3章7話・3 三池柘榴という男・3
大晦日、深夜23時。
品川駅で待ち合わせたミケと棺は、快速列車に乗り込んで、伊豆方面へと向かった。
ニットの帽子と丸眼鏡をかけ、軽く変装していた棺は、誰にもバレなかったとドヤ顔をしていた。まるで家出だ、とミケは笑った。
正月の臨時運行のおかげで、電車は深夜でも走っていた。特急と各駅停車を乗り継いで、伊豆の南端の海岸線近くの海で電車を降りた時、すでに深夜3時を回っていた。明け方まで、二時間を切っている。
「ううっ……寒ッ」
海岸についた途端、ミケは身を震わせた。
浜辺に流れ込んでくる真冬の海風はぞっとするほど冷たい。夜の海は黒くたゆたい、コールタールが蠢いているようだった。
同じく、寒さで身体をガチガチに硬直させている棺が、砂浜を眺めて呟いた。
「結構、人、いるんだな……。ここでキャンプして年越し」
「ッスね。こっから見える初日の出、キレイらしいッスから。キャンパーには有名らしいッスよ。オレらも座りましょ」
「うん」
ミケが100均で買ってきたブルーシートを広げて、二人で腰を下ろした。
棺が近くの自販機で缶コーヒーを買ってきてくれて、それで手を温めた。日の出まで、まだまだ時間がある。そのうちに、ミケはブルーシートに寝転ぶと、棺もそのマネをして仰向けに寝そべった。
大晦日の夜空には、鈍色の星の光が瞬いていた。
空は真っ暗というわけでもなく、青いとも、紺色ともいえない。
空の果ては色が濃く、地上に近ければ明るくて、見事なグラデーションがミケと棺を含めた世界を見下ろしていた。
対岸の空は、圧倒されるような景色をいつも描き出せるのに、地上はなんでこんなにも醜く貧しくて辛いのだろう。
ガラにもなくそんなことを考えていたミケは、ぼーっと呟いた。
「……夜空なんて見上げんの、いつぶりかなー」
「ん?」横たわった棺が、首を傾けてミケを見つめてきた。
ミケは夜空を見上げたまま、笑って言う。
「いや、いっつもイヤホンつけてスマホばっかり見てるじゃないスか。夜の空気の匂いも、音も、なんかすげー久しぶりな気がする」
「うん。……おれも。言われてみれば、そうかも」棺がそっと微笑む気配。「なんか、いいな。こういう時間」
「そッスね」
感慨深そうな棺に対して、ミケは素っ気なく返す。棺のように、感動を素直に口に出来るほど、ミケはロマンチックではない。要するに照れていたのだ。
でも、とミケは思った。
美しい夜空も、しとやかな海の音も、甘ったるいコーヒーも。
いつぶりだろう。
誰かと笑い合うのが。誰かと過ごすのが。
そこから、どれぐらい過ごしていただろうか。
気がつくと、近くにいたキャンパーたちの歓声が聞こえた。うとうとしていたミケは身体をあげて「……おおーっ」と小さな歓声をあげた。
朝日が昇ったのだ。
「社長、見てくださいよ。朝日。初日の出っすよ」
「うん? ……おおー」
眠そうに目をこすりながら身体を起こした棺が、目を丸くして驚いていた。
白く輝いた、巨大な宝石のような光が、水平線からゆっくりと昇ってきて、ミケたちの視界一杯に広がっていた。
暗澹たる夜空はもはや消えて、砂浜の白と、瞬きが新年を彩っていた。
世界の全ての苦痛も悩みも消し去ってしまう、浄化の輝きのような光。
「今日の日のこと、一生忘れられないかも」
水平線を見つめたまま、棺が言った。
大げさだ、とミケが思ったのは、それも一瞬だった。
未来がどうなってしまうかなんてわからないけど、そうであればいい。そう、心から思った。
「……来年もまた、来てぇ……いや、来ましょうよ。二人で」
ミケが、心から言った。
棺は、すぐには返事をしなかった。
遠慮がちにミケを見上げ、まじまじと見つめてきた棺は、やがて口を開いた。
「……うん……うん、そうだな」
うわ言を言うようにぼんやりと呟いた後で、棺は改めてこう言った。
「あけましておめでとう、ミケ」
「……あけおめことよろッス。社長」
二人は、すっかりぬるくなった缶コーヒーを開けて、乾杯をした。
曙光を受けた棺の瞳は、朝日のせいか、少しだけ輝いていた。
いいもの見れたな、とミケはなぜか、ほんの少し得した気分になった。
──あの日の約束は、ウソじゃない。
過去を振り返ったミケは、あらためてそう思う。
本当にそうであればいいと思っていた。
毎日ちゃんと仕事をして、借金を少しずつでも返して、来年も再来年も、棺とあの海岸で年越しできればいいと思った。
でも、明日がちゃんと来るかなんて、誰にもわからない。
1年後には大災害が起きているかもしれないし、ミケはうっかり事故か何かで死んでいるかもしれない。職場がカチコミされて爆発でもするかもしれないし、もしかしたら、棺も約束を忘れているかも。
三池柘榴は、将来を期待しない。未来を夢見ない。散々裏切られてきた人生だったから。
だから、今この仕事を、全力でこなす。
ミスをすれば挽回する。汚点は残さない。ゲーム感覚でパワハラしてくるクソな矢馬だろうが、正体不明の進化する呪いだろうが、ミケは食いつき、立ち向かう。
仕事だけは、誰にも奪わせない。仕事だけが、ミケが人生のなかで得た、唯一の居場所だから。
例え、自分自身の記憶と意識をなくすことになっても。
──なぁ、社長。アンタも、これが最善だって思うだろ。
ミケは少しだけ──ほんの一欠片の良心で、棺に詫びた。
──もし、あの約束を期待してたのなら、ごめん。リスケするわ。
もしかしたら、ずっと、予定の埋め合わせはできないかもしれないけど。
そう、苦笑しつつ、
三池柘榴は、咆哮する。
続きは火曜日予定です。よろしくお願いします。→すみません、寝落ちしてしまったため翌日持ち越します。




