3章2話・3
矢馬に肩を押された十三は、半ば強引にベッドの縁に座らされた。おそらくたいして力がこもっていないはずなのに、十三の身体は病人のように後ろへよろめき、ベッドにすとんと座っていた。体格に違わず、矢馬は凄まじい腕力の持ち主だった。
もとより逆らえるワケも、逆らうつもりもなかったが、いよいよ十三は逆らえなくなっていた。
「──ウワサは聞いてるぞ、十三。仕事、頑張ってるそうだな。毎月残業して仕事こなしてるって聞いてるぞ。どうだヤードは? 楽しいか?」
「ええええ、っとお」
すぐ目の前にある矢馬の全身から、ムスクの甘い香りがしている。脳髄に響くとろけそうな匂いだ。「良いぃ、会社だと思っておりますぅ」
「良い会社? どの辺りが?」
矢馬はからかうように笑いつつ、葉巻を咥えた。十三は慌てて胸ポケットのライターを取り出し、矢馬の葉巻に火を点けた。手がぶるぶると震えたがっているのを、懸命に隠す。
葉巻の先端から立ち上る真っ白な煙をゆっくりと吐き出して、矢馬は話し続ける。
「ヤードは未成熟だ。まだまだ稼げるが、その機会を逸し続けている。もったいないと思わないか?」
突然の、本題。
十三が言葉に詰まっている間に、矢馬は語り続ける。
「ヤードはもっと利益を伸ばせる。伸びしろだらけだ。”件”市場はまだブルーオーシャン、売りたい客も、欲しがってる客も、わんさかいる。元々いた太いコレクター客だけじゃなく、最近はネットの影響で、”件”を欲しがるヤツが多いんだってよ。オカルトは取り上げれば取り上げるだけカネになるんだとさ。ハハ、愉快な話だよな? 今まで存在をなかったことにされ、口にするのも手で触れるのも禁忌とされてきた”件”が、国内のみならず海外からも引く手あまたなんだとよ。俺からしちゃ皮肉な話だが、ビジネスとして考えれば、そう悪い話でもない。そして今がタネを撒く大事な時期ってことは確かだ。うかうかしてると同業が出てきて、あっという間にシェアを喰われちまう。──なぁ十三、オレの言ってる話がわかるよな?」
「は、はあ……」
「なのにヒナは社員も増やさず、小さな事務所に引きこもって商機を逃し続けてる。機会損失どころじゃない」
「──……ヒナ?」
十三には聞き覚えがない名前だった。
しかし、話の脈絡で理解できる相手が一人、いた。
「棺のことだよ。本名は黒澤雛希。知らなかったのか?」
「……は、初耳です……」
十三は激しく動揺していた。
社長の本名を、こんなところで聞かされるとは思っていなかったのだ。
「そうか。ほうら見ろ、口では重用してるなどと言いながら、カタギの部下には本名すら教えないだろ。あいつの人間不信は、根が深すぎるんだ。零細企業はチームワークと信頼関係が肝心だろ? 社長がそんな調子じゃ、会社だって成長しない」
「……。き、っと、社長には社長のお考えが……」
十三が口を挟もうとすると、矢馬は手を振って止めた。お前の意見は聞いてない、のサインだ。
十三はぐっとこらえ押し黙る。ヤードにいるとつい勘違いしてしまいそうになるが、もともとヒラの自分には、経営層へ自由に発言する権利がない。サラリーマンの不文律を、十三は今更思い出していた。
矢馬は何事もなかったように葉巻をくゆらせ、話を続けた。
「ヒナはなぁ、世間を知らないんだ。学校もロクに出てない。だから友人も知り合いもいない。あいつの世界は楽叉会と、オレが与えた会社だけ。社会経験もない、実務能力もない。お飾り社長だよ。お前だってそれは感づいているだろう?」
「……そ、それは──」
「だからな、十三。お前には期待してるんだ」
矢馬は優しく言って、十三のぽんと肩を叩き、撫でた。
「お前がヒナの懐に入り、あいつを支えろ。”件”取引の盤石のスキームを作って、国内市場を独占して稼ぎまくれ。すべてが上手くいったら、いずれ独立して、子会社でも持たせてやってもいい」
「……独立……?」
「そうだ。ヤードが順調に利益を生むようになったら、おれももう口出ししない。こう見えて結構忙しくてな。自分の組の商売や、他の組のコンサルなんかもあるもんだから、一つ手放せるだけで大助かりなんだよ。”上”は上納金さえ収めれば文句は言ってこない。好き勝手やれるぞ。会長は実力主義だ。稼ぐ奴には自由と権利を与えている。お前は役員報酬を何十億ともらって、愛人囲って別荘で暮らせばいい」
矢馬は短くなった葉巻を灰皿に押しつけて、また十三の肩を揉んだ。
十三は、何と返事すべきか、悩んだ。
いつもの十三なら、おべんちゃらを言って聞き流していただろう。
だが、今は、口答えせずにはいられなかった。
詳しい事情は知らないが、矢馬は棺を見下している。
恩人である棺を侮辱された怒りが、十三の胸を灼いた。
愚かであっても、身の程知らずであっても、譲れない一線はある。
部下として、言うべきことは言う、と判断した十三は、矢馬を見上げて口を開いた。
「……矢馬さん、オレを買ってくださっているのは本当にありがたい、んですが……オレはヤードを離れる気がありません。出来れば一生、社長の下で働いていたいんです」
矢馬は、いかにも理解できない、という顔で、瞬いている。
「ほお。それはどうして?」
──社長に惚れてるからです。
などと言うワケにはいかず、十三がひたすらに目を泳がせていると、
「ヒナに惚れてるからか?」
ズバリ言い当てられるとは思わず、「ヒッ」とヘンな声が出る十三。
「ふふふふ──くく……図星か! ハハハハハ!」
一発芸でも見たかのように、矢馬は吹き出して楽しそうに笑っている。
「いやっ、あのっ、別にっ、」十三はしどろもどろで言い訳しようとするが、矢馬は当然のように聞いていなかった。
「ヒナが好き、そうか、ヒナが……ふふふ……」
矢馬の笑いが収まってから、長い間があった。
「──そうだなぁ。お前が仕事頑張ってくれるなら、くれてやってもいいかもな。でも、内心──ちょっとフクザツだなあ? オレはな、ヒナが産まれる前から知ってるんだ。あのコは嫌がるだろうが、まぁ父親みたいなモンだと思ってるよ。こう見えて、結構大事に思ってるんだ。──だから正直に言うと、ヒナが取られちまうのは寂しいし、お前に対して憤りを感じてるよ。どうしような? おれはどうすればいいと思う?」
天井を見つめ、ひとりでブツブツと呟いていた矢馬はふいに、すぅ、と深呼吸すると、
「──決めた、こうだ」
名案を思いついたように呟いて、
十三を、押し倒した。
次は明日10月5日夜ごろ更新予定です。




