2話・14”因果応報” 寺/駐車場/02:13:50
あの子供だ。顔が大きく、小さく細い吊り上がった。お世辞にも可愛いとはいえない、六歳ぐらいの、パジャマ姿の少年。
昨日、十三に石を投げてきたあの子供が、下着姿の女の憑依体に今まさに襲われていた。
「お母さん! やめて! やめてよおおお」
少年は、自らに襲いかかってくる憑依体の女を、母親と呼んで泣いている──。
一方、その少年の母親は、”件”に憑かれて、子供のことを認識していないようだった。
少年とよく似た吊り上がった目は、見開かれて血走っていた。こけしが覗く口元からは、泡とヨダレがボトボトと垂れている。小さな口内に無理やり人形が突っ込まれたせいか、口の両端は裂けて、血が滲んでいる。
十三にはそれが、口裂け女が笑っているようにも見えて、その不気味さに心の外から震え上がった。
「ぎ、きっ──、きる、ゆ〜」
女の不気味な笑みが、さらに吊りあがった、直後、
憑依体の腕が伸び、少年に掴みかかろうとした。
「──ッ!」
十三は反射的に、そちらへ仕置銃を撃っていた。
だが、憑依体には当たらない。威嚇射撃のように、憑依体の足元を掠めるのがせいぜいだった。
「だぁああああッ! このクソエイムッ!」
十三は自分の腕の悪さにわめき散らした。”とら”が百発百中で命中させていたのが嘘のようだ。全くあたる気配がない。銃の性能差ではなく、十三の射撃の才能が皆無なせいだ。
しかも皮肉なことに、相手の注意だけはしっかり引く結果となった。
憑依体の女の、飛び出しそうに見開かれた目が、十三にぎろりと向けられて固定された──標的が、こちらへ切り替わったのだ。
「ひっ」
十三は銃を握りしめたまま、すくみ上がる。
仕置銃は先ほど撃ったばかり。二発目を撃つには、まだメーターが溜まっていない。十三に格闘技の心得などなく、抵抗手段を持ち合わせていない。無防備なサラリーマンが、ただオロオロ突っ立っているだけだ。
だが、こちらの事情など知る由もなく、
憑依体は四つん這いの姿勢のまま、猛獣のようなスピードでこちらに迫ってきた。
「おかあさんっ! やめてえッ!」
その瞬間、少年が、憑依体の背中に飛びついた。
「ぎっ、ぃるっ!?」
虚を突かれた憑依体が、弾かれたように飛び退がった。その拍子に、飛びついた少年が「わっ!」と振り落とされる。
少年の体が、ごろごろと砂利に転がっていく。
十三は憑依体に注意を払いつつ、すぐさま少年の方に近寄って様子を窺った。
「おいッ! 大丈夫か!?」
「う……ぅ、ううう〜……」
見たところ、少年に大きな怪我はないようだった。
ほっと安堵する十三。
しかし少年が無事なのは、体だけのようだった。
少年は、二、三度しゃくりあげたと思うと、腕で目元を覆って、しくしくと泣きだした。
「おがぁあさぁあああん……。お、母さんを……助けてよおお……」
真っ赤な頬に、涙がつたっている。四角い顔は、砂と小さな石の粒と、鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。
「……〜〜!」
その様子を見ていた十三の心には、どうしようもない苛立ちが募ってきていた。
昨日、石を投げてきておきながら、助けて欲しいなどとのたまう少年に対する怒り。
どうあがいても十三には救える見込みのなさそうな少年の母親。
そして、そんな親子に、同情してしまう自分の甘さ。
3つの状況に心を挟まれ、十三は激しく苛立ちながらも、大人としての義務感で少年の手を引っ張った。
「泣いてる場合じゃねぇだろ〜! 早く立て! オラ!」
「うええ〜〜〜」
「うるせえ! 泣くな! 泣いたって何も解決しねぇんだぞ!」
「だってェ〜〜〜!」
「だってもクソもあるか! だぁああもうッ! ……!」
説得に苦戦している間に、再び、憑依体が飛びかかってきた。
十三はとっさに、少年の楯となった。
少年の体を抱き込むようにしてかばい、飛びかかってきた憑依体から守ったのだ。
「ぐっ……!」
女の鋭い爪が、十三の肩に食い込む。
その勢いのまま地べたに引きずっていくところを、なんとか態勢を立て直した。少年を腕のなかにかばったまま、憑依体とじりじり距離を取った。
だが、人間の体を引きちぎれるほどの腕力を持った手に切り裂かれ、十三の腕はじんじんと痛みを訴えてきていた。
「うぅ……イッテェ……」
ワイシャツの袖に、鮮血が浮き上がっている。切り裂かれたシャツの下、肌には裂傷が走り、そこから血がじわざわと浮かんできた。
血は人をパニックにさせるという。
十三の思考回路は、混乱と、怒りと、バクバクと鳴る胸の鼓動に追い立てられ、ぐちゃぐちゃになっていた。
石投げてきたガキを助けてこの有様。とっとと一人で逃げちまえばよかったんだ。漫画喫茶で丁寧にアイロンかけたのに、スーツが砂だらけ。ワイシャツはもう血が染みてだめだクリーニングで汚れ取れるかな。人形は回収できないし、捕まえるはずの六王子はひどいことになったし。アレ死んだよね? うんたぶん死んだ。あ、家賃を払い忘れてるの今思い出したし。ちくしょう。ちくしょう。ちくしょう。
「ちくしょう──ちくしょう──ちくしょう……」
「あの……、チンピラさん、大丈夫……?」
十三の様子を心配した少年が、おそるおそる尋ねてくるが、
「大丈夫だぁ? 大丈夫じゃねーよバーカ!」
心配してくれた子供を見下ろして、十三はキレ散らかした。
「あのなあ! オレはなあ! 言っとくけどなぁ! 正義のヒーローじゃねぇんだぞ! 反社の悪党なんだぞ! なんで、なあーんで見ず知らずのガキとたいして美人でもねぇ母親を守らなきゃならねえんだよ! しかも、昨日石投げてきたガキのよぉ! バカかオレはぁ!」
自分でも自覚しているほど、十三の発言は意味不明だった。
しかし人間、追い込まれると多少の矛盾などどうでもよくなるのである。赤ん坊が泣くことで感情を発露するように、東雲十三はキレることで抑え込んでいた感情を爆発させていた。
そして、大人が感情を爆発させたとて、周囲の反応はたいてい、冷ややかなものであった。
八つ当たりされた少年は、一人で興奮してキレてる十三を見上げ、言葉もなく口をぽかんと開けていた。幼い瞳の奥が、何ひとりで発狂してんだコイツと雄弁に語っていたが、やがてその口から「あぁ危ないッ!」と悲鳴が迸った。
憑依体が、再び飛びかかってきたのだ。
「あっ」
全くもって、キレてる場合じゃなかった。
TPOをわきまえずキレ散らかした代償は、詰み。
そう思った、とき、
「やるじゃない」
聞き覚えのある低い声が、十三の頭上に振ってきた。
”とら”だ。
十三と憑依体の間に割り込んできた”とら”の鋭い蹴りが、女の身体をふっ飛ばした。
バウンドして転がった憑依体が、「ぐぅうるるるる」と唸り、四つん這いの体勢に戻ろうとした寸前──”とら”はそのまま、長い脚で女の頭を踏みつけた。
「ぎっ──ぃイイイ………」
”とら”の足元で、女の細い体がバタバタとのたうち回って抵抗している。だが、”とら”の足に力強く踏みつけられ、髪を引っ張られ、逃れるまでには至っていない。
「シノ……仕置銃を貸してくれるか」
「……え? ……はい……」
”とら”が現れただけで、一気に冷静さを取り戻した十三は、言われたとおり仕置銃を渡した。
”とら”は十三から仕置銃を受け取ると、くるりと持ち替え、グリップを少年に差し出した。
「ほら、ボク。とっておきの武器を貸してやる。これで、自分でケリつけな……」
「……え……?」
「ボクの母親なんだろ? だったら、この銃でお母さんを撃つんだ。それで、ボクの願いどおり、お母さんは元に戻る……」
”とら”の話を、ゆっくりと理解した少年の顔が、みるみる強張っていく。
「お……、おれが、やる……の……? おじさんたちじゃなくて……?」
少年は、明らかに戸惑っていた。
十三も、口を挟まなかったが、困惑していた。六歳の子供に銃なんて、どうやったって無理に決まっている。
しかし、宗谷寅は言葉を訂正することはなく、「そうだ」と頷いた。
「俺たちは、別にどっちだっていいんだ……。お前の母さんが下着姿で村中這いずり回ろうが、誰かを傷つけようが殺そうが、関係ない……。今すぐそこの舎弟を引っ張り上げて、車に乗り込めば、この村での俺たちの仕事は終わるんだ。……だが、ボクのその涙と鼻水と、うちの舎弟の優しい心に免じて、チャンスをやる。ボクが母親を助け、生き延びられるかのチャンスをな……。どうする? やるか……?」
「お、おれ、子供……子供だから……」
少年は、ぶんぶんと首を振り、拒絶しようとする。
「だからなんだ」
”とら”が呆れたように言い放った。
「昨日、お前はうちの舎弟に石を投げたんだろう。人に暴力を振るえるってことは、自分の行動に責任をもって、物事の始末をちゃんとつけられる大人だってコトだぜ」
そして、”とら”は少年をまっすぐに見つめて、再び問う。
「どうする? 始末つけるか? 一人の大人として、自分の母親に」
少年は、しばらく答えは出せないでいた。
パジャマの裾を、シワになるまで強く握りしめ、すん、すん、と何度も鼻をすすっていた。
”とら”は、急かせなかった。
少年が決断するまで、黙って静かに見守っていた。
十三も、それに倣った。
”とら”の言葉が正しいと、感じたからだ。
二人の黒社会の男が、そうして見守るなか、
「ふ……うぅうう、ぉ、おかあ……ぅうううう……」
少年は、しばらくずっと、心細そうに泣いていたが、
やがて、震える手で、”とら”から仕置銃を受け取り、グリップを握った。
そして、母親に銃口を向ける。
母親は”とら”の足に踏みつけられたまま、やはり身動きが取れないでいた。髪を強く引っ張られたせいで頭が持ち上がり、不自然な姿勢のまま半身を宙に固定されて、苦悶の表情を浮かべていた。口元からヨダレがボトボト垂れて、恨めしげな目で”とら”と少年とを見ていた。
「お、お母さん……お母さん……ッ!」
少年は、滂沱の涙が流れる瞳を閉じた。震える銃口を、間違いなく母親の頭に定めると、トリガーに指をかける。
そんな少年を、ずっと見ていた”とら”が、
「十分だ」
そう呟いて、腰の仕置銃を素早く回転させると、母親の口内を狙い、至近距離から撃ち抜いた。
一瞬の出来事だった。
「がっーー」
撃たれた”件”が、母親の口の中でバキリと砕けた。
血走っていた母親の目から光が消え、全身の力が抜ける。
”とら”はゆっくりと、母親を地面に降ろした。母親はぐったりとして、身じろぎもしていない。
「あッ……」
少年は母親のもとに駆け寄った。
母親を抱き起こし、背中を叩いて、口のなかに散ったこけしの大きな木片を吐かせている。さらに口のなかに小さな手を突っ込んで、小さな破片を取っていった。ごほっ、とむせる声。幼児の声ではない。大人の女のものだった。
「お母さぁん……良かった……」
少年が、母親を優しく抱きしめる。
その赤い頬には、もう涙は流れていなかった。
「シノ、行くぞ」
「……ハイ」
少年の足元に落とされた仕置銃を回収し、十三は”とら”と一緒に社用車に乗り込んだ。
運転席に座り、エンジンをかける。
その拍子に、少年が弾かれたように車の十三と”とら”を見つめてきた。
なにかを言うべきか。
なにかするべきか。
十三がぐだぐだと悩んでいるうちに、”とら”が「出せ」と言った。
十三は、反射的に車を走らせていた。
駐車場と母子が、そうして遠ざかっていく。
涙の痕が乾いた少年は、母親を抱きしめたまま、身じろぎ一つせずに車を見送っていた。
車が、村道を走り抜ける。
過ぎ去った村のどこかから、人の悲鳴が聞こえてきた。
十三たちが村から逃れようとも、惨劇は終わらない。
「オレたちのせい、ッスかね」
車を運転しながら、十三はポツリと呟いた。
助手席に乗った”とら”は、語る。
「呪いなんてモンで金稼ぐってのは、こういうことさ。坊主や村の連中は、自分の命でケジメをつけることになった。俺たちも、きっといずれはそうなる……。ただ、今じゃなかった、ってだけでな」
「……そう、ですね……」
日本中から集められた呪いの人形たちは、かくして人の世に解き放たれた。
村の住人の多くを殺傷せしめるモノもいれば、現世に紛れて災いをもたらすモノもいるだろう。案外すぐに力尽きるモノもいるだろう。
しかし、それはもう、十三たちの預かり知るコトではなくなった。
村人たちは自らケジメをつけたのだ。
自業自得ーー因果応報という、ケジメを。
十三は、アクセルを踏み込む。
山を背負った村のどこかから、幼児に似た笑い声が聞こえた気がした。
闇に躍る小さな影は、獣か、それとも他の何かだろうか。確認する術は、すでに十三にはない。
もうちょっとだけ続くんじゃ




