第46話 誰が誰を殺すのか
演武場へ向かう途中で銀竜騎士団の宿舎へ立ち寄る。演武場から近く、騎士団員が出入りして不自然でない場所、ここ副団長室に本日の調査結果が知らされる予定になっているのだ。
アリーチェの護衛に回っていない人員はすべて、マリーノ港およびマリーノ伯爵邸へ向かっている。強制的に立ち入って内部を捜査するためで、陛下が開会を宣言した頃が突入予定時間となっていた。そろそろいくらかの報告が上がっていてもいいはずだ。
予想通り机上には簡易の報告書が何枚も重ねられ、押収した証拠品も積み上げられていた。報告書へ目を通し、証拠品と照らし合わせていく。
予選の時間だと呼びに来る者があれば一度席を外して演武場へ向かい、終われば戻って報告書を読むという繰り返しだ。
棚に並んでいたディエゴ・カッターニおよびその愉快な仲間たちに関する調書とも突き合わせ、マリーノ夫妻とディエゴが強く手を結んで法外の輸出入を行って来たことを確信した。これでいつでもマリーノ夫妻を捕縛できるし、伯爵家を潰すこともできる。
「問題は、ミリアムがこれらの事件に関わっている決定的な物証がないことか」
状況証拠を積み重ねればそれなりの罪を問うこともできようが、それなりだ。家が潰れ、その身ひとつで放り出されるのだからこの先の人生はそれなりの苦労を伴うだろう。
だがアリーチェが伯爵令嬢として享受できたはずの一切を奪って虐待に加担し、母の墓参りさえさせず、さらに今後もマリーノ家の奴隷として飼い殺そうと画策した女を、その程度で許せるはずがない。
アリーチェのほうは上手くいっただろうか。彼女につけておいた部下が誰ひとり駆け込んで来ないのだから、大丈夫だと信じるほかないのだが。
報告書から目を離して伸びをしたところで、準決勝の時間であると声が掛かった。相手側が順調に勝ち進んでいるなら、この準決勝の相手はマリーノ伯爵トマスだ。自然、拳に力が入る。手癖に任せて髪を結び直し、席を立つ。
「わざわざこんなところまで足を延ばすとはよほど暇と見える。何か用事が?」
執務室から出て少し歩くとエリゼオ・ロヴァッティと遭遇した。アリーチェに関わることでは警戒したい相手だが、現状はそれ以上に世話になっているから無視もできない。
エリゼオは難しい顔をして頷いたものの言葉を選んでいるのか口が重い。
「歩きながらでいいだろうか」
「ああ、そうですね。失礼しました」
大規模な大会が開催されているせいか宿舎内は静かで、いつもならフラフラとあてもなく歩き回るような非番の部下の姿さえ見えない。恐らく、演武場へ見学にでも行っているのだろう。
オーバル型をした演武場の外壁が見えてきたころ、やっとエリゼオが言葉を発した。
「閣下は何をお考えなんです? アリーチェ嬢のお気持ちをご存じなんでしょう」
「漠然とした質問だな」
「あなたは記憶と感情を封印すると言った。二度と解けないように完全に」
「……何が言いたい?」
エリゼオの言わんとすること、少なくともこの話がどこへ向かおうとしているのかは察しがついた。そしてそれは、触れてもらいたくない部分でもあった。できることなら自分自身が見て見ぬふりをしたいと望んでいるくらいなのに。
「なんらかの事故あるいは傷病によって記憶を失う事例はいくらでもあります。記憶を失う前と後とで、それは同一人物と言い切れるでしょうか? 味覚が変わったとか、趣味嗜好、価値観、気風……変化があったという例は枚挙にいとまがない」
今でこそ平和な風が吹くこの王国だが、数十年前には隣国と領地を巡って争っていた。戦地から帰還した兵の中に、そういった症例が散見されるとの報告があるのは知っている。
俺の場合は自身で選択して得た結果であり、俺が俺であることに違いがあるなどと考えたことはなかったが。
「あなたの場合、感情までも封印するのです。今のあなたに冷酷非情という言葉は似合わないが、封印してしまえば元の通り……今とは別人になるでしょう。アリーチェ嬢にとってみれば、ジョエル・フォンタナという人物が死ぬのと変わりない」
「死ぬ?」
「愛した人物と同じ姿をしているだけ一層たちが悪い。邪悪とさえ言える。わからないか? あなたはあなた自身の手で、アリーチェ嬢の愛する人を殺そうとしているんだ!」
呟くようにボソボソと話していたエリゼオの声が次第に大きくなる。
いつの間にか俺もエリゼオも足を止めていた。
「違う、そうじゃない。俺という存在こそが、俺の愛する者を死に至らしめるんだ。誰かを愛するべきじゃないし、愛されてはいけない。俺なんかを愛してはいけない」
「じゃあなんで! どうして彼女の心をもてあそぶんだ、どうして彼女に優しくする? どうして」
「俺が大切にしていると思わせれば、誰も彼女を無下にしない。このさき俺は、彼女の身柄は守っても心まで注意を払うことはないだろう。今できるだけ悪意の根を潰しておくしかない」
エリゼオが唇を噛んだ。
彼の言わんとすることはもちろん理解する、が、彼はひとつ思い違いをしているようだ。人間は愛のためにいとも簡単に命を投げ出すことがあるのだと知らないらしい。
こちらを睨みつける緑色の目を避けるように背を向けて、演武場へ急ぐ。
「彼女は忘れられないんだぞ! あなたのように投げ捨てられない。何もかもを抱えて生きていかなきゃいけないんだ。だったら、だったらそのでかい荷物をあなたが持ってやればいいだろうが!」
常に物静かなエリゼオからは想像もつかない叫び声が、俺の背中を殴りつけた。
風が揺らした木々の枝葉が歌うように囁く。
――私があなたの分まで覚えておきますから。




