仲直りのサイン2
お茶会中止から翌朝――。アリス様は大事をとって屋敷に滞在された。よくない意味で騒がしかった客室は、今日になって一転、静まり返っているそうだ。
メイドさんたちのおしゃべりを耳にしたせいで余計に気になってしまった。
僕はどうしても彼女が心配になり、こっそり、アリス様の客室を昨日のようにふらっと尋ねてみることにした。
気まぐれに訪れることで少しでも気が紛れれば、そう思ったのだ。
10月に入って5日目のこと、普段なら日の当たる客室内は空が曇っているせいか薄暗かった。
僕はノックをしてアリス様の返事を機にドアノブを回した。
室内に入ったが、音はしなかった。ただ僕が床を踏みしめる音だけが大きく響く。
アリス様は探すまでもなかった。彼女は布団を頭まで被ってそっぽを向くようにしている。
それでも僕のことが気になるのか時折頭がひょっこりとのぞいていた。
それを目で確認した僕は、苦笑しながらベッドに近づく。
ベッドからわずかに手がのぞいた。端をぽんぽんと叩いている。
(ここに座れってことかな?)
合図を確認してベッドの脇に座り込む。
そうして僕は話し始めた。
「具合はどう? 昨日よりは落ち着いたのかな」
「……」
アリス様はすぐには答えなかった。
彼女が口を開いたのはたっぷり間を置いてからだった。
「よくなんかなりっこないわ、悪化しているくらいだもの。ねぇ、私このままだとペンも握れないんですって。……どうして私なのよ!」
部屋の空気が変わった。
彼女が吐き出した落胆は、アリス様がずっと抱え込んでいた本心だろう。
もしかしたら今までは病の詳細について明言されるのを避けられていたのかもしれない。それがいよいよということで彼女本人にも伝えられたとか。
それにアリス様自身、自分の症状から予感があった可能性もある。
すこしづつ変調を感じていながらそれでも前向きに振る舞って、それがこの前のお茶会でだめになった。
アリス様は咳き込んだ。この前のようにつらそうだ。
それでも彼女は僕に向かって内心を吐露してくれた。
「し……んじゃうのやだぁ……」
こんな病気の自分がいやだと、すすり泣きとももに泣き言を漏らし始めた。
医者から告げられたという詳細、それはアリス様にとって死の宣告にも等しかったのだろう。
絶望に喘ぐ人がいたとして、その人を勇気づける言葉になに何を選べばいいのか、僕にはわからなかった。
ただ拳を握る。一生懸命頭を使っても、名案一つ浮かばなかった。
伝えたい事も知っていてほしい感情も山ほどあるのに、現実に苦しむ人へかけられる言葉が、ない。
彼女が昨日散々他人にあたっていたのは知っている。それは褒められた行為ではないけれど、そんなことを一番理解しているのはきっと本人に違いない。追い詰められるほど、アリス様は落胆しているのだ、きっと。投げやりになってしまうほどに。
共感なんて口が裂けても言えないが、同情している僕の心は嘘ではない。せめて寄り添うことができたら、そんな思いで僕は手を伸ばした。
僕はアリス様のベッドから出ていた手を握る。
彼女は口でいうほど達観していない、その様子がわかるように、包むように握った手指がわずかに震えていた。
アリス様のすすり泣く声がやんだ。
「……あったかいわね。あなた子供体温でしょ」
「僕も子供だけど、君もでしょ?」
「私は違うわ、もう大人だもん」
「大人はそういう風には言わないんじゃないかな」
苦笑いで首をかしげる僕に、いつもの口調で「なによ」と文句がありそうなアリス様は言った。
僕の機転によりちょっとだけ部屋の空気が戻った。
するとアリス様が僕の手をいじましく握ったまま口を開く。
「私見ちゃったの」
(急になんだろ?)
疑問に思いつつ僕は話に耳を傾けた。
「うまく言えないけど……ええとあなたとリュカ様が温室にいたのを、そう偶然に!」
気まずそうな雰囲気が漂う。
(うかつだった。……まさかあの時茂みが揺れたのって!!)
僕は全く知らなかった。
思わず全身が硬直した。
のどが乾く。緊張感が動悸を支配していて思わずアリス様の手を放してしまった。
結局、僕はまた虚空を掴んで、確かめる。
「もしかして聞いてた?」
僕はすべてが露呈しないようにさわりだけで尋ねた。
「うん。あなたたちが……えっと、声を張り上げていたから」
なるほど。それはつまり、ほぼすべて見られていた、と仮定するのが自然だろう。現にアリス様は顔を赤らめて視線が泳いでいる。
(これは全部、聴かれてるなあ……)
終わった、と僕は思った。よりにもよって彼の婚約者に僕の気持ちがあんな形でバレてしまうなんて。
「本当は婚約者なんて器じゃないの」とアリス様は諦めきった顔つきで首を振った。
「アリス様はどうしてリュカ様と釣り合わないなんて言うの? そんなはず、」
「だってそうでしょう!? 私は病弱で、気も弱くて、隣に立つ資格なんてないのよ!!」
僕にかぶせるように言い返すアリス様は本当に鬼気迫る表情で、僕はついムキになって抗議した。
「かわいくて気立てもいい、しかも君は貴族なのに! それ以上どこに問題があるっていうのさ!?」
「あなた、やっぱり彼のことが好きなの?」
布団を押し上げて起き上がったアリス様と目が合った。彼女の視線に耐えきれず僕は視線を反らしてしまう。
核心だった。
身分不相応だと自分でも分かってる。それでも僕の中の恋心は容易には消えてくれない。
まさか婚約者である彼女にばれたうえでこんな恥ずかしいしい思いをするなんて、今すぐ消えたいぐらいの後悔だと思った。
アリス様もアリス様でさっきちらっと見えたその目はまんまるな猫の瞳のようで、唖然としている表情だった。
さすがにいくら鈍感な僕でもなにもいえなかった。
室内の空気が凍りついた頃、メイドたちの話し声が扉の外から聞こえて通り過ぎていった。ドアの装飾をひたすら見つめて、葛藤していた僕へ向けて、少女のややわらかな声が響く。
「いっそあなたが受け取ってよ」
「なんだって」
柔らかい物腰で伝えられた言葉は、けれど一瞬で僕の神経を逆なでした。甘い誘惑のようにも取れる内容だったが、その言葉の本質に、僕は思わず怒りが湧いた。深く神経に刺さるような不快感にたまらず叫ぶ。
「リュカ様は物じゃない!」
「え……?」
僕は激昂しながら静かに言い放った。冷たく拒絶する空気をまとわせアリス様をにらみつけ、そのまま言った。
「彼のことを迷惑だって、思ってるのか!? でも僕の主人は軽く扱われていい人じゃない!! 君って、案外、わがままな人なんだね」
アリス様は口を金魚のようにはくはくとさせた。なにか言い訳でもしようとするように口を開くが、間髪入れずに言葉で遮る。僕には彼女の弁明を聞くだけの余裕がなかった。
「なんだよそれ……」
二言、三言ほど言い返すと怒り心頭なまま止める声を聞かず部屋の外に向かう。
扉の前で、僕は彼女から顔を隠すようにして、最後に言い放った。
「君のせいで僕は、……ほんとみじめな気分だよ。どうせ好きな人に避けられるなら最初から好きになんか、ううんキミとなんか知り合いになるんじゃなかった」
扉を叩くように押し開けた。閉める直前、室内からは咳き込むような音と布の衣擦れが聞こえていた。僕は二度とは振り返らなかったが。
一人使用人棟私室でもんもんとする。
けれど体にたまった発散しようのない苛立ちはぶつけようがない。
僕はベッドに突っ伏して泣くほど悔しかった。
(勝手すぎる……! リュカ様に対しても、アリス自身に対しても不誠実だ!)
語気を強めて荒げた。僕の心は、自分が逆立ちしたって手に入らない立場を、彼女はなんの覚悟もなく軽い気持ちで譲渡しようとする姿勢が許せなかったのだ。嫉妬も嫉妬で、理解していて、そのために激昂していた。
「僕じゃ手に入らないのに……」
最近、こういうことばっかりだ。リュカ様とも喧嘩して、だけど彼とはやっと仲直りみたいに落ち着いた。なのに今度はアリス様と仲違いなんて……。
(これ以上……僕のものをとらないでくれよ)
僕の悲しい独り言が虚しく枕に落ちたのだった。




