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バッドランズ・グレイアウト  作者: 梅屋凹州
二章

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15/25

1・5話 亡郷/望郷 後編

「たま! 家まで送ってくれえ〜!」

「は〜い」

 閉店後、呑みすぎてぐでんぐでんになった酔っぱらいたちを、”たま”が店の前につけたジープのなかにぎゅうぎゅうと詰め込んでいく。後部座席の三人席に五人詰め、一番小柄なのを、その五人の膝に並べて猫のように足を折り畳ませるのだ。驚きの収納上手である。


「オッ天井が見えるぞ」「重い! 重いんだってみんなあ! ダイエットしてちょうだいよ!」「うるさい、アナタね、声がうるさい。アナタの声は耳に響くんだよ」「こりゃ失礼ダハハハ」「たま、もっと優しく詰めてよオ」などと文句が聞こえるが、”たま”は全く気にせず「おやおや酔っぱらいたちがなんか喋ってますねえ〜」と無情にも切り捨てると、後部座席のドアをバシンと閉めた。詰め込まれた酔っ払いたちの文句を言う声が小さくなる。その光景を見るたび、屠殺場に運ばれていく豚を思い出す十三であった。


「ではっ出発進行!」

 軽快に運転席に乗った”たま”がジープを運転する。


 ”たま”は毎晩こうやって、閉店まで粘った酔っぱらいたちを各自の家まで運搬する。ほとんど村を一周することになるので、こうなると一時間は帰ってこない計算になる。壮行会は、とうとうご破産確定のようだった。


 たくさん買い込んだつまみや酒が無駄になってしまったが、3日もすれば”たま”の胃袋に全て収まるだろう。これもやむなし、と十三が買い物袋を見ながら心の整理をつけていたとき。


「悪かったね」

 カウンター席に座ってタバコを吸っていた母が、そんなことを言ってきた。

「なにが?」

「アンタ最後の日なのに、酔っ払いに付き合わせちゃって」

「あぁ、そういうこと」

 珍しい、と十三は思った。母が謝るなんて、村で真っ白なイノシシを目撃するより珍しいことだった。


 十三はテーブルを拭く手を止め、母の隣に座ろうとした。が、「隣座るな」と素っ気なく言われたので、従って一つ空けた席に座った。しかしムカついたので、十三はタバコを点け、煙が母に向かうように卓上の扇風機を調整してやる。

 紫煙を吸って、胸に溜まった疲労と不満を吐きだしたあとで、十三はおべっかも一緒に吐き出すことにした。

「いいよー別に。お客さんが多いのはありがたいしね」

「あら。なに気持ち悪い。どういう心境の変化?」

「なにが」

「アンタ、いっつも静かに呑めとっとと帰れって文句ばっかだったでしょ」

「……そりゃあね。人間、これで最後だと思うと、少しは心変わりはするよ」

 実際、十三の言葉は、半分建前だったが、半分は本音だった。


 このド田舎の村で、プロでもない母が小料理屋を何十年もやっていけたのは、地元のスケベな呑兵衛たちが足繁く通ってくれたおかげだ。

 だから十三も、心の底では呑兵衛たちを憎んではいない。母子家庭の東雲母子が大学卒業まで地元で生きてこられたのも、このクソったれな呑兵衛たちが必死に稼いできた金を店に落としてくれたおかげだ、そう思うことにしていた。立つ鳥跡を濁さず。恨みも憎しみも、この際全て置いていこう。


 ーーそう、悟りを開いたついでに、十三は母に言うべきことを言っておこうと思った。


「……母さん、東京のアパートついたら、電話するよ」

「あそ。わざわざしなくていい」

「……初めてのボーナス貰ったら、仕送りするから」

「別にいらないわよそんなはした金」

「正月と盆には家にーー」

「帰ってこなくていい。新幹線代もったいないでしょ」


 あまりな物言いに、さすがに十三は声をあげた。

「なんだよそっけねぇなあ。母親なのに心配してないの?」


 タバコの灰を落としていた母の手が、ピタリと止まる。ガン開きの目で、思いっきり見据えてきたかと思えば、

「アンタねぇ」指の腹でぐいっと眉間を押された。「バカ、か?」

「痛ぇよ。なにすんだよ」

「アタシは22年間アンタを育てた。母親業はもう終わり。おしまい。あとはお互い自由に生きましょう」

「……冷てぇの」

「何言ってんの。アンタ、そこまでアタシに思い入れないでしょ」

 母は唐突に確信をつく。

「まぁ、そうだけど」

 だから十三も、正直にゲロった。


 母とは、母子とは簡単に形容できぬ壮絶な間柄だった。


 十三は、母に甘えた記憶もない。母が授業参観に来たのは小学校の低学年だけ。卒業式も中学の入学式も来なかった。

 家ではテレビのチャンネル権を争い、タバコを盗んでは蹴られ、売上をくすねてパチンコをしたら土下座をして謝るまで一週間家に入れてもらえなかった。”たま”が所有者不明の村の納屋に匿ってくれ、食事を甲斐甲斐しく運んでくれなかったら十三は凍死していただろうし、事情を察した常連客が仲裁してくれなかったら、今でも母とは仲違いしていただろう。


 母はまったく母親らしくない母だったが、十三も親の恩というものを感じ取ったことのないグレた息子だった。この母にしてこの息子あり。育ててくれた感謝がないことはないが、それ以上にあの時はよくやってくれたなこの野郎と思う感情もある。母も母で、十三を「ペット以上、愛息未満」と公言して憚らないので、まぁお互い様なのだと思う。


 愛情と憎しみが半々、いやむしろ憎しみの方が多い気がするが、それも今日でしばしの別れと思うと、キレイに半々で締めてやろうという気分になっていた。


 十三の正直な言葉を聞いた母は、ふっと笑う。客商売の女とはとても思えぬ、ハードボイルトな笑い方だった。


「それでいい。あたしも、この村もね、アンタを大事にしなかったでしょ。だったらいつまでも古い臭い田舎になんてしがみつかないで、一日も早く忘れて、自分の人生を生きなさい。多少の借金や犯罪ならしてもいいよ。あたしに迷惑さえかけなければ」

「それが親の言うことかよ……」

 思い切り呆れる十三。


 母はタバコの煙を吐き出してケラケラと笑ってる。

「そんぐらいでいいの。人間、生き汚いぐらいがちょうどいいのよ」


 そう言って、フィルターを灰皿に押しつけた母はぐっと腕を伸ばして「ふー」とストレッチをした。すっかり細くなった腕の関節は、少しだけシワでたるんでいた。

「ーーそうね。結婚することになったら、そのときは連絡ちょうだいよ。アンタを好きになる物好きの顔には、興味あるからさ。たまくんと二人で見物にいかなきゃ」

「わかった。出来たらね。そのうちね。5年後か、十年後か、わかんないけどね」

「早くしてよね。あ、でも結婚式を挙げるなら35未満の嫁にして。それ以上のウェディングドレス見るのキツいから。目が潰れる」

「ハイハイハイ。わかりましたわかりました。こんな姑、恥ずかしくて紹介できねーよ」

 母はケラケラと笑っている。


 そうしているうちに、手元のタバコの火が消えた。

 十三は細い煙の残る吸い殻を、灰皿に押しつける。

 ぎゅうぎゅうと灰皿に指で揉み込んで、それで火種は、完全に消えた。


「ーーじゃ、元気でね、母さん」

「おう」

「……いってきます」


 そのとき、タイミングよく、店の扉がガラガラと開いた。

 酔っ払いのドナドナ送迎を終えた”たま”が、ひょっこりと顔を出していたのだ。

「いこっか、シノくん」



「とうちゃーく!」

 ”たま”に車で送られて、十三は高速バスのバス停に降り立った。


 国道沿いのバス停には、人影が全くない。時刻は23時40分。東北の春の夜はまだ、冷たい空気を纏っている。


 ”たま”はエンジンをかけっぱなしのまま、ジープを路肩に停めていた。

 窓を開けて最後まで見送ってくれる”たま”に、十三はあらためて感謝の言葉をかける。

「たまくん、今日は色々、ありがとね」

「こちらこそ。……」

 ”たま”は、なにか言いたげに視線を宙に動かすと、いつもの笑顔を向けてきた。

「ねェ、シノくんさぁ」

「うん?」

「もう、こっちに戻ってくるつもり、ないんでしょ?」

「……うん」


 十三は、正直に頷いた。この幼馴染は、時折鋭いところがある。


 誰にも打ち明けるつもりは、なかった。


 上京のための就職。そうはいっても、故郷の人たちはいつか、十三が帰ってくると信じている。

 盆正月や、誰かの結婚式、節目節目に、十三は気軽に新幹線に乗って帰ってくる、と。社会人になって若いうちは東京に行っても、子供が出来たり、なにかのキッカケでUターン帰省してくるものだと、大学時代の友人や教授、バイト先の先輩たちも信じて疑っていない。


 違うのだ。

 もう、故郷になど、戻らないのだ。


 同級生たちにも、母にも、”たま”にも会わないまま、東雲十三は彼らの人生から、少しずつ消えていくつもりだったのだ。


「だと思ってました!」

 しかし、”たま”は悲しむこともなく、ニコーっとえびす顔を作った。いつもの”たま”スマイルそのものだった。


「なんとなくわかってたよ! シノくん、今日はずっとそれを言いたかったんでしょ? シノくんから壮行会開いてほしいなんて頼むの、よっぽどだもん!」

「……うん、そこまでバレてたか」

「うん! ”たま”には全部お見通しでーす! アハハ!」


 それを聞いて、ほっと安心した十三はーーずっと頼みたかったことを、”たま”に告げた。


「たまくん、母さんのこと、頼むね。あの人素直じゃないから……」

「うん! もちろん!」

「……たまくんも、元気でね。オレ、こっちにはもう帰ってこないけど、たまくんとは仲良くやってきたいからさ……」

「うん! いっぱい電話しようね!」と言った”たま”はふと首を傾げて、「……あ、でもさぁ、わかんないかも!」


「え?」

「おれも、シノくんに会いに東京に行くから! たまに!」

「え、ホント?」

「うん! たまだけにね! アハハ!」

 ”たま”はしょうもないギャグを一人で言って一人でケラケラ笑っている。もう見納めかと思ったこの感じに、またいずれ会えるかと思うと、十三の胸にふっと安堵が湧き上がった。


 ”たま”は相変わらずの笑顔で続ける。

「おれも、いつか都会に行ってみたかったからさあ。へへへ」

「え、意外」

「そう? へへへ。おれさ、恋を学びたいんだよねェ〜」

「へえ〜〜。たまくんが? 恋を?」

「そうだよ! いつかゲットするんだ! おれだけの伴侶!」

「伴侶……ふふふ……」

 その古めかしい言い方に思わず笑ってしまう十三。

 ”たま”はいつまでも野山をかけずり回り、釣りとか虫を捕まえて遊んでいるのかと思ったが、違った。

 ”たま”も恋をしたいのだ。


「いいじゃん。恋かァ〜」

 十三は星空を見上げて、呟いた。


 いつの間にか、そんな言葉を忘れてしまっていた自分に気づく。


 就活に必死になっているうちに、上京にセンチメンタルになっているうちに、夢とか希望とかそんな眩い言葉を、考えないようになっていた。

 これから、都会のなかでサラリーマンとして働いて、摩耗していくだけの人生になるだけと思っていたのだ。


 だが、”たま”の言うロマンチックな言葉で、未来が少しだけ明るく思えた気がした。

 故郷を離れても、就職しても、人生は続いていく。


 都会でも、きっと恋はできる。たぶん。


「シノくんもきっと東京で出会いがあるよ! 運命のヒトに出会えるかも!」

「オレの運命のヒトか〜。どんな人だろ」

「きっとねえ、可愛くて思いやりのある人だよ! シノくんが、守りたい〜〜って思っちゃうほどさ!」

「そっか。守りたい〜〜か。……会えるといいなァ」

 二人は顔をあわせて笑いあった。


 そうしているうちに、国道のずっと先から、大型車のライトが見えてくる。東京まで向かう高速バスの灯りだ。

「あっバスきた」

「きた! じゃあ、バスのお邪魔になるからおれ出るね!」

 言って、”たま”はハンドルを握ってアクセルを踏んだ。

 ゆるゆると徐行していくジープの尻に、十三は叫んだ。


「ありがとう! 行ってくるね! たまくん!」

「うん! いってらっしゃ~い! またね! 絶対ね!」


 ”たま”のジープが、徐々に遠ざかっていく。

 夜の闇のなかにジープのライトが消えた頃、十三は、停留所に停まった高速バスに乗り込んだ。


 すでに先の停留所で乗客を乗せていた夜行バスの車内は、灯りが落ちて薄暗かった。座席には分厚いカーテンが降りていて、どんな人間が乗っているか姿形も見えない。

 十三はそろりそろりと車内を歩き、窓際に取った自分の座席に腰を下ろす。

 カーテンを降ろし、他の客から見えないように姿を隠すと、バスの中なのにひどく孤独を感じた。


 ここから八時間ほど、バス移動になる。朝目覚めたときには、東京駅に着いているだろう。


 とはいえ、すぐには眠くならない。十三はリュックの中にある充電器を探した。

 充電をしっかりして、眠くなるまでスマホで動画でも見ていよう。そう思い充電器を探りあてていると、手に温かく柔らかい感触が触れた。


 それをリュックから引っ張り上げる。

 なぜか、小学生の時から使っていた弁当袋があった。十三はこれを中に入れた記憶はない。


 袋を開ける。中に、ラップに包まれたおにぎりが二つと、古びた水筒が入っていた。いつも水割りをつくるのに使っていた、グレーのそっけない水筒だ。


 確定だ。母の仕業に違いない。


 十三はラップを外し、おにぎりを食べることにした。

 一口食べる。よく舌に馴染んだ味がする。故郷の海苔と実家の米、炊飯器の匂いまでおにぎりにしみついている。

 二口目を食べたとき、十三は具を口にして、思わず呟いた。


「しょっぱ……」

 しょっぱいほど甘辛く煮付けた、砂肝の煮込みが入っていた。


 十三は苦笑する。

 なんで砂肝かなぁ。梅とか、おかかとか、もっと食べやすいのでいいのになぁ。クセが強い。母さんらしいなぁ。本当に、最後まであの人らしい。


 おにぎりを食べ終えた十三は、窓を開けて、過ぎ去っていく故郷を見やった。


 置いていくのは自分の方なのに。

 どうしてか、遠ざかる故郷に、置いていかれる気がした。


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