8話
第八話 ありがとう
「実は・・・叶も来ているんです」
「・・・え?」
祖母が病室の扉を見る。
その先には小柄な少女が立っていた。
叶だった。
しばらく会っていなかったのに、すぐに分かった。
あの日の光景が頭に焼き付いているからかもしれない。
「・・・」
叶は病室に入ろうとしない。
俺も何を話せばいいのか分からなかった。
ただ、一つだけ気になっていたことがある。
「怪我」
思わず口から出た。
「え?」
「怪我とかしてない?」
叶は少しだけ目を見開く。
「・・・大丈夫です」
「そっか」
少しだけ安心する。
後遺症はないと聞いていた。
それでも実際に本人を見るまでは安心できなかった。
「ならよかった」
本当にそう思った。
⸻
祖母に促されるようにして、叶は病室へ入ってくる。
少し気まずい沈黙が流れた。
先に口を開いたのは叶だった。
「・・・ありがとうございました」
小さな声だった。
「助けてくれて」
そう言って頭を下げる。
俺は少し困った。
感謝されるようなことをしたつもりはない。
「いや・・・」
何と言えばいいのか分からない。
「・・・なんで」
叶が俯いたまま聞く。
「ん?」
「なんで私なんか助けたんですか」
⸻
その言葉に少し考える。
なんで。
そんなこと、あの時は考えていなかった。
炎が見えていた。
悲鳴も聞こえていた。
ただ、それ以上に頭に残っているのは。
火が付く前のことだった。
「俺さ」
ゆっくり口を開く。
「止められなかったんだよ」
叶が顔を上げる。
「警察にも連絡した」
「必死に止めた」
「でも火は付いた」
今でも思い出せる。
笑っていたあいつら。
燃え始める家。
何も出来なかった自分。
「だから・・・」
言葉を探す。
「助けたいとも思った」
それは本当だ。
「でも多分」
視線を落とす。
「今からでも何とかしなきゃって思ったんだと思う」
「俺が止められなかったから」
病室が静かになる。
「俺がもっと上手くやれてたら」
「もっと強かったら」
「そもそも、あんなことになってなかったかもしれないし」
苦笑が漏れる。
何度考えても答えは出ない。
⸻
「でも」
俺は続けた。
叶を見る。
ちゃんと生きている。
怪我もない。
それだけは本当に良かった。
「君を助けられたことは良かったと思ってる」
それは本音だった。
後悔なんてしていない。
もし同じ状況になったとしても、多分また飛び込む。
だけど。
「・・・でも悔しい」
自然と口から出た。
「え・・・?」
「君が助かったのは良かった」
「本当に良かったんだ」
何度でもそう思う。
だけど。
脳裏には別の光景が浮かぶ。
炎。
崩れる家。
助けられなかった二人。
「でも」
声が少し震える。
「それで終わりじゃないんだよ」
「俺」
拳を握る。
「守れなかったから」
病室が静まり返る。
「だから今でも」
「これで良かったなんて思えない」
⸻
叶は何も言わなかった。
ただ静かに聞いていた。
そして。
しばらくして小さく口を開く。
「・・・私」
声が震えている。
「私も」
そこで言葉が止まる。
祖母が心配そうに見守っていた。
「・・・ごめんなさい」
「え?」
思わず聞き返す。
「私」
涙を浮かべながら俯く。
「何も出来なかったから」
その言葉を聞いた瞬間、俺は首を横に振った。
「いや」
叶が顔を上げる。
「君が謝ることなんてないよ」
本気だった。
あの時。
一番辛かったのは叶だ。
両親が燃えていく姿を目の前で見て。
何も出来なかった。
そんな状況で動けなくても当たり前だ。
むしろ謝るべきなのは――。
「・・・」
脳裏にあいつらの顔が浮かぶ。
笑いながら動画を撮っていた連中。
火を付けた連中。
そして。
何も止められなかった自分。
拳を握る。
「俺さ」
小さく呟く。
「今でも考えるんだ」
病室が静かになる。
「もっと力があったら」
「もっと強かったら」
「ちゃんと止められたんじゃないかって」
炎が上がる前に。
家が燃える前に。
誰かが死ぬ前に。
「俺があの時止めていたら」
声が掠れる。
「君も」
「君のお父さんもお母さんも」
「こんなことにならなかったかもしれない」
今でもそう思う。
何度も。
何度も。
何度も。
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