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君と風の行方  作者: 月見饅頭
第五章

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曇り空のまま


 中学時代の幸子。執着と依存に満ちた関係。

 あの頃の俺は、それを疑いもしなかった。


 「必要とされている」ことが、嬉しかった。

 「離れたくない」と言われるたびに、自分の価値を確かめているような気がしていた。


 ――それを、愛情だと思い込んでいた。


 でも、違った。


 白松さんと出会って、ようやく気づいた。


 本当の愛情は、縛ることじゃない。

 不安でつなぎ止めることでもない。


 尊重し合うこと。

 対等でいること。


 相手の自由を、ちゃんと認められること。


 俺は、もう戻らない。

 幸子のところには戻らない。


 そう、心の中で何度も繰り返した。


 その夜は、なかなか眠れなかった。


 暗い天井を見つめながら、幸子の涙を思い出す。

 そして、白松さんの不安そうな横顔も。


 どちらの表情も、胸の奥に引っかかって離れない。


 寝返りを打つたびに、シーツが擦れる音だけがやけに大きく響いた。


 ――俺は、ちゃんと守れるのか。


 そんな問いが、頭の中をぐるぐると回り続けていた。


 翌日、日曜日。


 目を覚ましても、気持ちは晴れなかった。


 カーテンを開けると、昨日の雨は上がっていたが、空はまだ薄く曇っている。

 どこか中途半端な天気だ。


 スマホを見ると、白松さんからメッセージが届いていた。


「おはよう。昨日はありがとう」

 短い文章なのに、胸が少し温かくなる。


「おはよう。こちらこそ」

 送信してから、少しだけ間が空いた。


「今日、会える?」

 その文字を見た瞬間、迷いはなかった。


「もちろん。どこで会う?」

「いつもの公園で。お昼くらいに」


「わかった」


 昼前に家を出る。

 日曜日の公園は、家族連れで賑わっていた。子供たちの笑い声が風に乗って、あちこちから聞こえてくる。

 その明るさとは裏腹に、俺の胸の奥はまだ落ち着かなかった。

 ベンチに座って待っていると、白松さんが小走りでやって来た。


「お待たせ」

「ううん、今来たところ」


 隣に腰を下ろした彼女の横顔は、少しだけ疲れて見えた。


「昨日、眠れた?」

 そう尋ねると、白松さんは一瞬迷ってから、小さく首を振った。


「あまり……」

 視線が足元に落ちる。


「色々、考えちゃって」

「幸子のこと?」


 彼女は頷いた。


「桜井くんのことも」

 その一言で、胸がぎゅっと締め付けられる。


「ごめん。心配かけて」

「ううん。桜井くんは悪くない。ただ……」


「ただ?」

「本当に、大丈夫かなって」


 その声は、わずかに震えていた。


「幸子さん、本当に諦めてくれるかな」

 まっすぐ見つめられて、言葉が詰まる。


 正直、確信はなかった。


「俺は、はっきり断った」

「でも……それで終わる人なら、こんな風になってない気がして」


 その言葉は、俺の中に静かに沈んだ。

 確かに、幸子は簡単に引くような人じゃない。


 だからこそ、怖い。


「白松さん……」

「疑ってるわけじゃないの」


 彼女は慌てて言葉を重ねる。


「桜井くんのことは信じてる。でも、幸子さんが……怖いの」

 その本音に、胸が痛んだ。


 俺は、彼女の手をそっと握る。


 冷たい指先が、わずかに震えている。


「大丈夫」

 自分に言い聞かせるように、ゆっくりと言う。


「何があっても、俺は白松さんのそばにいる」

「本当?」


「ああ。約束する」


 彼女は少しだけ微笑んだ。

 でも、その笑顔の奥には、まだ不安が残っている。


 それがわかるから、余計に苦しい。


 しばらく、二人で黙ったまま座っていた。


 遠くでボールが転がる音。

 子供たちのはしゃぐ声。

 平和な日曜日の風景なのに、俺たちの心だけがどこか落ち着かない。


「私、自信がないの」

 ぽつりと、白松さんが言った。


「何の?」

「桜井くんに、ちゃんと好きでいてもらえるかって」


 その言葉に、胸が締め付けられる。


「俺が好きなのは、白松さんだけだ」

「今は、ね」


「今も、これからも」

 彼女の目に、涙が浮かぶ。


 俺はその肩を引き寄せた。


「不安になるのは当たり前だよ。俺だって怖い」

「桜井くんも?」


「ああ。失いたくないから」

 しばらくして、彼女は小さく笑った。


「そっか。お互い様だね」


 その言葉に、少しだけ救われた気がした。


 昼を過ぎ、近くのカフェで食事を取る。


 他愛ない会話。

 料理の感想。


 それだけの時間が、こんなにも尊い。

 でも、頭の片隅には、幸子の存在が消えずに残っている。

 本当に、これで終わるのだろうか。


 その疑問は、家に帰った後も消えなかった。


 夜。


 スマホが震えた。


 見知らぬ番号。


 胸がざわつく。


 メッセージを開いた瞬間、息が止まった。


 ――中川幸子。


「この前はごめんね。でも、やっぱり諦められない」


 全身が冷える。


 やっぱり。


 続けて、もう一通。


「桜井の彼女、見たいな。どんな子か気になる」


 背筋に、ぞくりとした感覚が走る。


 白松さんを見たい?


 それは、まずい。

 すぐに連絡しようとして、指が止まる。

 どうするべきか。


 無視するか。

 はっきり拒絶するか。


 でも、どの選択も、波紋を広げそうで怖い。

 結局、白松さんに電話をかけた。


「もしもし?」

 いつもより少し緊張した声。


「幸子から、メッセージが来た」


 電話越しに、息を呑む気配が伝わる。

 内容を伝えると、しばらく沈黙が続いた。


「どうしよう……」

 震える声。


「大丈夫。俺が何とかする」

 そう言いながら、自分でも確信は持てていなかった。


 電話を切ったあと、俺は三浦に連絡を取った。

 事情を話すと、三浦は深くため息をついた。


「そこまでか……」

「ああ」


「俺が幸子と話してみる」

 その言葉に、少しだけ肩の力が抜けた。


「時間はかかるかもしれないけど、任せろ」

「頼む」

 通話が終わり、天井を見上げる。


 静かな部屋。

 でも、胸の奥はざわついたままだ。


 幸子の執着。

 白松さんの不安。


 そして、自分の未熟さ。

 本当に、これで終わるのか。


 答えは、まだ見えない。


 それでも――


 俺は、戻らない。

 白松さんと、前を向いて歩く。その決意だけは、揺らがせたくなかった。


 三浦の「任せろ」という声が、やけに重く残った。

 ——あいつは、あの頃からずっと見ていた。


 俺と幸子の関係が、少しずつ歪んでいくのを。


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