2・5章 応援上映いこうぜ! 前編
ギャグ回です。
初夏の入り。花金の、仕事終わりのある日。
いつもどおり、三時間の残業を終えた東雲十三は、帰宅途中、とあるJR駅前のタワーマンションを訪れていた。
エントランスホールの「PH」と書かれたインターホンを押すと、すっかり聞き慣れたバリトンが返ってくる。知り合いでなかったら、縮みあがってしまいそうな威圧的な男の声。
『ハイ……』
「兄さん、東雲ですー」
『いらっしゃい。どうぞあがって……』
心なしか嬉しそうに聞こえる宗谷寅の声と同時に、エントランスの扉が開いた。
十三は待機していたエレベーターに乗り込み、タワーマンションの最上階フロア、ペントハウスへと向かう。
JRのターミナル駅から徒歩5分、いわゆる駅チカ物件。
繁華街を抜けた先にある、いわゆるタワーマンション。
その最上階まるまるワンフロアを使った、いわゆるペントハウス。
そこが、宗谷寅の自宅だった。
一体”とら”がどれだけの資産を持っているのか、その資金源はどこから来ているのか、聞いてみる勇気は十三にはない。
そこまで踏み込む勇気までないものの、十三はこうして今日、”とら”の家に招かれていた。
あの村での一件以来、十三は”とら”とプライベートでもつるむようになっていた。夕食をおごってもらったり、仕事終わりの朝ご飯をごちそうになったり、カフェに行ったり。
そしてついに今日、はじめて”とら”の自宅にお邪魔するようになった次第である。先に定時で帰宅した”とら”を追いかける形での到着だ。
「いらっしゃい……」
エレベーターが到着すると、ペントハウスの入口で”とら”が待っていた。いつものヤカラっぽいスーツ姿ではなく、カジュアルなシャツにカーゴパンツという私服スタイルでのお出迎えだ。ごくごく一般的な服装なのに、”とら”が全身ムキムキとしているので待機中の軍人のように見える。
「よく来たな、シノ。遠慮せずにあがってくれ……」
「はい。お邪魔します」
”とら”に招かれて、十三はペントハウスの中に足を踏み入れた。
長い廊下を通って、リビングルームに足を踏み入れる。
そのあまりの広さに、十三は度肝を抜かれた。
モダンなデザインの照明が吊るされた、開放感のある高い天井。ダイニングキッチンを備えた巨大なリビングは、十三の六畳の部屋がいくつも入りそうなほど広い。
リビングの隣はガラス張りになっていて、トレッドミルやプルダウン、レッグプレスといった各種トレーニングマシンや、ダンベルや柔軟用のマットなど、トレーニング機材が一揃い置かれているのが見えた。
窓の外にある広々としたルーフバルコニーには、寝心地の良さそうなリクライニングチェアとテーブルが置かれている。目線の先には東京タワーが見えた。ここから見える夜景はさぞやキレイだろう。絵に描いたような都心の暮らしだ。
十三は嘆息を吐いて言った。
「はア〜〜〜……すんげ〜〜広さですね。これ、兄さんがご自分で買ったマンションなんですか?」
「いや、実家の所有物件……。セーフハウスってヤツだ」
「セーフハウス?」
「ほらあるだろ、他の組から襲撃を受けるコト……。そのときすぐ引っ越せるよう、関東に拠点をいくつか持ってるんだ……」
「そんな、『みなさんもこういう時ありますよね?』みたいなテンションで言われましても……。一般人は、あんまりないと思いますよ? 襲撃を受けるときも何軒もの家も……」
「そうなのか……。世の中、俺の知らないことがたくさんある……」
帰宅しても”とら”はいつもの調子だった。オンオフの切り替えなどという概念は、どうやら”とら”には無縁らしい。
「シノ、そこのソファーにでも座っててくれ……。例のブツ、持ってくるよ」
「すみません、お気遣いありがとうございます」
十三は”とら”に言われたとおり、ソファーに座った。
沈み心地の良いソファーの傍らに、クッションとブランケットが置かれている。
そこには、当然のように”ノラ”の顔がプリントされていた。
「……」
十三は、リビングに視線を巡らせた。
総計すれば十三の年収はゆうに超えるだろう、高級感ある家具家電の数々。チリ一つ落ちてない清潔な室内。ホテルのスイートルームに引けを取らないラグジュアリーな空間。
そのテレビ台の隅に、窓枠に、ラグに、全てに”ノラ”が存在していた。
ノラ──”とら”が愛するアニメ『ノラたま』の主人公、サバイバル猫の名前である。
この愛くるしい二頭身の猫のキャラクターを”とら”はこよなく愛している。アニメを鬼リピ視聴するだけでは飽き足らず、様々なグッズを集めているのだという。
ノラだらけの部屋のなかで、とりわけ目を引くのは、大きなTVの横に御神体のように鎮座している、ウエイトレス姿の巨大ノラのぬいぐるみだ。この間、十三と一緒に苦労の末に獲得した、レストランコラボ限定のぬいぐるみだった。
これを獲得するまで、十三の体重は三キロ増え、肌が荒れた。生クリームを見つけるたびに謎のえづきが出るようにもなった。
だが、これがキッカケで、”とら”と仲良くなることが出来た。上京したてで知り合いのいなかった十三にとっては、良い御縁が出来たと思っている──たとえ相手の背中に入れ墨が彫られていようとも。
だからこうして、仕事終わりに自宅に招かれるようにまでなったのだ。子はかすがい、ならぬノラはかすがいということだ。
そのうちに、両手に紙袋を提げた”とら”がリビングに戻ってくる。
「シノ、ほら約束のブツだ。持ってけ……」
「ありがとうございます。うわ、食料がいっぱいだ〜〜」
紙袋のなかには、レトルトカレーや、カップ麺、お茶漬けなど、保存食が入っていた。その全てに、『ノラたま』のイラストが描かれている。いわゆるタイアップ商品というヤツだ。
”とら”は『ノラたま』のおまけのシールやステッカーの収集目的で、こうしたタイアップ食品を買い漁っているらしい。だが一人暮らしでは食べきれず、かといって捨ててしまうのは”とら”の美学に反するらしく、後輩や元の組の”弟たち”にラベルを外したものをあげていたのだという。
なので十三もそのおこぼれに預かろうと、こうして”とら”の自宅、いやセーフハウスまでノコノコとやってきたというワケだった。
「悪いな、俺のエコに付き合ってもらって……」
「いえいえ。オレも生活費浮きますから。助かりますよ」
「そうか……。これな、ミケにも渡してるんだ……。あいつも、借金まみれで生活大変らしいからな。喜んでる……」
「ミケさんに渡してるんですか? 会社で?」
「あァ……」
「じゃ、オレも会社で渡してくれてよかったのに」
「………。それは……」
途端にとらの様子がおかしくなった。口ごもり、視線をキョロキョロと動かしている。
「……兄さん?」
「……いや……まァ……。……茶ァ、淹れるから飲んでけや……。少し待っててくれ……アニメでも観てよ……」
「はい」
不思議に思った十三だったが、今はまだ深く追求せず”とら”からリモコンを受け取った。テレビを点けるとサブスクが立ち上がる。オススメ欄には当然のように『ノラたま』が並んでいたが、十三は無視してホラー映画を視聴しはじめた。以前から気になっていた、自宅トイレから突如出現したサメから逃げるというサメ映画だ。
尻をサメに噛みつかれて悲鳴をあげる中年男を眺めながら、十三は”とら”が何か話したいことがあるんだろうな、と見通しをたてていた。
まだ短い付き合いだが、”とら”の習性はだいたい理解していた。”とら”が茶を勧めるときは大体、落ち着いてじっくり話したいことがあるときだ。
「おまたせ……」
そのうちに”とら”がトレーを手に戻ってきた。
湯気をくゆらせたガラスのティーポットのなかで、ジャスミンの花が咲いている。本格的なホットジャスミンティーだ。
「いただきます」
十三は感謝しつつ熱いお茶を頂いた。
一方”とら”はカップに視線を落としたまま、黙りこくっている。言いたいことがあるようだが、言い出せないようだった。
察した十三は、自分から攻めて出ることにした。
「兄さん、何か言いたいこと、あるんですね?」
ハッとした”とら”は顔をあげるが、
「あ、あのよ……」と言いかけて、「あのな……。……」とすぐに口をつぐんでしまう。
まるで女子学生のように躊躇う”とら”を、十三は優しく諭した。
「兄さん、なに遠慮してるんですか。なんでも言ってくださいよ。オレと兄さんの仲じゃないですか」
「お……オマエ……男だねェ……!」
決心がついたらしい”とら”は、十三にスマホの画面を見せてきた。
「実は……これにな……行ってみたくってよ……い、一緒に……どうかな、って……」
十三は画面を覗き込む。
そこに、『映画ノラたま』応援上映のお知らせとあった。
「シノお前、映画に詳しいってハナシじゃねぇか……。知ってるんだろ? 応援上映……」
「はい。行ったことはありませんけど、ウワサには」
応援上映とは。
その名のとおり、映画を応援する上映回である。
日本の映画館では、上映中は無言で鑑賞するスタイルが一般的だ。だが応援上映は、声を出し、映画の登場人物を応援することが出来るのである。
サイリウムや、タンバリンなどの鳴り物の持ち込みもOK。盛り上がるシーンでアイドルのコンサートのようにサイリウムを振るもよし、BGMに合わせてタンバリンを振るもよし。
新しい映画鑑賞のスタイルとして、都市部を中心に広がりはじめている企画上映だ。
「俺も……イチノララーとして、応援上映に行きたかったんだが……ずっと勇気が出なくってなぁ……」
「ハァ〜なるほど。そういうことですか」
ちなみにノララーとは、『ノラたま』ファンの俗称である。
”とら”によると、一年前に公開された映画『ノラたま』は絶賛ロングラン上映中。根強い人気から、気骨のある映画館が、月に一度応援上映を開催しているらしい。
”とら”はそれに行ってみたいのだという。しかし一人では恥ずかしいので、十三を誘ってみた、というワケだ。
女子か、とツッコミたかったが、十三は”とら”に散々世話になっている。断る理由がなかった。
「へえ〜〜いいですよ。オレも一回行ってみたかったんですよね。応援上映。面白そうだし」
「! そうか……! 助かるよ……!」
”とら”の顔がようやく晴れやかになる。
「よし、そうと決まったら準備だ……! 安心しろ、全部こっちで用意する。お前が来るだけでいいからな……!」
「はい」
「よしよし、楽しみだ……! わくわくしてきた……!」
ガラにもなくはしゃいでいる”とら”を見て、良いことをしたな、とほっこりする十三。
しかし、このときの十三はすっかり忘れていた。
相手は宗谷寅、いやさ中田とらたろうである。
以前、”とら”との出張で、どれだけ翻弄されたか、波乱があったことなどすっかり忘れ、十三はアホ面で高級ジャスミンティーをすするのだった。
続きはすぐに公開します。




