向き合えない距離
――白松さんが学校へ来ていない
授業なんて全く頭に入らなかった。
ノートを取る手も止まってしまうし、先生の声が遠くに感じる。
白松さんがいない――それだけで、胸の中がもやもやと晴れない。
放課後、教室の中は帰り支度をするクラスメイトたちでざわついていた。
その中で俺だけ、帰る気にもなれず席に座り続けていた。
どうして白松さんは学校に来ていないんだろう?
理由が知りたい。でも、直接聞くわけにもいかない。
俺は少し考えたあと、意を決して教室を出た。
向かった先は――図書室だった。
窓際のテーブルに、宮田葵さんが一人で座っているのが見えた。
白松さんと同じ図書委員で、彼女のことをよく知るはずだ。
「や、やあ……」
緊張で声が上ずっている自覚はあったが、どうしても話しかけたかった。
「? どうしたの、桜井くん?」
宮田さんは首を傾げて不思議そうに俺を見つめる。
「あ、いや……その……」
何て切り出せばいいか分からず、しどろもどろになりながら続ける。
「白松さん、今日学校休んでたけど……何か知ってるかなって」
「ああ……」
宮田さんは少し考えるような仕草を見せてから、静かに答えた。
「今日は特に聞いてないけど……最近ちょっと疲れてたみたいだから、そのせいかもね」
「疲れてた?」
俺が聞き返すと、宮田さんは視線を落としながら言葉を続けた。
「ゆりって、あんまり自分のこと話さないんだよね。だから、本当は何か悩んでるんじゃないかなって思うこと、時々あるんだ」
その言葉に、胸がざわつく。
確かに白松さんは時々、遠くを見つめるような表情をしていた。それでも彼女はいつも笑顔を作っていたから、深く考えずに流してしまっていた。
「ねえ、桜井くん」
ふいに宮田さんが真っ直ぐ俺を見つめてきた。
「ゆりと……最近、何かあった?」
心臓が跳ねる。宮田さんの鋭い問いかけに、どう答えるべきか迷った。
「え、どうしてそう思うの?」
「だって、ゆりが桜井くんのこと気にしてるの、分かるもん」
宮田さんの声は穏やかだけど、その言葉には確信が込められているように感じた。
「最近のゆり、なんだか無理してる感じがする。桜井くんの前では平気そうに見えるけど、本当は……ちょっと苦しそうに見えたよ」
その言葉が胸に刺さった。
「……実は昨日、別れたいって言われたんだ」
俺はため息交じりにそう答えた。
宮田さんの目が驚きで大きく見開かれる。
「えっ……そうだったんだ」
「ああ。でも理由は分からない。何かあったなら教えてほしいのに……何も言わないまま突然別れを切り出されてさ」
言葉を続けるたび、胸の奥がじんと痛む。
宮田さんはしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開いた。
「それ、ゆりらしいな」
「どういう意味?」
「ゆりってね、何でも自分で抱え込むんだよ。本当は甘えたいとか、助けてほしいって思ってても、それを言えないの。相手のことばかり考えて、自分の気持ちは隠しちゃうんだ」
宮田さんの言葉が、胸にじんわりと広がっていく。
「だから、桜井くんのことを思って、あえて別れようって言ったのかもね」
「……俺のことを思って?」
「うん。でも、そんなこと言われても桜井くんだって納得できないよね」
「ああ……そうだな」
俺は言葉を失った。
宮田さんは少し微笑みながら、優しい声で言った。
「私もね、ずっとゆりに声をかけるタイミングを逃してたの。だから……桜井くんにはちゃんと向き合ってほしいって、勝手に思っちゃった。桜井くんがゆりのこと、本当に大切だって思っているならね」
図書室を出た俺は、その言葉を何度も頭の中で繰り返していた。
「向き合う……か」
白松さんが自分の気持ちを隠していたとしても、俺はそれを見逃してしまった。
彼女の気持ちに本気で向き合うべきだったんだ。
でも今からでも遅くないはずだ。
そう思いながら、俺はバイトへと向かう足を早めた。