仲直りのサイン3
秋が終わりを告げてはや12月、冷たい風がノワール国にもやってくるようになり、季節はすっかり冬へと移り変わった。アリス様との絶交からほどなく二ヶ月が経過する現在、僕は給湯室で熱心に茶葉の瓶を選んでいた。香り高い瓶の数々はフレデリック様が趣味で集めたものである。
本日は天気予報のラジオどおり、雲行きがたいへん怪しく、みぞれ混じりの雨だとか。道行く人も忙しなく厚着をして外出している。夜には本格的に振るそうだから明日はひょっとすると積もるかもしれない。
茶葉の入った瓶を1つ戻し、また違う瓶を取り出す。銘柄はノーステイル産の茶葉だった。開けた蓋からする香りで今日はこれにしようと決め、選び取った瓶ごと空いていた居室に向かう。
白地の丸テーブルに台を敷き、温めたやかんを置く。あらかじめ温めた茶器へと茶葉を入れて少し蒸らす。ほどなくして蓋を開けると、茶葉から香りが立ち上るのを確認する。一杯いれて試飲した。特有の苦味と茶葉本来のうまみがすうっと口の中を通り抜けた。
(ほお……温かい。この紅茶なら)
窓の外に再び目を向ける。
天気はみるみるうちに悪くなり、窓ガラスを強い風が叩いた。洗濯物を取り込むメイドさんたちが四苦八苦してるのを窓の内側からなにげなくみつめた。
「今日もない、か」
独り言が案外響いた。
アリス様とはあれから会っていない。
そのせいで僕はやきもきしているが、彼女がどうかは分からなかった。
ああ、思い出したら胸がずきんと痛んだ。
天気のせいで余計に憂鬱になり、飲みかけの紅茶を一気にあおった。
再びカップの準備をして真剣に注ぐ。僕は、配膳やマナーの本を読みながら注意深く注ぐ動作から確認を始めた。
「今日も練習してんのか……」
テーブルの前にリュカ様がやって来た。長い足を組むように空いていた椅子に座る。黒髪がツンツンとしているのはワックスでなでつけていないからだろう。こんな天気だ、人と会う予定もないだろうし。とはいえエマ様と執事長のゴーザさんあたりは口を酸っぱくして注意しそうなものだが。
彼の青い瞳がこちらを向いた。
投げ出すようになにかがテーブルを滑ってこちらに向かう。
みるまでもなく彼が寄越したものは分かったので僕は手を付けなかった。
「ルナ、本当に読まないのか?」
テーブルに投げられたのは開けられた形跡のある封書だ。ちらっと外から確認すると僕は言った。
「くどいです」
そして僕は真剣にお茶の準備を続ける。何事もなかったように。
なお封書の差出人はアリス・クーロンとなっていた。
放置された手紙を取って、リュカ様は手持ち無沙汰に揺らしている。じつは手紙は部屋にも他に来ているのだ。
僕はため息をついた。
(本人が来ればいいのに……)、と。
「読まないときっと後悔するぞ」
「そんなわけ……」
いつもならそのやり取りで終わりなのに、今日はやけに食いかれた。リュカ様の、静かに問い詰める様子に、僕は若干後ろめたくなった。そっぽを向いて執事服のそでをまくるフリをした。ようは忙しいですっていうアピールだ。
「これが最後になるかもしれない」
(え?)
思わずリュカ様の方を振り返ってしまった。
彼は口ではきっぱりと告げていたが、リュカ様の視線は迷うように手紙の上で揺れていた。その視線が意味するように、彼の口からもたらされたのは新事実であった。
「本当は言おうかどうか迷ったんだ。――アリスの病状がさらに悪化した。今年の冬を越えられるかも怪しいそうだ。もしかしたら……」
リュカ様との会話を待たず、僕はテーブルに戻されていた手紙をひったくるようにして中身を読む。封から中身を乱暴に取り出して。
本格的な冬がくる前に、とうとう来てしまった悪い話に、頭の前が真っ白になった。
手紙を読み切って呆然としていた僕にリュカ様はさらに語った。父親から闘病に前向きになったことと、彼女がまだ諦めていないことを。ただし今読み終えた手紙は代筆者がオスカー様となっていた。つまり父親が書いて、本人は筆ももてない状態だと、言外に知らされたのだ。
室内で崩れ落ちる僕をリュカ様が抱きとめた。僕は視線をさまよわせて、なんとか隣にいるリュカ様にピントを合わせた。手紙をくしゃくしゃにして抱える。窓の外からは軒先に叩きつけるようなどしゃぶりの音がしていた。白いものが空を舞っている。すがるように腕をついて、僕はたまらず叫んだ。
「リュカ様、……アリス様にっ」
「わかった。雪が積もる前に、すぐ行くぞ!!」
アリス様のことを考えるだけで胸が痛い。あの時、僕が憤らず彼女と向き合っていれば、と馬車の前で何度も告解するように頭を下げて懺悔した。リュカ様はまっすぐに馬車の外をみながら僕を安堵させる声をかけてくれる。そのたびに申し訳ない気持ちになった。
「追加の情報だ。アリスは明日、手術のため病院に運び込まれるらしい。最近は常に危うい状態だったからな……」
(うそ。そんなことも知らなかった……)
「手紙には書いてあったんだ。お前が読まないから、代わりにオスカー様と連絡をとっていた。それに何通も来てたろ?」
顔に出ていたのか、リュカ様が説明してくれた。
健気な彼女に、もう会えないかもしれないと、絶望した。
同日、夜の帳が落ちきった頃、オスカー様の屋敷、クーロン家に到着した。降りしきる雪に足を取られたが無事到着することができた。馬車と懸命に走ってくれた馬は蔵で休め、僕らは急いで屋敷内へ向かう。
妙齢の執事に急ぎ足で案内された先は、鳩の意匠をあしらったドアプレートをかけたアリス様の部屋で、入口ではオスカー様が僕らを出迎えた。
「よかった、間に合ったんだね……」
胸を撫で下ろすオスカー様とリュカ様が挨拶をしているのも確認できぬまま、僕は部屋の一角に釘付けになった。
天蓋付きの桃色のベッド、お姫様が眠るような寝台にはすっかり白髪になってしまった美少女が横たわっていた。眉を下げ苦悶の表情で眠る、アリス様だ。
時刻はすでに夜六時。日暮れが早まったこの季節では窓の外はすっかり闇の中だ。
暖炉で薪をくべた火が揺らぐ。ぱちぱちと爆ぜる音を立てながら、また1つ燃え尽きた。
僕は膝をついた、脱力するように。すとんと自重で落ちた体で、這うように彼女のベッドに近づいた。眠るアリス様は、だがしかし呼吸の音がおかしかった。晴れやかだった顔つきは苦しげで、らんらんとしていた赤い瞳は伏せたまま、ちょっと勝ち気でおませなところのあるおしゃべりも、でてはこないようだった。
「あは、……はっ……」
半笑いみたいになってしまったが、もちろん笑ってなどいない。僕は今悲しくてたまらないから。ひきつった頬へは次々に涙が流れ落ちた。拭っても拭っても落涙するばかり。
「本当は、何度も願ってたんだ。いつもどおりないたずらっ子な顔で君がやってきてくれるのを。そしたら僕もごめんって謝って、君のために特別な一杯を出してあげようって。がんばって。ひっ、練習じでだのに……こんなのってないよ、アリス。わがままなんて言ってごめんね。僕の方こそいじっぱりだった。ねぇ、……ごめんねぇッ!!」
本当だ。彼女が訪ねて来たら、少しも憂うことがないように笑顔で出迎えようと、来る日も来る日も窓の外を確認していた。そして仲直りに、アリス様のために小さなお茶会を催して、最高の紅茶を淹れてあげようと決めていたのだ。
(……ああもっと早く謝ればよかったよ)
たった一言を、なんて意固地になって。
あんなこと言わなければよかったと悔いる。
これが僕の本心だ。
けれど現実はむじょうで、どうやっても遅すぎた。
謝罪する僕に横からオスカー様が手紙を握らせる。封書もしてない、便箋の束を。そしてオスカー様はいう。
「俺は君のせいだとは思ってない。これは運命のせいで、娘は病気と、最後まで闘っていたんだ。それを君には知っていてほしい」
なんのことかわからない僕にも真剣に言う彼女の父親。君のせいじゃないと、何度も、鼻を擦って伝えてくれる。誰も悪くないんだと、そうして手紙を託された。
それは、アリス様が直筆で書いた手紙だった。
古いものから新しいものになるにつれ、整っていた字体が思わず目が滑ったり解読困難になるほど崩れたものへと変わっていった。そしてとうとう、今日リュカ様が持ってきたものはオスカー様の代筆になっていたのだろう。
(もうアリス様はペンも握れない……)
悲しみで、胸が張り裂けそうだった。
手紙の中では、リュカ様との婚約が死ぬ自分への父からの贈り物だと明かされていた。独りで終わることがないようにと、希望を、花を持たせる、といった意味合いでなされた婚約だと。余命後少しの自分と事件のせいでお見合いの話も流れた彼。そういう意味でも詳細を秘密にした婚約は都合がよかったのだ。けれど、彼女にとってはサプライズでもなんでもなく重いものだったと書かれている。家どうしの契約だとか、娘のためだとか、用意されても自分には似つかわしくないと思っていたらしい。
――病気で死ぬ自分と、あの方が釣り合っていいわけないでしょう?
アリス様の言葉で書き添えられていた。彼女はずっと、自分が釣り合わない理由を相手のために想っていたのだ。僕は思わず口元と胃の中の吐き気を抑えた。僕は、僕ってやつは本当になんてことを……!!
――ごめんなさい、ルナ。私あなたの秘密を盗み見ようなんて、約束を破るつもりなんてなかったのよ。
ああ、温室で盗み見してしまったことか。
そんな些細なことを気にするほど、彼女の心にはつかえていたのだろう。僕の失意なんて忘れていいんだ。君は、君のことを、一生懸命すればよかったのに……。
(僕は君に、ひどいこと言ったのに!!)
あの日、勝手に絶交するように縁を切った日だ。扉の内側からは、引き止める声が咳によってかき消され、ベッドから布団が落ちる衣擦れの音がしていた。見えなかったけれど、アリス様は僕を引き留めようとベッドから這い出ようとしたのだと思う。それを僕は想像できても無視したのに!
――まさか、友達になった子の好きな人がじぶんの婚約者になったばかりだなんて。神様もひどいことするわよね。身勝手に婚約者を渡そうとした私のこと失礼だって、あなたは怒ってくれた。私の身の程知らずな親切心をおせっかいを。……でもきっとあなた達ならって思っちゃったの。あの温室の一件から、本気でそう、思ったの。ああ、ふたりはお似合いなんだって!!
もう、何もでてこない。手紙を何通読んでも、アリス様はやっぱり悪くないって分かるから。全部全部、僕が愚かだったんだって。
くしゃくしゃに丸まった手紙を握りしめて僕はアリス様に語りかけた。ごめん、ごめんと、そう何度も。視界が涙のせいでぼやけて口の中にまで塩辛い味が入ってきても、僕はやめなかった。
オスカー様から緊急手術の話をされる。咳き込む彼女が目を開けた。あの日も空咳がひどかった。じわじわと胸にこみ上げる。
「婚約も、娘のためになると思って無理を通した。けれど結局は負担になってしまった……」とはオスカーさんだ。この人はただ愛娘に元気になってほしかったんだろう。
「アリスにもリュカくんにも、申し訳なかった。すまない……」
そうか、オスカーさんは代筆を通してアリス様の心を知ってしまったのか。
最後の一枚には、花を添えるようにポインセチアのスタンプが押されていた。その花言葉はたしか……。
――勝手だけど、あなたを人生で初めての友と見込んで頼みがあります。どうか……。
誤解は解けた。僕らの行き違いもこれでなくなったというのに、アリス様の病状は悪化するばかり。彼女の涙ぐましい努力があっても、ペンはまともに握れなくなってしまった。必死に手書きして、何通も失敗したのだろう、その跡がみてとれる。書き直して、何度も出しそびれていた手紙を。
健気でいじらしい彼女にしおらしい自分の心が信じられない。今こそ、そうだろ。彼女を元気づけてやらなきゃ。客室で言葉を失った僕じゃない、今は今だけは彼女を勇気づける番なんだ!
――わたしの分まで、幸せになってね――
喧嘩なんかするんじゃなかったと、謝れなくて胸が痛かったと、後悔は、あとからいくらでもすればいい。今はただ、親友に思いをたくそうとして、目を開いた彼女に伝えることだけだ。
「僕らずっと……ともだちだよ」、約束するように告げると、アリス様の表情が安らかなものになった。声が出せない代わりに手を伸ばす。僕は自分の頬に当てるように、彼女の手を取った。
「ほら、僕、こども体温でしょ。だからあったかくなってよ。ねぇ……アリスぅ……!!」
あなた達を見守るかわいい天使より、そんな肩書いらないから、元気になって?
「」
そこだけやっとしぼったように発話して、アリス様は倒れた。急いでオスカー様や屋敷の医者が駆け寄り、緊急で病院へ運び込む準備をする。
彼女の体が担架に乗せられたその瞬間、叫んだ。
「ぼくのともだちがまた笑ってくれますように!!」
オスカーさま達が乗り込んだ馬車を見送る。
押し付けられた手紙を読んで号泣した。目を紙で伏せたまま、ともだちだよ、ぼくらずっと前からと叫び続けた。そうやって、彼女のために祈った。
「大丈夫だ。きっとアリスは無事だ」
本来なら彼女と主人が結ばれるはずだった。僕はそれを祝ってこそ呪うなんてありえなかった。自分を呪う僕をすくい上げるように、リュカ様が抱き寄せた。
きっと笑ってくれるさ、と。
リュカ様が僕を励ますように背中を後ろからさすってくれる。ふたりで身を寄せ合って、僕はまた泣いてそれをあやすリュカ様。
雪が舞い散る。外の世界からこの矮小な自分たちを隠すように降り続ける。これまでの過ちを、きれいに精算するよう、すべてが白く染まるのだった。




