3章2話・4
「──!!?」
抵抗する時間は、全くなかった。
気づけば十三は矢馬に片手で押し倒され、ベッドに仰向けに転がっていた。
身体の上に矢馬が覆いかぶさってくる。
獰猛な肉食獣が、十三を見下ろし、嗤っていた。
「突然ごめんな。驚いたよな? でも正直──寂しかったんだ。大事に大事に見守ってきたヒナが取られちまうのは寂しい。そして、すごく不愉快だ。──おれはな、十三、オレはいつもご機嫌な人間でいたいと思ってる。機嫌がコロコロ変わる人間ってみっともねぇだろう? だから気をつけてるんだが──おれは俺の楽しい時間に水を刺されるのが、どうにも嫌なんだ。とっても辛くて寂しくなる。ヘンだよな? ガキの癇癪みたいなもんだと思って、許してくれ」
聞き分けのない子供をたしなめるように優しく言った矢馬は、唇が触れ合いそうなほど近くに距離を詰めて、こう言った。
「オレは、会社を任せてもいいとは言った。言ったが──ヒナまでやるとは言ってねェぞ? それはなァ、十三。欲張りすぎってモンだ」
矢馬は低い声で囁き、十三の喉仏からオトガイまで、指でなぞった。母親にも触れられた記憶のない唇を、ゴツゴツとした指がなぞってくる。
すぐ真上にある矢馬は、目元を歪めて言う。
「欲深いヤツは嫌いじゃあないよ。でも、相手が悪いよな? なあ、どうしてそんなことを言った? オレを悲しませたかったのか? 恋人がいなくて寂しかった? もし欲求不満だってんなら、まずオレが相手になってやるよ。俺をイカせて見せろ。いいな。十三。よくわかったな。わかったって言ってくれ。そうしたら、まずこの指をフェラしてもらう。もし下手クソだったら、そうだな、下手クソ記念ってコトで、この舌を引っこ抜いてみるとしようか」
返答をする前に、太い指が、十三の口のなかに入ってくる。
「ひぎいいいい」
侵入してきた矢馬の二本の指が、十三の舌を掴んだ。
舌の表面のざらついたところに、大きくて固い親指があたっている。親指の腹が、十三の舌の表面を撫でた──逞しい木の肌を舐めているような味がした。
「くくく……オマエ、クリクリして可愛い目ェしてやがるなァ。自分の未来を想像できない、哀れで知能の足りない屠畜場の豚の目だ。くり抜いて、木の棒に刺して炙って焼いて食べてやりたくなるよ」
矢馬は、実に楽しそうに笑っている。玩具で真剣に遊ぶ子供の顔に既視感を覚えた。
楽しそうで、容赦がなく、そして、残忍。
「ぎえええええええ」
舌をつままれたまま、十三は豚のように喘いだ。
もはや釈明する術はなかった。精悍な男の巨躯にのしかかられ、舌をつままれた状態で、いったい人間にどんな抵抗ができるというのか。十三は目を白黒させて、愉悦の顔をする上席を見上げることしか出来なかった。
そんな十三の様子を知ってなお、矢馬は嗤っている。
「どうした? ほら、ちゃんと舐めろよ。それとも指よりも太くて硬いヤツを咥えたいのか?」
矢馬の目には、冗談の色が一切なかった。
舌と、大事なものを失う。それはダメだ。まだ社長にも何もしてないのに。
「へげええええええ!!!」
十三がみっともなく絶望の悲鳴をあげたとき、
「あのう……」
現れた救世主は、どう見てもその筋のおっかない顔立ちと、世紀末覇王の身体つきをしていた。
いつの間にか部屋にやっていた”とら”が、矢馬の背後から覗き込んできたのだ。
「ぎひはん!」
十三はひっくり返った昆虫のように手をバタバタさせて、”とら”に助けを求めた。
救世主となった”とら”が、眉毛をハの字にして何を言うかと思えば、
「矢馬さん、勘弁してやってください……。そいつは……ハラスメントですよ……。知ってます? ハラスメント……セクハラかパワハラか、なんらかの……」
幹部を前にしても、”とら”はいつもの調子だった。いつもなら何を言ってんだと心配になってしまうが、今の今だけは、その変わらなさに頼もしさを感じる十三であった。
振り返った矢馬が、半眼になって”とら”を睨めつけている。
「なんだよとら、邪魔していいって許可出したか? いいや、おれは出してないな」
「そう言われましても、うちの小さくて凶暴な社長から脅されまして……。シノになんかあったら全部俺のせいになりクビにするぞと……。そりゃ困ると慌てて乱入したという次第で……」
「ふーん。そりゃ大変そうだが、おれには一ミリも関係ないよなぁ」
「何かあったら、産業医のセンセーにもチクるって……」
「それは困るな」
急に真顔になった矢馬が、十三から身を離した。
のしかかっていた重量級の肉体からやっと解放されて、十三は深く息を吐いた。死ぬかと思った。プレスされたぶん、身体が薄っぺらくなった気がした。
凶行犯の矢馬は、何事もなかったかのように笑顔に戻り、十三に手を振ってきた。
「じゃ、またなぁ十三。真面目にやってりゃ良い思いさせてやる。……そうだ、とら、”しま”には今日のコト、チクるなよ。もしチクったらお前、この店で逆バニーで働かせるからな」
「逆バニーは飽きましたよ……。それじゃ、失礼しますね」
”とら”に押される形で、十三は部屋を出た。
這々の体で危機を脱した十三は、VIPルームを出た途端、”とら”に必死で訴える。
「……兄さん! 兄さん兄さん! おおおっ、オレ! 口ン中に指突っ込まれましたあ!」
「そんなことだろうと思ったよ……。まぁ、それぐらいで済んでよかったんじゃあないか……?」
「先に言ってくださいよッ! 舌引っこ抜かれるかと思った!!」
「だって、警告しようがしまいが、矢馬さんはやるから……。逃げたら余計ひどい目に遭うし……。そういうヒトだから……」
うすら寒いことを言って、”とら”は十三を慰めてくる。はっきり言ってなんの慰めにもなっていなかった。
「ほら、早く会社に帰ろうな。社長に会えば元気出るだろ……?」
「うううう社長〜〜。褒めてもらお〜〜」
十三はべそべそと喚いた。
廊下を抜けてホールに戻ると、バーカウンターにいた仙菊とナナンが驚いた顔をしていた。
「あれっ、もう帰るの? ”ワンセット”ぐらいしていくかと思ってた。後で見学しようと思ったのーに」
「残念。予想が外れたな……」そら恐ろしいことを言うナナンに、”とら”が平然と返している。
ひとりだけ、常識的な呆れ顔をしていた仙菊は、十三に詫びを入れてきた。
「ごめんね、東雲クン。気を悪くしないで。うちのコ、風変わりでしょう」
「ははは……」
変わっているどころではないのだが、それよりも恐ろしいことをされたばかりなので何も言えない十三であった。
「ねえジューゾー。また遊びに来てね。約束だよ」
その風変わりなナナンが、十三の腕に絡んできて耳打ちしてきた。
美少年に唐突に距離を詰められた十三は、動揺しながら問い返す。
「あ、遊び? ここに? オレが?」
「そ。ヤマのいない時に、一人でさ。ジュウゾーのところの社長、そっけないでしょ? つれなくされたらうちにおいで。おれが慰めてあげるからさ」
「なぐ──」
「ふふふ」絶句している十三を見て、甘いお菓子の名前を持つ少年は、イタズラっぽく笑った。
「またねっ。約束だよ」
妖精の如く、飛びはねるように去っていく少年を見送っていた”とら”が、心底感心したように呟いた。
「お前……モテモテだねェ……」
「……モテたい相手は一人でいいんですけどねえ」
そう気取りつつも。
十三の腕には、ナナンの体温がいつまでも残っていた。
次は明日更新予定です。




