を守ることで、俺自身が追い詰められていた。
竹中の嫌がらせは、続いていた。でも、巧妙で、証拠は残さない。先生に相談しても、「証拠がない」で終わってしまう。俺たちは、ただ耐えるしかなかった。
そして、冬が近づく頃――幸子の束縛は、さらに強くなっていく。竹中の脅威と、幸子の束縛。二重の圧力に、俺は押し潰されそうになっていた。
でも、まだ決定的な事件は起きていなかった。それが起きるのは、もう少し後。中学2年の冬。そして、その時、俺の代わりに怒ってくれた人物がいた。鈴木進一郎。彼の純粋な怒りが、全てを変えることになる。




