3章7話・2 三池柘榴という男・2
「──動画配信者。へえ。面白い商売もあるもんだなあ。しかもホラー系ときた」
ミケは台船のクレーンアームで吊るされながら、ミケと、ミケのつくった動画を興味深そうに見比べてる男を呆然と見下ろしていた。
矢馬童切。
堂々たる偉丈夫でありながら、子供のような瞳の輝きを持つ男は、スマホでミケの造った動画を見ながら、いちいち「おお」とか「すげー」などとリアクションを取っていた。後ろ手に組み、微動だにしない周りのスーツ姿の部下たちとはあまりに対照的なその姿。
「……おろしやがれ……おろせ……」
すでに下っ端たちにボコボコに殴られ、息も絶え絶えになっていたミケは呻いたが、悲痛な声を聞き届ける良心のある人間は、その埠頭には存在しなかった。
借金を返すのを忘れて、催促に来た下っ端から逃げ、逃亡先のネットカフェで捕まったミケの様子を、裏社会の男たちが無表情で見物していた。
真夏の炎天下で宙吊りにされたあの日の苦痛は、もう思い出せない。日焼けした肌だけが、いつまでもヒリヒリと痒かったのを覚えている。あまりにも辛い出来事は、人は記憶から消すものらしい。
遠くから宙吊りにされたミケを眺めながら、矢馬はさも愉快そうにくつくつと笑っていた。
「柘榴、柘榴かぁ。素晴らしい。いいセンスだ。キラキラネームってやつだな。なあ柘榴。仕事に熱中するのはいいが、借金はちゃんと払わなきゃなあ。お前みたいなヤツのことだ、きっと税金も払ってないんだろう? 税金の滞納はやめておけ。国税は怖いぞぉ? オレたちよりずっと怖い。あいつら、蛇神憑きかってぐらいにどこまでも追ってきやがるんだ。だから、おれたちに捕まっちまったのは、お前にとっちゃ不幸な出来事だと思ったかもしれないが、むしろ幸運だと思った方がいい。お前はラッキーボーイなんだ。……なあ柘榴、おれの話、ちゃんと聞いてるか?」
矢馬は得意の長口上で何かを喋ってはいるものの、クレーンで吊るされているミケにはもちろん、ほとんど聞こえなかった。
するとそこに、青白い肌をした、黒マスクをつけた長身痩躯の青年──後に、矢馬組若頭、灰島蒼衣という男だと知ることになる──が現れて、拡声器を矢馬に差し出した。
「親父さん、これを……」
「おっ、さすが蒼衣。気が効くな。ふーっ、あー、テステス」
きん、と一つハウリング音を鳴らして、拡声器ごしに矢馬は告げた。
「なあ、柘榴ォー? お前の動画、結構人気あるんだってー? おれたちの商売に協力してくれるんなら、命は助けてやってもいいぞー。どうするー?」
「……ああ……?」
「おっ、反抗的な顔つきだな。いいぞ。ナイスガッツだ。蒼衣、一発落としてやれ」
命じられた灰島蒼衣がスマホで誰かに何事か指示した瞬間、クレーンアームに吊るされていたミケの身体は、一気に海に落とされた。
盛大な水しぶきと共に、落ちたミケを待っていたのは、痛くなるほどの水の塩辛さ。岸壁にくっついたグロテスクな貝。足に絡みついてきそうな黒々とした草。自転車やタイヤなど、数多のごみ。そして生臭さ。
──海水の生臭さは、海で死んだ数多の命の匂いなのだという。
死の予感と共に、そんな雑学を思い出していたミケが引き揚げられた。
地上で待っていた矢馬が、ニヤニヤと笑いながら尋ねる。
「どうする? ウチの仕事、手伝ってみるか?」
選択肢など、あるはずもなかった。
──かくして、三池柘榴はグレイブヤードの一員として加わることになった。
入社してすぐの頃は、ミケは完全に浮いていた。
というより、会社に馴染むつもりが毛頭なかった。
定時ギリギリにやってきて、PCを開き、挨拶もせずに仕事を始める。社内の雑務には一切手をつけない。決められた目標だけを淡々とこなし、定時が過ぎれば打刻をして帰っていく。
やる気は当然、なかった。しかし矢馬に借金の元本を返すまでは辞められない契約だった。中途半端に投げ出したら、海のなかに逆戻りだ。
裏社会の人間に常に監視されている息苦しさは当然あったが、逆にいえば指示にさえ従えれば文句は言われない。社会保険に入れるし、そう悪い話でもなかった。
ただ、周囲との軋轢は、当然あった。
”とら”やチカは表立って何も言わなかったが、注意したいことや言いたいこともあっただろう。二人と険悪な関係にならずに済んだのは、おそらく社長の棺が取り計らってくれたおかげだろうと、ミケは思っている。
入社して三ヶ月ほどが過ぎた、ある日。
「ミケ、今日は残業か?」
珍しく、黒澤棺がオフィスに顔を出した。
社長である棺とは、当時ほとんど関わりがなかった。ミケは目も合わさず頭だけを下げて、無愛想に返事をした。
「……ッス。キリの良いところで終わらせたいんで、あと一時間ぐらいだけ残業お願いしやす」
「なら、おれも手伝う。どの辺り手をつけてない?」
空いているデスクでノートPCを開き出した棺を見て、ミケは目を丸くした。
「いやいやいや……社長にやってもらうような仕事じゃないッスよ。オレやりますんで、休んでください」
「お前が来るまではおれが持ってた仕事だから、いい。それに、社長だからやるんだよ」
──変わったヤツ、というのが、そのときの印象だった。
黒澤棺。ミケよりは年下。ヤードの社長で、裏稼業の一門の生まれ。一生遊んで暮らせる身分だというのに、こんな薄汚れたビルで少ない社員と、オカルト商品の販売などという胡散臭い仕事をしている。雇用主なのか従業員なのか、よくわからないポジションの人だった。
だが、社員の仕事を手伝ってくれる人間だということが、この時わかった。
以来、忙しい時期になると、棺はミケの仕事を手伝うようになった。
そういうことが何回か続いた日の残業終わり、棺はミケを食事に誘った。
会社の人間と関わることを嫌うミケは当初、断ろうとしたが、その月はどうしようもない金欠だった。少しでも食事代を浮かせるために、棺に同行することにしたのだった。
「──そういえば、もうすぐ正月だな。ミケは実家、帰るのか?」
ステーキハウスのランチを食べ終えた直後、棺がそう口火を切った。ミケはワインを呑みながら答える。
「いや、帰んないス。オレ、実家とかないんで」
グラタンを食べ終えた棺はちらともミケを見ず、アイスコーヒーを呑みながら言った。
「そう」と棺は呟いたあと、数秒して、「聞いて悪かったな」と謝罪してきた。
その、いかにも気遣い慣れしていない感じに、ミケは吹き出した。
「いッスよ、別に。たいしたことじゃないんで。社長は? 正月、”上”のヒトらと新年会みたいなのやるんスか?」
「あぁ、そうだな」
答えてから、棺はふーっと息を吐くと、一言、
「……マジで苦痛」
「ぎゃははは。マジ?」
まさか本音が聞けるとは思わず、タメ口が出てしまうミケ。棺は機嫌を損ねることもなく、口角を緩めて頷いた。
「マジだよ……。スーツ着た強面にずらっと囲まれてよぉ、一挙手一投足じーっと見られるんだぞ。嫌に決まってるだろ。あの整髪料と香水の匂いを思い出しただけで立ちくらみしてくる」
「ハハ……。社長は親ガチャ成功してると思ったスけど、色んな苦労があるんッスね」
「……」
あ、やべ。
つい余計なこと言ってしまった、とミケは口をつぐんだ。深く考えず喋ってしまうのは、ミケの悪いクセだった。
「……お前にしてみたら、そうだよな」
そう、含みのある言い方をされたミケは、唐突に、棺の身の上話を聞きたくなった。
それは、調子に乗って頼んだ二杯目のワインのせいだったのかもしれないし、二徹してハイになっていたせいかもしれない。
あるいはもっと前から、ミケは黒澤棺という人間に、興味を持っていたのかもしれなかった。
いずれにしても、ミケはその時、棺の過去を聞き出した。
質問された棺はかなり驚いていた。だが、隠すことはなく、ぽつりぽつりと語りだした。
母親のこと、父親のこと、実家のこと、過去のこと、この仕事を選んだこと。
それを聞いたミケは、素直にこう思った。
──このヒト、オレより人生悲惨じゃん。
こんな人間がいるんだ、と純粋に思った。
自分がこの世の最底辺にいると思っていたミケにとって、それは新鮮な驚きだった。
テレビやニュースでしか見聞きしたことのない人間──例えば戦争体験者や災害被災者に実際に出会ったような、純粋な興味な好奇心を、ミケは棺に対して抱いた。
もっと棺の話を聞きたい。
他人に対して、久しぶりにそんなことを思ったミケは、電子タバコを吸い終えた頃、棺にこう提案した。
「──社長。年末、二人で、どっか行きません?」
「え?」
「憂鬱な正月を迎える前に、どこか、普段いかないようなトコ。呑みでもいいし、カラオケ──ってガラじゃねえか。ダーツバーとか、ボーリングとか。なんでもいいッス。オレ、金ないんで、安いところがいいッスけど」
それを聞いた棺の瞳が、みるみる大きくなっていたのを、ミケはよく覚えている。というか、生涯忘れることがないだろう。
棺は、文字通り目を輝かせて、こう言った。
「行きたいところ、ある」
続きは明日更新します。みなさんほん怖を観ましょうね。




