裏切らない宣誓を
翌朝、「ところであの抱き枕ほんとうに貰っていいのでしょうか?」と質問するとリュカ様は口を半開きにして、当たり前だと答えた。
じつは贈り物を探している際に店主からすすめられたそう。超熟睡の枕だそうだが、「ルナには敵わない」とリュカ様は最初選択肢から外そうとしたらしい。
――それって僕が人間睡眠導入剤ってこと!?
だがしかしボディクリームだとかヘアケア用品だとかアロマだとか数点買い込んでもしっくりこなかったリュカ様はその一点ものの枕を購入したそう。そもそも使うのが自分ではないからと割り切り、こうして昨夜プレゼントされたわけだ。
「えーと、贈り物の理由は聞いても?」
「喧嘩してたろ、俺達」
「ええ、まあ」
「要は詫びの……品だ」
(つまり仲直りのプレゼントってことでしたか!)
言い方を悪くするとごきげん取りってことになるかもしれないが、そこまで警戒する必要もない。
それに抱き枕は触り心地がすべすべしてて気持ちいい……。
「リュカ様が居ないときによさそうです」と言うと待て、それは俺が邪魔ってことかと詰められてしまった。伝える言葉って難しいなーと思いながら、じゃあまた使いますねと言い直すとそうしてくれと胸をなでおろされた。
「これからも添い寝は継続ってことでいいか」
「ええと……どう、でしょう?」
「ダメなのか?」、リュカ様が大げさに驚いている。
「だって、アリス様のこともありますし……彼女の気持ちとか、あとあと僕らが成長した場合は……」、両指をつんつんと付けて外してとしながら煮えきらない形で言う。
「男ふたりで寝るだけだぞ?」、なおもリュカ様は訝しんでいる。
「婚約者でも家族でもないのに一緒に寝てるだけなんて、意味不明じゃないですか!?」
言い切った内容を脳内で審議してからリュカ様も「たしかに……」と青い顔をしてくれた。
よかった、今度はちゃんと伝わってる。
「だがないと物足りない……」
ぐぬぬと思案しているリュカ様も珍しい……ほうとみつめているとそんな視線に気づいたリュカ様が眉を下げた。お前ほんと顔にでるな、と。う、うるさいですね、いいでしょう、ちょっと見とれちゃうくらい!!
「じゃあせめて隣の部屋にいるのは……」
「構わないのでは?」
「よし!」
「なにがよし、です? まさか、またよからぬことを……」
「お前じゃあるまいし、誰が主人に不敬を働くよ。って、いつもの調子が戻ってきたな。泣かれた時はどうしようかと焦ったが」
昨夜の雪はたいして積もらなかった。夜明けとともに溶け出した雪は水となり、街路樹を光らせている。濡れた路面もそろそろ乾いてくる頃だろうか。
「お前の泣き顔はどうにも落ち着かん。なにも手がつかなくなって、見ていてもどかしい。だから泣く時は俺のそばにいろよ」
(それって……)
「ま、できれば泣くなよ。赤い目のうさぎちゃん」
「泣き過ぎだって!? もう僕のことばかにして! そーゆーとこですよ、リュカ様!!」
「はは、悪い悪い」
日々はそれからも足早に過ぎ去り、気づけば年末がすぐそこまで迫っていた。
そしてとうとう今日は12月28日……大晦日が迫る週となった。
「だいぶよくなりましたね。顔色もいいです。はい、これなら年明け……いえすぐには早いですが、お屋敷にもいずれ戻れるでしょう」
「本当ですか!?」
「まあ、パパ! やったわ!」
そんな嬉しい担当医からの報告を、リュカ様にエマ様、それからフレデリック様と、僕も横で聞いていた。
狭い病室に集った顔見知りのせいか、アリス様はますます嬉しそうに話す。
ルナ、聞きなさいと僕の首根っこを捕まえる勢いでアリス様が話しかけた。
「私がんばったのよ! あまりよくは覚えてはいないけれど……お医者様がたくさんいて怖かったけど、絶対に負けないって気持ちで挑んだの! そしたら! みんな奇跡だって言ってるのよ!!」
手術中のことを覚えていないのは麻酔のせいだろうか? それにしても……。
「うっうっうー……アリズが無事で良かったよおお」
「お前は泣きすぎ」
「だってぇ」
リュカ様だってわかるでしょ、とハンカチ片手に首を傾けてみつめる。
アリス様は、まだベッドから起き上がることは敵わないが、術後の経過は安定しているそうだ。覇気のある声でしゃべる彼女に担当医含めて見舞いに訪れたオスカー様も驚くほどだった。
「たいぶよくなったね。うん、がんばった。アリスくんはすごいよ」とフレデリック様が彼女を褒め称える。
それに照れたアリス様は布団を口元に押し付けて控えめにふふっと笑った。あ、病室の外の少年が思わず見とれている。気持ちは分かる。アリス様は花もほころぶ美少女だから。
「それもこれもルナのおかげよ! あなたが応援してくれたから、がんばれたの。ルナこそ私の天使だわ〜〜!!」と立っているお腹に頬ずりされる勢いで引っ張られる。
「そろそろ僕らはお暇しようか」
「あ、待って。その前に大事なことがあるの。パパ、私を持ち上げて。リュカ様より高くね!」
そう命じるとオスカー様に肩車される要領で方に担がれたアリス様。
彼女は髪を優雅に払って、指を突きつけた。
「リュカ・ベルナルド様、私アリス・クーロンはあなたとの婚約の破棄をここに宣言いたしますわ!!」
びしっと伸びた指の先にいるのはもちろんリュカ様で、彼は苦笑している。
(えーと、リュカ、様?)
――は、え、何?
状況についていけない僕が置いてけぼりになっていると、言葉もなく青ざめるフレデリック様、さらに発狂したようなエマ様の悲鳴が室内に轟いた。
「ちょアリス!? いくら戯れでもやっていいことと悪いことが――」
「失礼ねパパ、わたくしは本気よ。本当ならお茶会やパーティー会場で大々的に披露するつもりだったんだからね!」
「何をどこで披露だって!? おまえ、気は確かかい!? あのエマ様、これはなにかの手違い、そう! 娘の例によって例のわがままで……」
あははとお茶を濁すオスカー様に続いて、リュカ様も母親に向き直って、口を開いた。
「母上。私は婚約者失格らしいです。ですのでこの婚約、双方の合意で無かったことに、」
「無かった、こと!? リュカ、あなた何を言って……私達がこの婚約をどれだけ祝福しているとッ!」
「ええ分かっています。関わった家族の誰もが希望を抱いた婚約です。ですが当事者である僕らにとってこの婚約は荷が勝ちすぎました」
「重い、と……? 君は、それでいいのかい? アリスくんだって」
「わたくしは構いませんわ。むしろ望んでやったことですから!」
「アリス! お前は少し黙っていなさい!!」
「いやよ! もうッうんざりなのよ! パパが暗い顔をしながら私のことをママと重ねて看病しようとするのも、私のためにってあれやこれや望んでないサプライズをしてくれるのも、もう……いやなの! 私は、死なないから! ママみたいにパパを残して死んじゃったりしないから!!」
「……アリス」
オスカー様は二の句を告げなかった。
アリス様は振り乱した髪をまとめて、父親に向かって微笑んだ。
「――だからお願い。私達の自由にさせて」、祈るように手を組んでアリス様は訴える。
「俺達は同意の上です。父上、母上。ご決断を」、胸の前に片手を添えて、リュカ様は懇願している。
渋る両家。それこそ重たい沈黙が場を支配した。
ところがその沈黙を破ったのは、意外にもオスカー様であった。
「せめて協議を。もう少し事情を説明してくれ。でないとこの婚約破棄にサインはできないぞ」、と目頭を揉んで彼の人は言った。
「よろしいんですの?」とエマ様は不服そうに唇を尖らせて尋ねた。
「ええ。もともとは僕のわがままでしたから。この子に、アリスに、短い人生でもせめて異性との素敵な夢ぐらいは見させてあげようという親心で……。そうか、生きて、くれるか……」
オスカー様の声は途切れ途切れで声になりきれていなかった。
「うん!!」、場違いなほど明るくアリス様はうなずいた。
「ほんと現金な子だよ、お前は……」、オスカー様は涙混じりの声でアリス様の頭を撫でている。
「ごめんなさいね、パパ! 私ってこういう性格だから!」と朗らかに、それでいて華やかにアリス様は大輪の笑みを浮かべる。
「大きく……なったなあ」
しみじみとつぶやいたオスカー様は肩車からアリス様を下ろして抱きしめた。離せえ離せえとかしましい声で騒ぐアリス様に僕も釣られて笑ってしまった。
「……それなら私からいうことはないですね」とフレデリック様は素直に引く。エマ様はまだ不服な様子だったが、この場の決定権を握るふたりが婚約破棄に同意しているようなので、リュカ様に向けてしぶしぶぼやいた。
「説明はあるんでしょうね?」
「ええ、もちろん」と、うさんくさい笑みでリュカ様は返した。
「しょうがないから騙されてあげるわ。今回だけよ」
「感謝します、母上」、リュカ様は道化のように礼をとった。
エマ様だけがなお「はあ〜〜、どうしましょう?」とぼやいているのを僕は大変そうだなあと思いながらみていた。
そんな視線の先、僕にだけみえる角度でリュカ様がウインクをしている。
(リュカ様〜〜っ!?)
屋敷内の通路を歩きながら、僕はリュカ様に尋ねていた。
「それにしてもすごかったですね。いつからです?」
「なにが」
「共謀してましたよね」
「ああ婚約破棄か。いや?」
(絶対ウソだ……一人でお見舞いに向かったのも、あの内容をまとめるためだろう。リュカ様ってば策士だ)
「喜んでくれるかと思ったが……」
「なんでです?」、理由が思いつかない僕は聞き返した。
「……まあいい。それより寝室行くぞ」
「なんでです??」、僕はもう一度問う。
「今、階下に行ったら父上と母上のお叱りが待ってること間違いなしだからな。せめて頭を冷ましてからにしようとね」
「策士めぇ……」
「さあて久々にプレイでもするか」
「……うっ、僕まで誘惑するなんて!!」
「するだろ?」
「します!!」
「食いつきが相変わらず早いんだよな。腹芸ぐらいできるようになったらどうだ?」
「うるさいですね! 早く部屋行きますよ!」
彼のそでを足早に引いて部屋へ向かった。僕の心臓は期待で早鐘を打っていた。
「『Kneel|《跪け》』」
リュカ様のコマンドに僕はぺたんこ座りした。はあはあとお預けを食らって息が荒い獣のように表情を緩めて興奮する。待ちわびた指示に、カラーを首にはめて痺れるような命令文にゾクゾクとしていると、「〝待て〟と言ったろう」と注意が飛んできた。
「――お楽しみはこれの後だ」
(くうん……相変わらず焦らすのがうまいな)
「そう泣くな。待てをしただけだ」
そう言ってリュカ様は自分の部屋の壁にかかった西洋剣の模造刀を外す。鞘から刀身を抜いて僕の前に突き出した。
「俺に恭順を示せ」
「?」
僕は困惑して首をかしげた。
「俺専用の添い寝係なんだろ?」
「でも僕……」
「つべこべ言ってないで来いよ、……俺だって、その、……ごめん。言い過ぎた」
困惑したまま彼の膝にすり寄ってみる。とりあえず近づいた僕に、立っているリュカ様が手で僕の後頭部を撫でる。手が動いてすりすりと耳たぶを弄ばれた。
「ん」、思わず声が漏れた。
「きもちいいか」
「あっ、そこっ」
耳を撫でられて背中に甘い刺激が立ち上った。
きゅんと脳の奥が麻痺する。
僕は自分から自然に頭を下げていた。片膝をついて。
片膝を立てて同じ右腕を心臓の上に置きながら頭を垂れる。
すると、リュカ様が文言を唱え始めた。
「主人のために殉ずる覚悟を捧げ、裏切らないことを誓えるか」
プレイの最中だったが、僕は必死に頭を使って、返事をした。
「誓います我が身は主とともに」
絶対服従の姿勢をとって、主従関係での最高の忠誠を示した。
主人であるリュカ様が剣の平を跪いた僕の右肩に乗せて、軽く叩いた。
リュカ様は剣を鞘にしまうと元あった位置に戻した。
僕の手の甲をとって手に恭しく口づけを落とす。
――僕らだけの誓いの儀式。
「これでずっと一緒だ」、リュカ様がいつになくやわらかく微笑んだ。
脳天に直撃した多幸感に僕はうっとりとする。
これはあれだ、久々のサブスペースだろう。夢見心地の中、リュカ様がみていてくれる。
「はあっ……」
胸がどきどきと高鳴る。圧倒的な幸福感に包まれて、酔いしれて、僕は幸せの絶頂。
やっぱり、僕の視界は彼でいっぱいになった。
良いところと悪いところが見えた今、深い思いで彼と繋がれた気がしている。こうして契約の形をとるとよりはっきり、主を支えたいという気持ちが溢れ出した。ずっとずっと、一緒にいたい、と。かっこいい彼の顔も素敵だけれど、だらしのない普段の姿だって最高にすきだ。すぐ手が出るけれど、それだって僕と一緒に成長しようとしてくれる証だ。僕は改めて思った。背伸びしがちな彼の逃げ場所になれたらいいな、と。僕を鼓舞してくれたあのメッセージのようにいつか、思いを託してくれた彼に、僕の思いも返せていけたらいいなと、思ったのだった。




