パニック・キッチン1
「はあ〜〜」
「浮かない顔ねぇ……。ルナちゃんったらどうかしたの?」
僕は今どこか上の空で考え事をしている。そんな僕に向かってエマ様がなにか言っているが、さっぱり理解できなかった。それもそのはず、だって僕の頭の中は現在進行形で別のことでいっぱいなのだ。
現在僕がいるのは別荘のキッチンである。キッチンに居るのは僕を含めてエマ様とカレンだけである。女性陣に促されるままあれよあれよと連れてこられたわけだが、これには理由があった。彼女たちなりの理由が。
「もしもしルナちゃーん! だめだわ、全然聞いてない。これは重症ね。ルナちゃーん、あなたはボールのかくはん係なのよー!? 戻ってきてー」
「はぁ〜〜い」
「本当、どうしちゃったのかしら?」
僕は、エマ様が顎に手を置いて小首をかしげたのをなんとなく見ていた。
それでも僕の心は彼方遠くにあった。
エマ様がいる背後の格子状の窓ガラスからは、厚みのあるクリームみたいな雲がぷかぷかと浮いている。かわいい生き物みたいにみえた雲が、おかし雲をぱくんと食べたのを見たら、もう、だめだった。
(あの唇とキスしちゃったんだ……!)
僕の思考は昨夜のお風呂場での出来事でいっぱいになった。考えないようにしても、無駄。そのため、今日は珍しく寝不足なのだった。まるでどこかの誰かさんのように。もちろん僕は健康優良児だから徹夜なんてしない、しないのだが……。
(んもおおおおお! 気になって眠れなかったよおお!!)
机をバンバン叩く僕を、ふたりが奇妙なものを見る目でみつめた。
意識しまくりな夜をもんもんと過ごした結果、目だけがギンギンになっていたのだ。
充血した目のせいで朝日がとてもしみる。
おかげさまで、カレンには頬を弄ばれてしまい、つつかれ過ぎて頬を防御するのもめんどくさくなった。何があったのかと、好奇心旺盛な彼女にはガードも打つ手なし、困ったものである。
リュカ様と明け方まで同じベッドに潜り込んで、おふとんにしまいこむように抱きつかれた。せっせと布団をかけられた末、僕を包む彼の匂いを堪能して朝を迎えた。一睡もできぬまま、僕とリュカ様の一夜は終わった。そう、終わったのだ。
布団のなかでは、されるがまま、抱き枕状態だった。身動きが取れない僕の耳に、リュカ様の寝息がかかって、どきどきした。極めつけは、僕の茶髪をさわる手付きが優しくて。ぐぅぅぅと獣のようなうなり声をあげて耐えるしかないのがしんどかった。逆につらい、というやつだ。意味、わかるよね?
興奮しすぎてねむれなかった僕と違って、僕の顔を変な顔でみたリュカ様はといえば、快眠そのものだったご様子。髪も肌もこころなしかつやつやして見えた。ずるい。いつもより輝く彼が、なんだか朝日のように目にしみたのは気の所為だろうか。
さて、そんな好調なリュカ様は朝市にでかけるといい残し、リュートを伴って屋台へと出かけていった。にぎやかなリュカ様をみるのは嬉しいが、いかんせん夜ふかしする原因となったのに、彼の方は意識すらしてないのを自覚させられて悔しくもある。
(もういいや。寝よ)
そんなわけで、部屋で二度寝をしようと布団に潜りこんだところ、これまたにぎやかな声で叩き起こされた。
「おねぼうさんねー。まったくだらしないんだから、ルナは。もう十二時よ、さっさと着替えてキッチンにいらっしゃい!」
「あい……すぴー」
「ちょっと! 言ってるそばから寝ないでくれる!? せっかく起こしに来たんですけどぉ!?」
「う……うう……っ、ずび、ばぜん、すぴー……」
「だから寝るなー!!」
腕が振り上げられたのを薄目で確認すると、僕は布団の中に逃げ込んだ。
カレンは諦めることなく、憤りのまま布団に乗り上げた。彼女によってすまきの状態でゆさゆさされて、不快な気分のまま覚醒に向かう。同じゆらゆらでも、今こそハンモックで二度寝がしたい気分……。うっぷ。
僕は仕方なく起床した。その足で洗面台に向かう。洗顔するといつになくしょぼしょぼな目の僕が鏡越しに僕を迎えた。
「……かわいくない」と口から感想が漏れた。
開かない目と奮闘しながら洗顔を済ませ、キッチンへ向かうと、なんと朝食はおろか残り物さえない始末。
僕は膝を折って絶望した。
そんな僕を連行してきたカレンはこともなげに言う。
「パンケーキ作りましょ」、と。




