3章2話・2
──この人が、例のヤマさんか。
十三は警戒しつつ、ゆっくりと近づいた。
日に灼けた肌をしている、三十代半ばか後半ぐらいの大柄な男だった。
”とら”よりは年上だろうが、十三が想像していたより年若く、特に顔は精悍で若々しくシワ一つなくツヤツヤとしていた。昭和の特撮ドラマに出てくる、エネルギッシュな主人公、といった風情。
はだけたシャツから覗く上半身の筋肉は、仏像のように逞しく見事なだった。体格は”とら”とよく似ていたが、”とら”が感情の読めない猫科の獣なら、矢馬は人好きのする、犬科の大型獣というべきか。
矢馬は、撮影所の俳優部にでもいればさぞや見栄えがしただろうが、背中から広がっているらしい、胸元の赤黒い入れ墨が垣間見えた瞬間、十三は現実を悟った──やはり、当然の如く、カタギではないらしい。
「矢馬童切。ヤードの監査役だ。名刺はいらないよな? アレは管理が面倒でな。わざわざ名刺入れを持ち歩くのも間抜けだし、かといって財布のなかに数枚突っ込むのも貧乏臭い。だからよほどのことがないと持ち歩かないようにしてるんだ。──どうした? 座れよ」
十三は営業スマイルを頑張って浮かべて──それでも、ひきつっていた自覚があった──なんとか「ええ」と頷いてみせた。
十三は社会人経験があるとはいえ、ペーペーの営業マンだったので、今まで役員や上席とまともに会話する機会がなかった。
緊張して、何を言っていいか分からずにいると、矢馬がおおげさに腕を広げてこう言った。
「遠慮するな。指示待ち人間じゃあないんだろ? 好きに振るまえ。酒は飲むか? ヤクもある。何がいい? 色々あるぞ例えば──こっちは”チョコ”って名前。こっちは”ババ”って名だ。どっちもイケるが、初心者に優しいのはどっちだっけな。おれの初めてはずいぶん昔のことだから忘れちまったよ。下手すると中毒症状が起こって病院送りになるハメになるそうだ。それは嫌だよな? 何事も、初めては慎重にしたほうがいい。そうだろ十三?」
長調子を言い終えると、矢馬はサイドテーブルに置いてあったオルゴールのような樫の木箱を引き寄せて、中身を得意げに披露してみせた。
木箱のなかには、ポリエチレン袋にたっぷり詰まった白い粉があった。
それを目にした十三の頭は、ついに思考停止に陥った。
──あれ、あの量、なんかの映画で見たことがあったな。マフィア同士はアレで交渉するとか、なんの映画だっけ。吸っていたのはシチリアマフィアでお馴染みのあの名優。あの映画の結末はバッドエンドだった気がする。いや待て、関わっちゃいけない世界をオススメされている気がするが、どうすればいい。
「ええと──あのその──……か、考える時間を……」
「時間?」矢馬の、太く整った眉が跳ね上がる。「なんだ、ずいぶんのんびりしてるんだな。まだ若いんだ。失敗したっていいじゃねえか。迷わず突っ走れ。人生を謳歌しろよ」
「ヤマが喋りすぎて困ってるんじゃないの」
そのとき、ベッドでくつろいでいた半裸の少年が口を挟んだ。少年はずっと、空になったワインボトルを弄んでいたが、十三に視線を送り「ねえ?」と大人びた苦笑しながら同意を求めてくる。
十三は動揺してしてしまい、反応を返せずにいた。
「ジュウゾー、喋るときは口を挟まないと。このヒト、おしゃべり好きだから止めないと延々と喋ってるよ」
「ナナンの言うとおりだ。喋りたければ手をあげてくれ」
「ナナン?」
「源氏名。甘いお菓子、っていう意味だよ。よろしくね、ジューゾー」
言って、ナナンと呼ばれた少年は手を差し伸ばしてきた。
十三はこわごわとその手を握る。──男性のものとは思えない、小さくて柔らかい手が、十三の手のひらにうれしそうに絡みついた。
「うわぁ、あったかい手」
まるでピロートークのような甘い言葉をかけられ、赤面する十三。
社長と変わらない年頃で似た容姿の、美しい少年に微笑まれ、心臓が激しく高鳴るのを感じた。
「ええとあの、その」なんと喋ったらいいか考えているうちに、矢馬がナナンに声をかける。
「わかったよナナン。お前の忠告を聞き入れることにする。挨拶がわりのヤクはなしだ。そのかわりグラスを二つ持ってきてくれるか? ”ゆっくり”な」
「りょうかーい」
ナナンは弾みをつけてベッドから降りると、十三を見つめて意味ありげに笑った。
「じゃ、ごゆっくり。お二人様」
とても少年には思えない、妖艶な笑みを向けて、ナナンは部屋から出ていく。
「十三、まァ座れよ。お前とは話したいことがたくさんあるんだ」
矢馬は例の人好きのする笑顔を向けて、立ち上がった。
続きは明日夜に投稿します。




