第9話:『エデン』の産声
本州の最西端、西海県。
かつて「消滅寸前の限界集落」と呼ばれ、錆びついた閉塞感に沈んでいたその土地は、今や劇的な変貌を遂げていた。
しかし、そこに騒がしい工事の音や、黒い排気ガスを吐き出す大型トラックの姿はない。
アスファルトの上を滑るように走るのは、純白のデザインに統一されたアトラス社製の『自動運転シャトル』。
エンジン音すら響かない静寂の中、シャトルはAIによる完全な管制コントロールのもと、お年寄りたちの自宅の前へと正確に、音もなく停車していく。
上空を見上げれば、天馬のロゴをあしらった自律型ドローンが、温かい食事や生活物資を吊り下げ、各家庭のベランダへと吸い込まれるように着陸していた。
「……おや。今日も時間ぴったりだねえ」
西海県の山間部、かつては買い出し難民として孤独死の恐怖に怯えていた老婆――ヨシ(八十二歳)は、自宅の前に停まった自動シャトルを見上げて、深く刻まれた目尻を和らげた。
ヨシがスマートウォッチをはめた手をかざすと、シャトルのスライドドアが静かに開く。
段差のないステップ。車椅子のままスムーズに乗り込める、広々とした車内。
運転席はない。だが、最新の生体センシングAIが車内のヨシの体温や心拍を常時見守り、最適な空調と、揺れのない完璧な運転を提供していた。
「本当に……夢を見ているようです。天馬大臣」
ヨシを乗せたシャトルを見送りながら、傍らに立つ深山みゆ知事は、胸に去来する熱い感情を抑えきれない様子で呟いた。
みゆの視線の先、かつて静まり返っていた街の中心部(旧・鴉羽商店街)の広場は、今や多くの高齢者と、そして「若い世代」の活気で満ちあふれていた。
お年寄りたちは、自動シャトルで気軽に広場に集まり、笑顔で将棋や談笑を楽しんでいる。
その周りでは、天馬グループが運営する最先端の「AI農業ハウス」や「ドローン管理センター」で働く、若い夫婦や若者たちが生き生きと汗を流していた。
「見てください、大臣。今月、この西海県への二十代・三十代の移住希望者が、前年比で【四〇〇%】を記録しました。
若者たちが皆、口を揃えて言うのです。……『この県なら、安心して子供を育てられる』と」
みゆが差し出したタブレットのデータには、美しい右肩上がりのグラフが描かれていた。
お年寄りの介護・医療費をAI技術で極限まで効率化し、浮いた年間二千七百億円の国費。
それを、県内に住む若い世代へ毎月一五万円の『若者生活配当金』としてダイレクトに支給する――。
この蓮華の「そろばん」は、若者たちを圧迫していた重税の锁を完全に叩き切ったのだ。
「手取りが増えれば、若者は当然のように結婚し、子供を産み育てるわ。
老人が若者の未来を潰すのではなく、老人の幸せな暮らし(エデン)が、若者の財布を潤す。
これこそが、じいちゃんの遺言にあった、この国の正しい循環よ」
廃校の屋上の手すりに寄りかかり、眼下に広がる『エデン』の光景を見下ろしながら、天馬蓮華はふっと美しく目を細めた。
「素晴らしい産声だ。お嬢、俺たちの作ったシステムが、ついに世界で唯一の『超高齢化社会の生存モデル』として回り始めたな」
銀髪を風に揺らしながら、隣に立つ黒鉄颯太が、不敵な笑みを浮かべて缶コーヒーを蓮華に差し出した。
その腰には、かつてのような警戒心に満ちたSP警棒はなく、蓮華の隣で穏やかに佇んでいる。
「ええ。でも、この光景を指をくわえて見ていられない『浅ましい連中』が、そろそろ動き出す頃よ」
蓮華が冷徹に告げた、まさにその時。
屋上の鉄扉が静かに開き、白髪の老紳士――御子柴が、表情を一つも変えずに歩み寄ってきた。
「蓮華お嬢様、颯太様。……中央のハイエナどもが、ついに動き出しました」
御子柴が、懐から一枚の機密書面を取り出す。
「我がエデンが、世界のテック企業から年間数兆円規模のデータ利用料(少子化マネー)を得ていると知り、国会の長老たちが色めき立っております。
九条元首相をはじめとする老害政治家どもが、エデン特区を強引に奪い取る【エデン国有化法案】、ならびに、特区の利益に八〇%の重課税を行う『緊急特別措置案』を、明日の国会で強行採決する構えにございます」
みゆ知事が「そんな、横暴な……っ!」と顔を青ざめさせる。
だが、蓮華と颯太は、一切の動揺を見せなかった。
「はっ! やっぱり寄ってきたな、他人の耕した畑を法律一枚で横取りしようとするドロボウ政治家どもが」
颯太は缶コーヒーを握りつぶし、その銀色の瞳に、狂犬としての獰猛な光を宿らせた。
「いいわ。じいちゃんが遺してくれたこの天国を、あの汚らわしい老害たちに一歩でも踏み荒らさせるわけにはいかないもの」
蓮華は振り返り、夕日に照らされた黒髪をなびかせながら、この上なく美しく、そして容赦なく冷徹に微笑んだ。
「颯太。東京へ戻るわ。
私たちのデータと資本を貪ろうとするあのハイエナどもに、……今度は『国ごと買い叩かれる恐怖』を教えて差し上げましょう」
女帝と狂犬。
二人の共犯者による、中央の老害政治家たちを完膚なきまでに叩き潰す『ざまぁ(国家逆買収)』の幕が、静かに上がろうとしていた。
(第9話・了)




