レッスンの続きはご褒美のあとで2
遅々として特訓は進まなかった。そのままリュカ様はプールに入れず、僕に注意されてばかりだったリュカ様はとうとうへそを曲げてしまった。それでも僕は下手に出て、いい作戦を思いついては試すよう言った。そうやってなおも指示を飛ばしていると……売り言葉に買い言葉、強い語気で飛んでくるリュカ様の言葉があった。
「あれもこれもって……、どうせ無理だよ。いい加減認めろよ。プールにも入れないやつが海を克服するなんて、不可能だ。もう放っておいてくれ!!」
僕に背を向けてどこかへ歩きだそうとするリュカ様にハッとし、プールを慌てて出て、そんな彼の腕をつかんで、必死に追いすがる。けれどもその腕は強引に振り払われた。
「待ってください! そんなことありませんって! 少し水に入れば感覚も思い出して……」
僕は焦る。焦りながらどうすればいいか必死に考えた。
「それが出来ないんだろ!? 大体感覚って……はっ、水に浸かったぐらいで治るトラウマだと思われてんだな。俺はそんなカンタンに操縦できるのか? なぁ、違うよなあ!?」
「あっ、それは……」
腐ったまま、諦めてほしくなくて。僕は耳障りのいい言葉を吐いたことを一瞬後悔した。それでもなにか彼を鼓舞させようとしたが。
「なんだよ言い訳くらいしてみせろよ。しょせんお前も肩書に目移りしてる奴らと一緒だな。もともと家族だったからって、なんでも許されると思うなよ。従者のくせに、もう主人のことに口出ししないでくれ」
リュカ様からもたらされたのは、ありありと分かる拒絶だった。こちらを見ようともしない彼に僕は頭がカッとなった。焼けるような頭の怒りを押さえて、それでも彼のためだけを思ってた。
(言い訳って……そんな言い方ッ!)
まるで、その一言は線引き。徹底的に主人と従僕というくくりで僕らを分け隔てる境目みたいで、僕の心を抉った。リュカ様に恋心なんてだいそれたものを抱く僕には、余計にこたえた。だれかもわからないその他大勢と一緒のくくりにされるなんてたまらなかった。
リュカ様は冷淡な目で僕をみた。
それが決定打になった。
振り払われたみじめさのまま、自分の海パンの布を握りしめた。吐き捨てるように、僕は言うしかなかった。
「なんですか、それ。僕のことを下手に見てるのはリュカ様の方でしょ。ひどいなあ。大体、御託を並べて逃げてるのはそっちでしょう!? かっこよくないなあ、全然。そうやってごまかして、いくじなし。こっちだって……仕方なく協力してあげてるのに、なんですか、その言い方!!」
口を開けば案外思ってないような本音がぽろぽろこぼれだした。それは何年もかけて固めた塗装が剥がれていくように無残な見た目をしていた。ボロボロに剥げた本音はひどく鋭利な気がした。自分でも自覚があった、けれど止めようがない。リュカ様に否定された手前、心をセーブできない。自制できぬまま、僕は彼を傷つけるかもしれない言葉の羅列を彼に向けていった。
「ふーん、お前ってそんなヤツだったんだな。もういい、俺は帰る」
「……ッ」
握りしめた拳より、たった今見送る後ろ姿が痛い。僕の心臓はぐちゃぐちゃで、握りつぶされて破裂しそうなほど早い鼓動だけが耳に届いていた。風に流れる黒髪と僕より高い身長の彼が、プールの敷地から出ていくのを、僕は黙ってみつめていたのだった。
「帰っちゃった……」
リュカ様は宣言通り、本当に帰ってしまった。見送った僕はなにもできないまま、立ち尽くしていた。
「うっ……ふぇっ、ううっ、うえーん!!」
僕は、幼児みたいに号泣した。へんな声もでたし、空咳だって出て、のどが痛い。
どうしよう。こんなつもりじゃなかったのに。
いくら怒ったからって当たり散らすつもりなんかなかった。ムキになって言い返した僕だったが、本当に被害者なのは僕じゃないってことも、ちゃんとわかってる。泣くな。泳げないのにこんな場所まで来てめんどくさいことにつきあわされていたリュカ様の方だ。だからめそめそ泣くな。その上、あんな傷つくようなことを言われては立場がないだろう。誰も悪くないことで責められたリュカ様を思って、僕はやっぱり泣けた。拒絶されたことも、悲しかったし。
ボロボロ泣きながらプールサイドに座り込む。奥の茂みから聞こえていた鳥たちのさえずりすらなくなっていた。なかなか浮上できない気持ちに引きずられて、僕はすすり泣き続ける。鼻水がでて、目は反対に乾いて、それでも涙はとめどなく溢れた。悲しい、とっても。言葉だけでは到底言い表せない。胸が引き裂かれそうってこういうことを言うのかな。全部自分のせいだけど……それでも、弱音が後から後から粒となってこぼれ落ちるのだった。




