3章3話・3
十三が七杯目、ミケが四杯目のグラスを積み上げた頃。
だいぶ酔っ払ったらしいミケが、お通しのキャベツの芯を皿にこつこつとあてながら口火を切った。
「……はああ〜〜〜マジ仕事やってらんね〜〜よな〜〜」
その頃にはチカがテーブルに混ざってきて、男二人の飲みに参戦していた。愚痴を漏らすミケを呆れた目で見つめて、チカは諭す。
「やってらんないのはわかるけどさ〜〜、社長に食ってかかンのはやめなよ。アンタ普通の会社だったらクビだからね」
「わかってますよそんなんは言われなくっても〜」
言って、ミケはキャベツの芯を口に放り込む。少し尖ったその耳の先端は赤くなり、大きな猫目はあちこち揺れていた。
「社長じゃあなくってえ、オレがムカついてんのはぁ、矢馬の野郎でーす。あいつが全部の悪ィーんでしょ? ぜんぶの元凶でしょ?」
矢馬の名前を聞いて、十三は胃が逆流するかと思った。
あの指──日に焼けた、ゴツゴツとした矢馬の指に、口のなかを好き勝手に蹂躙された記憶を思い出して、酔っ払った脳みそに一気に冷や水を浴びせられた気分になった十三である。
嫌な気持ちを飲み下そうと、十三はチカに、前から気になっていたことを問いかけてみることにした。
「あの、チカさん。矢馬さんって、なんでそんなに会社で強い権限もってんですか?」
「んーそうねぇ〜〜……何から話せばいいのかな〜〜」
こちらもすっかり顔を赤くして出来上がっているチカが、グラスの氷をカラカラと動かしながら、悩ましげに答えた。
「矢馬クンって、楽叉会のNo.2なのね。楽叉会若頭、兼、矢馬組組長、矢馬童切。現会長にいっちばん信頼されてる、会長の懐刀ね。そのせいで古参の構成員でも、あいつに逆らえない。組織の実権を握ってんのも、ヤードが商売できてんのも、あいつのおかげなんだわねー」
「うえ……そんなにエライんスか」
思いきり顔をしかめる十三。今日みたいに、気軽に口答えするのはやめておこうと固く誓った。
そうね、と相槌を打ったチカの目がすっと鋭利に細まる。
「……先代の内輪揉めで傾きかけた楽叉会が、ここまで持ち直したのも、半分は矢馬クンのおかげと言っても過言じゃないからね。ま、辣腕家よ。悔しいけど」
「立て直したってのは、どういう理由でー?」
「ん〜〜〜」
ミケからの質問を受けたチカの眉間に、シワが寄る。
「これ話していいかな〜〜。とらちゃんに怒られるかもな〜〜。ま、いいか」
わずかの間、悩んでいたチカは、あっさりと切り替えて話し出した。
「ちょっと話が長くなっちゃうけどさ──先代からの代替わりン時って、ウチらみたいな裏社会の商売がさ、だんだん厳しくなってきた時代だったワケよ。暴対法とか聞いたことあるでしょ? あれが施行された時代。ウチらもそんなに大きな組織じゃなかったから、そりゃもう弱っちゃってね〜。シノギは減る、構成員は減る、資金源もなくなる。組織の力が、だいぶ揺らいでた時期だったの。そんなとき、まだ若手だった現会長と矢馬クンが、”件”の取引っていう、まだ誰もやってなかったビジネスに手をつけて、それがなんか上手いこといって。一気にガッと儲かっちゃって、組織のカネもドカンと増えたワケよ」
「はぁ」
チカの話はなんとも抽象的で、十三にはイマイチ飲み込めなかったが、ミケはすんなりと理解したらしい。
「んじゃあ──楽叉会が今みたいな組織体制に切り替わったのも、矢馬のおかげってワケッスね?」
「ま、そういうことだわな〜〜」
おっさん臭く頷いたチカは酒を煽り、また話し続けた。
「そこまで見事な手腕を発揮されたモンだから、古参の組員も、文句言えなくなっちゃった。なにせ組織解散の危機を救ってくれたワケだからさ。矢馬クンのやり口が気に入らないヤツももちろんいたし、ふざけんなって反発したヤツもいた。でも、会長が力にモノ言わせてぜんぶ黙らせた。だから今は、逆らうヤツは誰もいなくなったよね。ま、そのかわり、現金なヤツばっかが組織に残ってるけど。もしくは、寿組みたいに一枚岩で頑張ってるとことか」
寿組。十三が以前会った、柴犬のような眉毛をした青年が若頭の組だ。
チカは話を続ける。
「そんなワケで先代からも、現会長からも信篤い矢馬クンが、昔から楽叉会がやってたシノギ……用心棒、闇賭博場の仕切り、土地転がし、アジアルートへの薬の横流し、そして”件”取引……ぜ〜んぶ仕切るようになりました、ってワケ。ビジネス、兵隊も、全部ね。そんでそれが、十年以上上手くいってるから、会長も余計な口出さず、矢馬クンの仕切りに任せるようになってる」
「なるほど……。摂政に丸投げしてるようなモンですね」
「そういうコトよ、シノくん。だから──矢馬クンは楽叉会での、黒澤棺社長の後ろ盾でもあるワケ。ヤードをそもそも立ち上げたのも矢馬クンだし、ヤードが開催してるオークションに客が集まるのも、矢馬クンの仕切りと人脈があってこそだからね。社長がその命令に従うのは当たり前。矢馬クンがいなければ、ヤードは存続できないから」
それまで黙って聞いていたミケが、ジョッキをドンと勢いよく置いて気炎を吐いた。
「はっきり言いますけどねえ! オレはぁ、矢馬の野郎の部下だったらとっくにバックレてますからね! ボスが棺社長だから働いてんスよ!」
「知ってる。でもその場合、アンタはもう海の底で魚の餌になってる」
「上等ス。働きたくないクソ野郎の元で働くぐらいなら魚の餌の方がマシっすよ」
「ったく、ガキなんだから。どう思う? シノくん」
「んー……」
十三は、酒が回って半分しか動いていない頭を動かして、思いついたまま口を動かす。
「今の話とヤードの状況を整理すると……まず、矢馬サンがいてこそヤードの商売はある。でも、ミケさんは矢馬さんトコに中間に入られて、莫大な手数料取られるのに不満があると」
「あぁ……」
「じゃあ、こういうことになりません? ウチで、客を見つければいい。”上”を介さずに、自分たちだけの取引先を」
「……あぁ?」
「だって、”件”の情報を仕入れてんのはミケさんでしょ。商品の仕入れはヤードがやってる。で、販売先は”上”が仕切ってる。じゃあ、うちが親に頼らない、独自の販売ルートを見つければ、”上”がいなくなってもやっていける。いや、少なくとも手数料でこれほどぼったくられることはない。違います?」
「……」ミケの据わった猫目が、徐々に大きく開いていった。「そうかも?」
「でも、アテはあるのー?」
頬杖をついて疑問を呈するチカに、十三は即座に答えた。
「一つだけですが、心当たりが。この間の、人形集めてた村の住職。自分の寺に集まってきた人形を、各地のコレクターに売ろうとしてたって話でしたよね? 住職は死んじまったけど、買い手のコネは残ってるはず。その線、辿ってかすめ取ることが出来れば……」
「それならすぐ出来るわ」ミケが早口に言って、スマホを取り出した。「共通のフォロワーがいるから、そいつに聞いてみる。住職が誰に人形売ろうとしたかの情報、たぶん持ってるはず。ちょっと待って……」
言うが早いか、ミケは早速スマホを使ってアテを探しはじめていた。耳は赤く酔っ払ったままだが、仕事スイッチはオンになったらしい。
急くミケに、十三は突っ込んだ。
「でも、それだけじゃビジネスとしては不十分でしょ。どれだけ利益が得られるのか、どれだけ続けられるのかも不透明だし……」
「イヤまーそりゃそうだけど。住職ンとこのはあくまで取っかかりで、そっからまた方向性を探ればいいんじゃね? 何が売れるか、より高い収益を取れそうな商材は何か。今は夏でホラーの需要高まってるから、こっちから営業かけるのもありかもしんねーし。例えば心霊写真とか動画が──」
「ちょっと待ってミケさん!」
十三はスマホを取り出し、ミケがいま喋ったばかりの言葉をメモしていく。
「それ、資料にしてまとめてさ、来週社長にプレゼンしてみない? で、もし社長からGOサインが出たら、実際に業務としてやってみようよ。オレたち二人で」
十三の提案に、ミケは面食らったような顔をしていた。
「社長に? 来週?」
「そう。だってさっきミケさん言ったじゃん。夏で需要高まってるうちに、やらないとさ」
「……」
ミケはしばらく赤くなった三白眼をぎょろぎょろと動かして、天井を見つめていたが、
「それもそうだな」
と、珍しく素直に頷いた。
二人の様子を見守っていたチカが、頬杖をついて笑っていた。
「アンタたち、いい関係ね〜〜。別に仲良しになる必要ないんだね」
「へ?」
「アンタらは仕事で会話できる関係だってコト。……もう、あたしがいなくても大丈夫ね」
そう言って、チカは立ち上がり、鍵束をテーブルに置いた。
「あたし、眠いから先帰るわ。おばさんは去るから、若者は好きなだけ語り明かしてな。酒とつまみ、好きに食っていいよ。カギは締めたら郵便受けに入れといてね」
「いいんですか?」
「おう、好きなだけ飲んでけ若者。グラスだけ洗って片付けてといてねん」
「ありがとうございます」「あざーす!」
チカを見送った後、十三はミケと目が合った。
酒を呑んでじゃっかん充血したミケの猫目が、躊躇いがちにそらされる。
二人きりになって、若干気まずさを感じているのだろう。だが、先ほどまでのツンケンしたトゲがすっかりなくなっているのを、十三は敏感に感じ取っていた。
十三はミケのグラスと自分のものを合わせて鳴らし、強引に乾杯した。
「じゃ、ミーティング、やろうぜミケさん」「……おう」
その後──。
十三とミケの”ひととき”での打ち合わせは、数時間続いた。
「……スケジュール感はこんな感じかな。普段の業務も進めながらやっていくから……」
「遅くね? 今月末の数字に反映できるようにしたいんだけど」
「う〜〜ん……。残業で回してなんとかギリギリかな……」
「タイムカード切ってから働けばいいじゃん」
「……ミケさんもなかなかの社畜だよね……オレも人のこと言えないけどさ……」
時にペンを走らせ、時に口論となり、空いたグラスとタンブラーがテーブルに積み上がっていった。
疲労と眠気で、互いの意識がなくなる寸前まで打ち合わせをした。
夕方近くになって、周囲の店に客がやってくる気配がして、ようやくその日は解散することになった。
帰る間際、二人で使ったテーブルを片付け、チカに預かった鍵で施錠しようとしたとき、ミケが告げてきた。
「んじゃ、オレ先帰っから。お疲れさーん」
──十三は鍵をかける手を止め、振り返った。
ミケが、突然見つめてきた十三に対し、怪訝そうに眉をひそめた。
「なに? なんかあったん」
「いや、初めてじゃね。ミケさんがオレにお疲れ様って言ってくれんの」
「そうだっけ」
「そうだろ!」
「テンション高。怖ぇーわこの酔っ払い」
ミケはいかにも引いているようなセリフだったが、口の端は少し笑っている。まんざらでもなさそうだった。
「じゃ、ミケさん、お疲れ様。また来週ねー」
「あー」
ミケは振り向かず、手だけを振って返し、去っていった。
社会人とは思えぬ適当さに十三は呆れたが、今日はもう説教もケンカもする気はない。
進捗は充分。いや、大満足といっていい。
十三は酒と睡眠不足でふらふらになった身体を引きずって、電車に乗り込んだ。
自宅までは電車で一本、三十分。こういうとき、都会の路線の便利さに舌を巻く。
いつもよりは空いている、休日の下り線の電車のなか。
神田川に滲んだ西陽が、やけに眩しく感じられた。
上機嫌な十三を乗せた電車が、大都会を横断していく。
次は明日夜更新します。




