表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
君と風の行方  作者: 月見饅頭
第五章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

49/80

49 となりの席 (回想1/10)

 

 あの目は、あの頃と変わらない。


 中学1年の春。


 入学式の日、俺は体育館の端の席に座っていた。周りの生徒たちは、知り合いらしき相手と楽しそうに話している。小学校からの友達なのだろう。笑い声が響いている。


 俺は、誰とも話さなかった。話しかける勇気もなければ、話しかけられることもなかった。新しい制服。新しい教室。新しいクラスメイト。全てが新しいはずなのに、俺の立ち位置は変わらなかった。教室の隅で、静かに時間が過ぎるのを待つだけ。


 小学校でもそうだった。友達はあまりいなかった。休み時間は静かに本を読んでいた。それが一番楽だった。中学でも、きっと同じになる。そう思っていた。


 校長の話が終わり、各クラスに分かれてホームルームが始まった。俺は1年3組。教室に入ると、すでに半分くらいの生徒が席についていた。窓際の席に座る。担任の先生が入ってきた。40代くらいの男性教師。名前は神谷先生。


「みなさん、入学おめでとうございます。これから3年間、一緒に頑張りましょう」


 神谷先生が笑顔で言う。


「まず、出席番号順に自己紹介をしてもらいます」


 一人ずつ、名前と出身小学校、好きなことを言っていく。俺の番が来た。


「桜井悠人です。本を読むのが好きです。よろしくお願いします」


 短く言って、座る。周りから特に反応はなかった。それでいい。

 自己紹介が終わって、担任が言った。


「では、学級委員を決めます。誰かやりたい人はいますか?」


 教室が静まり返った。誰も手を上げない。俺は、少し考えた。


 学級委員。誰もやりたがらない役割。でも、もしかしたら、これは俺にとってチャンスかもしれない。友達がいない。これからもできないかもしれない。だったら、何か別の形で自分の居場所を作る必要がある。学級委員なら、クラスの代表として先生と話す機会がある。それが、ある種の「役割」になる。役割があれば、一人でいることに理由ができる。


 俺は手を上げた。


「桜井です。やります」


 神谷先生が少し驚いたような顔をした。


「桜井くん、本当にいいですか?」

「はい」


「ありがとう。では、もう一人……」


 その時、もう一人手が上がった。


「私、やります」


 女子の声だった。振り返ると、ショートカットの髪の女子が手を上げていた。


「中川幸子です」


 神谷先生が頷いた。


「わかりました。では、桜井くんと中川さんに学級委員をお願いします」

 こうして、俺と幸子は学級委員になった。


 ホームルームが終わって、神谷先生が俺たちを呼んだ。


「二人とも、ありがとう。学級委員の仕事は主に、朝と帰りのホームルームの進行と、先生との連絡役です。困ったことがあったら、いつでも相談してください」


「はい」


 俺と幸子が同時に答えた。


 教室に戻ると、席替えが発表された。


「桜井悠人、3列目の窓側」


 俺は指定された席に座る。窓の外を見ると、桜の木が見えた。もう葉桜になっている。


「隣、いいかな」


 声がした。振り返ると、さっきの女子——中川幸子が立っていた。


「私、ここみたい」

 そう言って、幸子は俺の隣の席に座った。


「学級委員、一緒だね」

 幸子がにこっと笑う。


「ああ」

「よろしくね」


「こちらこそ」


 幸子が机の上に置いてあった俺の文庫本に目を留めた。


「本、好きなの?」

「まあ……好き」


「私も好き。何読んでるの?」

 幸子が本の表紙を覗き込む。


「ミステリー?」

「うん」


「面白い?」

「面白い」


「へぇ。貸して」

「え?」


「読み終わったら、貸してよ」

 幸子がまた笑った。


「いいよ」

 そう答えると、幸子は嬉しそうに頷いた。


「やった。楽しみ」

 それが、幸子との最初の会話だった。


 午前中の授業が終わって、昼休みになった。俺は机に弁当を広げて、一人で食べ始めた。いつものことだ。周りを見ると、みんなグループを作って楽しそうに話している。小学校からの友達同士なのだろう。俺には、そういう相手がいない。一人で黙々と弁当を食べる。


「桜井くん」


 幸子の声がした。顔を上げると、幸子が弁当箱を持って立っていた。


「一人?」

「うん」


「じゃあ一緒に食べよう」


 幸子が当たり前のように隣の席に座る。


「いいの?」

「何が?」


「一緒に食べて」

「よくないの?」


 幸子が不思議そうな顔をする。


「……いや、いい」

「じゃあ決まり」


 幸子が弁当を開ける。色とりどりのおかずが詰まっている。卵焼き、唐揚げ、ミニトマト、ブロッコリー。丁寧に詰められている。


「お母さんが作ったの。張り切っちゃって。入学して間もないからって、朝から頑張ってたんだよ。いつもより1時間早く起きて」


「そうなんだ」

「桜井くんのは?」


「俺も、母さんが」

「へぇ。お母さん、料理上手?」


「まあ、普通」

「謙遜しない。絶対美味しいって」


 幸子が俺の弁当を覗き込む。


「卵焼き、美味しそう」

「食べる?」


 思わず聞いていた。


「いいの?」

「うん」


「じゃあ、一個もらう」


 幸子が箸で卵焼きを取って、口に入れる。


「美味しい! お母さん、料理上手だよ」

「そうか」


「うん。私のも食べてみて」


 幸子が自分の弁当から唐揚げを取って、俺の弁当箱に入れる。


「ほら」

「ありがとう」


 食べると、確かに美味しかった。外はカリッとしていて、中はジューシー。


「美味しい」

「でしょ? お母さん、唐揚げは自信があるんだって」


 幸子が嬉しそうに笑う。それから、幸子はよく喋った。


「ねえ、部活何に入る?」

「まだ考えてない」


「私、本当は別の委員やりたかったんだけど、学級委員になっちゃったから無理だよね」


「そうだな」

「でも、学級委員も悪くないかな。桜井くんと一緒だし」


 その言葉に、少し驚いた。


「俺?」

「うん。なんか、やりやすそう。桜井くん、静かだけど、ちゃんと聞いてくれるから」


 幸子が笑う。その笑顔は、本当に自然で、明るかった。俺はほとんど聞いているだけだったが、幸子は気にしていないようだった。むしろ、楽しそうに話し続けた。


「あのね、私よくドッジボールやサッカーが好きで男子に交じってたの」

「俺もドッジボール好きだった」


「え、本当?」


 幸子が嬉しそうに身を乗り出す。


「うん。休み時間、よくやってた」

「一緒じゃん! 上手いの?」


「ボールを当てるのは下手だけど、キャッチは自信ある」

「へぇ。でも中学になるとみんなドッジボールしなくなるよね」


「どうしてだろ?」

「……」


 俺は少し考えた。


「大人になるからかな」


 鞄から本を取り出す。


「これ、面白かったんだ。よかったら」

「ありがとう。読んでみる」


 幸子が本を受け取って、嬉しそうに表紙を眺める。


「お返しに今度、私もおすすめ貸すね」

「ああ」


 昼休みの終わり際、幸子がふとそう言った。


「桜井くんって、聞き上手だね」

「そう?」


「うん。ちゃんと聞いてるでしょ? わかるよ。ありがとう。話すの好きなんだ、私。でも、聞いてくれない人も多いから。桜井くんは、ちゃんと聞いてくれる。それが嬉しい」


 その言葉に、胸が熱くなった。


「俺も、中川さんの話、面白い」

「本当?」


「うん」

「良かった」


 幸子が本当に嬉しそうに微笑んだ。


 放課後になった。朝のホームルームと同じように、帰りのホームルームがある。学級委員の仕事だ。


「えっと、じゃあ……」


 俺が前に立って、どう進めていいかわからず戸惑っていると、幸子が隣に立った。


「じゃあ、帰りのホームルームを始めます」


 幸子がはっきりとした声で言う。


「起立。礼」


 みんなが立ち上がって、神谷先生に礼をする。


「ありがとうございました」

「はい、お疲れ様でした。明日も元気に来てください」


 神谷先生が笑顔で言う。


「着席」


 幸子が言って、みんなが座る。ホームルームが終わった。俺は幸子に言った。


「ありがとう。助かった」

「大丈夫。最初は緊張するよね。慣れれば簡単だから」


「うん」


 教室を出ようとすると、幸子が鞄を持って立っていた。


「桜井くん、どっち方面?」

「北商店街の方」


「一緒じゃん。私も北商店街の先。一緒に帰ろ」

「いいの?」


「何が? 別に、誰と帰ったっていいでしょ」

「そうだけど……」


「じゃあ決まり」


 校門を出て、北の商店街へ向かう道を並んで歩く。春の風が気持ちいい。桜の花びらが、時々風に乗って舞っている。


 幸子がまた喋り始めた。


「ねえ、桜井くん。今日の授業、どうだった?」

「普通かな」


「英語、ちょっと難しくなかった?」

「まあ、小学校の時とは違うからな」


「そうだよね。でも、頑張らなきゃ。中学って、小学校と全然違うね」

「うん」


「制服着るのも、なんか不思議な感じ」

「わかる」


「桜井くん、制服似合ってるよ。なんか、大人っぽい」

 幸子が笑う。


「ありがとう」


 商店街を抜けて、住宅街に入る。静かな道だ。


「あ、そうだ。私、この先の角を曲がったところ」


 幸子が住宅街の奥を指さす。


「そうなんだ。俺はもうちょっと先」

「じゃあ、途中まで一緒だね。明日も一緒に帰ろうね」


 幸子が当然のように言う。


「うん」

「やった」


 幸子が嬉しそうに笑った。角まで来ると、幸子が立ち止まった。


「じゃあ、また明日。学級委員、頑張ろうね」


 幸子が手を振る。



 次の日も、幸子は朝から明るく話しかけてきた。


「おはよう、桜井くん」

「おはよう」


「昨日貸してくれた本、読み始めた。面白い。続き気になる」

「良かった」


「ありがとう」


 朝のホームルームが始まった。今日は俺が進行する番だった。


「起立」

 俺が言うと、みんなが立ち上がる。


「礼」

 神谷先生に礼をする。


「おはようございます」

「はい、おはようございます。今日も一日頑張りましょう」


「着席」


 無事に進行できた。幸子が小さく親指を立てた。「できたね」という合図だ。昼休みも、幸子は当然のように隣に座った。


「今日も一緒に食べよう」

「うん」


 それが習慣になっていった。朝、幸子が話しかけてくる。昼休み、一緒に弁当を食べる。放課後、一緒に帰る。幸子がよく喋り、俺が聞く。それが二人のパターンだった。


 一週間が過ぎた頃、幸子が言った。


「ねえ、桜井くん。友達、できた?」

「え?」


「クラスの他の子と」

「まあ……少し」


 本当は、あまりできていなかった。幸子以外とは、ほとんど話していない。


「そっか。私は、桜井くんと友達になれて良かった」


 その言葉に、胸が熱くなった。


「俺も」

「本当?」


「うん」

「嬉しい」


 幸子が本当に嬉しそうに笑った。その笑顔を見て、俺は思った。


 幸子は、初めて俺を「そのまま」受け入れてくれた人だった。無口でも、暗くても、一人でいることが多くても。幸子は気にしなかった。それどころか、「聞き上手」だと言ってくれた。俺の中に、初めて誰かに必要とされている感覚が生まれた。それが、後に俺を縛ることになるとは、その時はまだわからなかった。


 幸子の笑顔は、本当に眩しかった。俺にとって、幸子は特別な存在になっていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ