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ミニュイの祭日  作者: 月岡夜宵
前章 星降る夜(ニュイ・エトワレ)

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意地っ張りと脱げないシャツ2

 音がした出入り口の方を振り返る。視界に飛び込んできたのは、黒髪にシックな装いの――……。

「リュカ様? どうしてここに……」

 彼の返答はお前もかというもので、まさかここで遭遇するとは思わなかった、という内容を含んでいた。


「うっ……」


 僕はこめかみを押さえた。

 封じ込めていた昨日の記憶の糸が、弾けたように飛び出す。体中を一気に駆け巡ったそれらに、自然と腹部と口元をおさえた。

 記憶に残っていたのは、彼の拒絶。それから、リュカ様のグレアを思い出して体が震えた。

 言葉も届かない思考の迷路に落ち込んでいく。顔を思わず伏せると、自分の吐息だけが耳に入った。もうわけがわからない。

 ぐるぐると視界が回って気持ちが悪い。

 立っていられなくて温室の床に膝をついてかがんだ。まともに立つこともできなくなり、目を閉じた。

 それでも不快感は収まらない。


 がたがた震えてどこまでも落ちていくような錯覚に囚われる。

 突然、背中にあたたかい感触が戻ってきた。


「だいじょうぶだ、落ち着け。なにも、しない……」


 よしよしと背中をさする手はリュカ様のものだった。

 顔をあげて彼の表情を確認するのが怖い。

 また拒絶されたらまた嫌悪されたら、そう思うだけでえづくような吐き気が込み上げる。


「……そんなに俺が、こわいか?」

「え?」

「俺にも覚えがある。トラウマのせいでそれ、サブドロップになりかけてるんだよ。そうか、……嫌なんだな」


 立ち上がるとリュカ様は踵を返して出入り口に引き返そうとした。

 よかった、心のどこかでそう思った自分とこのまま関係性が瓦解するのを恐れた自分がいて、どっちも選べないまま、結局、彼の袖を引いてしまった。


「いか、ないで……」

「そうやって引き止めて……ルナリード(・・・・・)、おまえはッ、なにがしたいんだよ!? その思いには応えられない。それでもまた仲良し主従ごっこでもしろってのか? それでいいのかと聞いてる、答えろ!!」


 居丈高にリュカ様は両手の握りこぶしを震わせて語った。温室のうちわのようなアンスリウムがその横で揺れる。立ち姿すら美しいのに、琴線に触れるのはリュカ様の発言ばかり。


「答えられないか? はは、今度は沈黙で俺を失望させるのか」


 力なく開いたリュカ様の手。そこから、彼の心の、一体なにがこぼれたのだろうか。




 リュカ様が自分で口火を切る。


「ずっと、どんなにポンコツでも未来永劫傍においてやろうと思ってた。お前だけは俺を見捨てないって、信じてたから。くそっ、なんでだよ……。一緒に切磋琢磨して、良い主人と従者になってこの家のために生きていく、……それが父上と母上の願いだろ! 俺の不眠症だって改善するって約束したくせに。お前が支えるのは当然だと思ってたのに。今まで通り、従者でパートナーで、それのどこが不満なんだ!? 理解はしていて欲しいが、お前じゃ俺の婚約者(アリス)にはなれないんだぞ」


 決定的な宣言。それはダメ押しだった。

 リュカ様は目元を隠して嘆いている。

 僕はみじんも動けない。こんなこと言わせるなという彼から伝わる雰囲気に当てられて。




 おおっていた手のひらを力任せにおろした勢いのまま、彼の虚空のような、青い瞳がこちらを向いた。


「そんなもの脱げよ」

「え……」

「いっそ分からせてやるよ。その恋心とやらを綺麗さっぱり塗り替えれば、もとに戻る話だ。この際かりそめの言葉でも体裁だけ整っていれば十分修復できるよな? ――外見が剥げたらまた一からやり直せばいい」

(なにそれ)


 嘘、で、ごまかすっていうんですか。それこそ僕らのこの二年の思い出への冒涜ですよ。

 ほんとうに、僕のことなんか、都合の良い駒としてしか見てなかったってこと?


 あのベッドの上の蜂蜜も、チーズで味変したハンバーグも、パートナーになった記念のカラーだって、不器用なできのマグカップ、浴室の中でのキスだって、――。


 贈ってもらったすべてが宝物のようだった。僕の視界は反動でつよくにじんだ。どれもこれも世界で一つだけだったのに。


(ああ、これっぽちも届いてないや)


 温室の曇ったガラス。パイプから流れる水のせせらぎが温室全体に響く。光が降り注ぐサンルームでの決定的な、すれ違い。




 リュカ様の脚が僕が座り込んでいる眼の前まで来た。さらに踏み込んで僕と視線を合わせるようにかがむ。その足取りは優雅なのに、洗練された動作の一つ一つが、まるで僕とは違った。

 記憶の中のくったくない顔で笑う、ちょっとだらしがない彼が恋しくてたまらない。


「いやぁ、リュカ様。そんなの僕嫌です……!」

「安心しろ。キスぐらい、なんでもない。こんなのは慣れてしまえばただの習慣だ」

「やだ、やですよ……僕は。そんな、ただの間違いに、この恋をしたくないッッ!」

「番も結婚相手もどっちも特別なのに、どこが不満なんだ」


 その時ハっとさせられた。

 そのふたつが並列して出てきたということは、リュカ様の中ではやはり、きっちりと線引きされているということにほかならない。


「ただのパートナーや従者じゃ、あなたと一緒に暮らせないってこと、ひっぐ、わかってるもん。あなただけが唯一無二なのに僕には二番手になれっていうんですか? あなたと婚約者が笑ってる横で指をくわえて見てろって!?」


 ぐずぐずと鼻をならして問いかけるも彼は黙って笑うばかり。

 答えをくれないまま、タイムリミットが訪れる。


 頬に手がかけられて目を閉じるよう促される。

 僕は、首を振って唇を噛んだ。

 聞き分けの悪いこどものように彼をまっすぐみつめる。

 瞳いっぱいに、夜空のようでいて深くきらめく湖畔の青が迫る。


 上を向いた僕の顎をすくうようにして――。







「叩けばよかったのに……なんでそれができないんだよ」


 リュカ様は呆れたように苦笑いしている。ため息をついて足癖悪く座る彼の青い目は膜がはられたように光っていた。

 ひどいことしてるのは俺だろ、お前が泣くことない、そういって頬をやさしく撫でられる。手つきは優しいのに言ってることはほぼほぼ鬼畜なそれだ。やっぱり彼の本心がみえない。


 ――彼は結局、くちづけをしなかった。


「頼むから好きなんていってくれるな」


 リュカ様は弱ったように相反する矛盾のような願いを口にした。

 憑き物が落ちたような豹変ぶりに動揺しているとさらに告げられる。


「大切にすべき人が増えた、そこはどうしようもないんだ」

(家の都合ってこと?)

「正直、お前のことどう思ってるか、俺には断言できる自信がない。意識したことなんてこれまでなかったから……。でも、俺達は男同士だし、お前は同じ貴族じゃない。それなら割り切った関係の中でお互いを慈しめばいいと思わないか。何が不満なんだ」

(幼稚なダダではありませんよ。これは――)


「僕、は、ずっと好きで好きでしかたなかったんです。結ばれないってわかっていてもこの思いのせいで葛藤してて、リュカ様に言われてることなんて何度も考えました。それこそ、堂々巡りでも。僕にだって正解なんてわかりませんよ……」


「平行線か」

「ですね」

「はー……どうすっかな。これ」


 リュカ様は吐息とともに、天を仰いで後ろに上半身だけ倒れた。ぼーっとガラス張りのサンルームを仰ぎ見ている。そのうち観葉植物の長い葉をつまんでくるくるといじりだした。手持ち無沙汰になったらしい。そんな様子を観察してくすっと笑うとリュカ様と目が合ってしまう。




「悪かったな。すこし泣かせすぎた」

 彼の長い指が僕の目元をなぞった。

「ん。リュカ様はいじめっ子だったんですね!」

「……かもしれん」

 素知らぬ顔で肯定するあたり、彼も彼でイイ性格をしていると思った。


 それでも一つだけ言いたいことが僕にはあった。


「この二年は、ううん、それよりずっと前――リュカ様との出会いから今までのどの思い出だって嘘じゃありませんから」


 こわごわと申し開きしてそれでいて逃げるような形で言い切った。

「お前ほんとばか正直だな。まやかしじゃ納得しないってか。この分じゃ俺が泣き落としにかかっても無駄そうだな」

「わ、悪かったですね! がんこで……くしゅん!!」

 リュカ様がぼくの突然のくしゃみにびっくりしている。


「ちょっといいか」

 こっちへ来いと誘導された先には温室内で植物を観察できるガーデンベンチがある休息スペースだった。ベンチに僕を座らせるとリュカ様は一度温室を抜けて、また戻ってきた。ふかふかのバスタオルを広げるとそれで僕をもみくちゃにした。ぎゅむぎゅむと包むようにほっぺや髪を弄ばれるのに不満をもらすと、「そのままだと風邪引きそうだったから」と答えられる。


「昨日みたいに濡れてませんよ!?」

「でも震えてたろ?」

「うっ……」

 図星だ。




 タオルから香る柔軟剤の匂いでほっとしているとだんだん力が抜けてきた。リュカ様が前に来たタイミングでその胴体にもぞもぞとひっついてみた。ほわっと香るいい匂いに紛れてリュカ様の匂いがする。わぁお久しぶりだぁ……。


「おまっ……それ反則だぞ…………」

「ふぇ? なんでしゅ、りゅか様、ねむ……ねむくて……ぇ」

「はー? 安心したせいか、それとも疲れすぎたせいかな。もういいからそこで寝てろ」

 とんとんと背中をあやすように押さえる彼に思わず口から漏れたのは、「やだ!!」、だった。

「反抗期か!」

 リュカ様がくわっと叫び返す。いつもの調子で額を打たれた。


 ったくと言いながらも僕を寝かしつけようとしてくれる手つきは相変わらずやさしくて、バスタオルの中でむふふと笑ってしまう。

 呆れるリュカ様も埒が明かないと思ったのか、僕の横に座った。


「許してくれとは言わない。だが、俺の事情も汲んでくれるとたすかる」

「留保しましゅ……」


 耳たぶを擦られながら彼の肩に頭をこすりつけた。

 同意するように相槌を打つ。


「りゅかさまにもじじょうがあったんですね」

「ああ」

「よしよし、もうだいじょーぶですよ」

「なーんにも解決してないがな」

「ふふっ、へんなの」

「なにがおかしい」


 頭を撫でた手をバスタオルの中にひっこめると僕はまたうたた寝の準備に入ろうとする。


「だって、リュカ様がいつもみたいにだらしがないから」

「――ッ! ああ、そうだな」


 リュカ様から鼻をすする音がした気がする。




 やわらかく降り注ぐ日差しのもと、台座の天使像やちいさな噴水のある温室には福音めいた教会から届く鐘の音が聴こえていた。


 気を張ってばかりだった僕ら。リュカ様の責任感や重圧といった言葉はあながち嘘ではなかったのかもしれない。だって彼は頑張り屋さんだから、多少なりとも無理はしていたはずである。 


 僕らはガーデンベンチに隣り合って座り、身を寄せ合うようにして、まっしろなバスタオルにくるまれるのだった。久方ぶりのここちよいまどろみの中で、――。







 僕らは知らない。茂みの奥が揺れて流れるような白髪がそっとのぞいたことを。

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