レッスンの続きはご褒美のあとで4
指先で封じた彼の責任感。今だけは退去してもらおう。たとえリュカ様でもこの判断には口出しさせてあげない。
僕はリュカ様がおろした拳を指一本ずつ開いていく。丸めた手に手を絡めるように。白色の湯船につかりながら、僕の体温はゆるやかに上昇していく。
「たぶんちょっと、疲れちゃっただけです。そのせいで精神が乱れて?、とか。わかんないですけど」
ためらいがちな接触にもぞもぞとこそばゆい心。僕はリュカ様の指先を堪能しながら恍惚に浸る。手のひらを揉むように、以前にもしたお風呂場のマッサージを思い出しながら。その時は足湯だったが、今度は全身浴だ。
「ゆっくり、吐いて、吸って。そして、疲れごと癒やしましょう? リラックスですよ、リュカ様!」
「おまえは……はは、それでいいのか」
「構いません。どうせ休暇中ですし、お互いすきに楽しみましょ?」
リュカ様は目元を拭ってそのまま目を閉じるのだった。
心がほぐれていくのは、ふたりとも裸だからだろうか。衣服をまとわないだけで、こんなに開放感に包まれるとは。
目を閉じた彼を追いかけるように、耳に口を近づけた。彼の吐息の合間に僕は唱える。渾身のおまじないを。
「リュカ様――『Come』」
ちゅ、っと耳をかじるイタズラをふくませて、僕はコマンドのまねごとをする。到底聞くはずはない。だって僕はサブだ。ドムのように強制力のあるプレッシャーも放てなければ、拘束力のあるコマンドすら放てない。
「いい子ですね。リュカ様はとってもいい子です。だから今日はめいっぱい褒めてあげましょうね」
彼の頭をゆっくりなでる。
彼は僕のいいなりだ。ちょっと恥ずかしいごっこ遊び。そこに、喜びを感じているのが僕だけではないといい。
恥ずかしそうに赤面しているリュカ様の表情にグッと、胸に迫るものがあった。瞳は潤んでいるけれど、もっとというふうにすり寄る、彼。僕は思わず、ふだんは見せない甘えた仕草にきゅんとしてしまった。こんな彼も、とっても魅力的で、胸中で小躍りしてしまう。
(じつに面映い!!)
「その調子で……『Look! ちゃんとできましたね!!』
『Stopだよ。今は……、そう、僕だけをみていてくださいね』
『Spek。僕は鈍いから、ちゃんと言葉にだしてほしいんです。あなたのすなおな気持ちを、僕にだけ、おしえて』
これでいいのか、そんな彼の不安が見え隠れするから、僕はそんな視線も許さず間髪入れずに次の指示を飛ばしていく。僕だけをみてと何度も告げて、彼の考えるすきを奪った。そうすればリュカ様はおそるおそる僕にふれる。
両手をつないで指を絡ませ、対面で僕らは向き合った。さっきマッサージをしていたから指先の血行がいい。おかげでリュカ様の手のひらもあたたかくなってきた。
そして、ダメ押しの、コマンド。
「『Kiss』」
ケアにすらなっていないかも、なんて不安も足元に追いやり、僕を包んだのは充足感。恋心からくる満足感につきあわされているリュカ様には、この疑似コマンドは効果を発揮しないと思う。それでも、少しでも、彼の心が快方へと向かえばいい。
願いながら祈りながらドキドキして放ったコマンドのあと、薄目で彼の口元をみてしまった。どうせ、首肯されることのないコマンドだ。だから僕は油断していた。
腕を引かれて密着された。強引に羽交い締めにして、僕の口元をなでる彼。
彼の顔がふれあいそうになる距離感におりてくる。表情は湯気で読めない。背中ごしに感じる筋肉のせいで、よけいにきつくて、熱くて、僕はどうにかなってしまいそう。
「足りない……」
「え?」
なにやらふわっとした食感が、マシュマロのように溶けて消えていった気がした。
僕はきょとんと相手をみつめる。その視線を居心地悪そうに避けるリュカ様が言った。
「今のは……、なんでもない」となにかを言いかけて、やめてしまった。
ざばん、男らしく湯船を出ていくリュカ様のたくましい広背筋を黙ったままみつめる。なにか声をかけることもできないまま、僕は自分の唇に触れる。
(今のは……?)
とろけるようなテクスチャの湯船から出る。髪をドライヤーで乾かしながらもまだ、僕は陶然としていた。そこへかかる、リュカ様の声。
「今度は倒れなかったな?」と茶化すように笑っている。その笑みはあまりにも屈託ないもので、浴場でみせていた顔つきとは乖離している。
(やっぱり……夢? って落ち着け、僕。一旦、目の前に集中しよう)
「ふんばりましたからね!」
「あんま笑わせるなよ」とリュカ様はにやっと笑った。
とっくに浴室を出たと思ったリュカ様が脱衣所の奥にいた。
「わざわざ待っててくれたんですか?」
「まあな。――ん」
「なんですか? って、くれるんです、か?」
「やる。その、今日は色々とたすかった、ありがとう」
ぶっきらぼうな言い方だ。隠しきれてない照れかくしがいつもの彼らしくない、だがそういうたまにもいいかもしれない。
フルーツ牛乳の瓶を受け取って感謝の言葉を返した。胸までぽかぽかと温かいのはきっとこの気持ちのせいだと思う。強烈に恥ずかしくなって、廊下を歩くリュカ様がみられなかった。冷たい瓶が心地いい。落ち着いたら寝室で飲もう。
「やっぱり休憩も大事ですね」
廊下を歩きながら僕は言った。
「そうだな」とリュカ様は肩の力を抜いて答えた。
リュカ様の手がポケットに向かった。何やら外側からでもごつごつしている……と思ったところでそれを押し付けられた。
「……そりゃ!」
湯あたりしそうな頬に氷をおしつけられるイタズラされて僕は激怒した。追いかけようとしたところでリュカ様がさらにもう一つ、氷を入れた袋を襟ぐりから挿入した。そのため、僕はあわあわ言いながら袋を取るはめになった。
「弱いとこばっかみられんのはしゃくだからな! じゃ、先に寝てる。湯冷めすんなよー」
「だれのせいですか、もー」
先に寝室に向かったリュカ様はともかく、僕もこれを飲んだら寝よう。せっかくだし、キッチンで寝る前のおやつでもつまもうか? ちょっとだけ夜ふかししても今なら怒られまい。と、決めたので僕はキッチンに向かった。
(そうだ……今って休暇中なんだよね)
フルーツ牛乳を飲みながら、ふと思い立った。
旅行前は気づかなかったが、こうしてリュカ様の不調に立ち会うと、意外とメンタルにキていたのかもしれない。そんなリュカ様のことをご両親が見過ごすとは思えない。もしかしたらすべて見越して……と僕は推測していく。
「じつはこの旅行そのものがリュカ様のためなのでは?」と僕は推理した。
彼の親であるフレデリック様はリュカ様の不調を見抜いていた……と考えると辻褄が合う。夏休みとはいえ急な遠出も、しかも知り合いのいない土地で過ごすことも、だ。といってもすべては憶測でしかないが、案外当たっているのでは、と僕は謎の自信に満ちていた。
(あるいは、慰労目的で、張り詰めていたリュカ様への家族なりのねぎらいだったのかもしれないね)
こうして自分の発言でフレデリック様が休暇を決めた理由に行き着いた僕は、夏休みの真の価値を知り、目一杯彼と楽しもうと決意を新たにした。
キッチンの冷蔵庫を閉めてデザートの残りをしまった。
『その、今日は色々とたすかった、ありがとう』
思い出すとリュカ様とのぶっきらぼうなやりとりに、なんだか猛烈に照れる。あの唇とキスしちゃったんだろうか、やっぱり僕って。意識するとついにやけてしまいそうだ。僕は部屋に戻るまでほほをおさえながら寝室への通路を引き返す。
「んぁ、遅かったな……」
「あぇ!? なんで僕のベッドに? リュカ様、寝ぼけてますよ!!」
「なに? あー……ねむ、ごめんなにいってるか……くー」
寝ちゃった……ええ、これ一緒に寝てもいいってことかな?
自分のベッドなのにお邪魔しますとひと声かけて隣に潜り込む。わざわざ狭いスペースに縫うように入ると思いのほか暖かかった。……なんだかお風呂の時のようにふわふわする。リュカ様の匂いだー。ああ、ひさびさにかいじゃおうっと!
心地よいまどろみがやってくる。
眠るリュカ様をみながらベッドサイドのランプを吹き消す。
「おやすみなさい、よい夢を」
(どうかリュカ様の症状がよくなりますように……)
祈りとともに、寝台に横たわる。まどろむ僕らを見守る満月に、やさしく照らされながら、僕たちは眠りの世界に落ちるのだった。




