第5話:最年少大臣の戴冠
深夜の首相官邸。その最奥にある総理執務室は、重苦しい沈黙と、冷や汗の匂いに満ちていた。
「て、天馬グループが……国債を引き揚げる、だと……!?」
日ノ本皇国内閣総理大臣――西園寺は、執務机に両手をつき、目の前の白髪の老紳士を、血走った眼で見上げた。
西園寺の目の前には、直角に頭を下げたまま、いささかの動揺も見せない御子柴。
そしてその隣には、漆黒の髪を揺らし、優雅に紅茶を啜る天馬蓮華が座っている。
「言葉通りの意味にございます、総理」
御子柴が、懐から一枚の冷徹な書面を滑らせた。
「我がグループが保有する日ノ本国債、総額二十兆円。これを明朝九時の市場オープンと同時に、すべて売却いたします。同時に、国内主要銀行への融資も引き揚げ、天馬の息がかかった外資系ファンドにも同様の指示を出しました。……どうなるかは、釈迦に説法かと」
「市場が大混乱に陥る……! 円は暴落し、日ノ本の信用は一瞬で崩壊するぞ! そんなことをして、天馬とて無傷では済まんだろう!」
西園寺の叫びは、悲鳴に近かった。
それに対し、蓮華はカップをソーサーに静かに戻し、鈴の音のような声で微笑んだ。
「無傷ですよ、総理。天馬の資産の八割は、すでに海外の現物資産とゴールド、そして最新技術の特許に移行を済ませています。沈みゆく泥船と心中するほど、じいちゃんは愚かではありません」
蓮華の澄んだ黒い瞳が、西園寺の魂を射抜く。
「岡部前大臣の汚職は、生放送で全国に晒されました。西園寺内閣の支持率は、明日の朝には一桁台まで暴落します。国家の経済崩壊と、あなたの政治生命の死。……どちらが耐え難いかしら?」
「う、ぐ……っ」
西園寺は膝を折り、ソファーに崩れ落ちた。
すべては天馬の掌の上。生放送のスタジオに特捜部が踏み込んだ時点で、西園寺内閣の喉元には、最初から刃が突き立てられていたのだ。
「……要求は、なんだ。国債の引き揚げを止め、内閣の支持率を回復させるための、天馬の条件は」
蓮華は不敵に口元を歪め、すっと指を一本立てた。
「空席になった『少子化対策特命大臣』の椅子。……それを、民間人閣僚として私に寄こしなさい」
「――なっ!? 十九歳の、ただの小娘を大臣にするなど、前代未聞だ! 党内が、世論が黙っていない!」
「世論は歓迎します。だって私は、汚職大臣を公開処刑した『正義のヒロイン』ですもの」
蓮華は立ち上がり、西園寺を見下ろした。
「少子化対策予算、年間三兆円。岡部たちが貪っていたあのドブのような金を、私が本来の、正しい使い方で使って見せます。……一秒で決断なさい、総理」
一九歳の少女が、国家の最高権力者を完全に飼い慣らした瞬間だった。
◆
翌朝。
日ノ本皇国、そして世界のニュースは、一つの『異常なニュース』で埋め尽くされた。
『西園寺内閣、電撃改閣! 新・少子化対策特命大臣に、一九歳の民間人・天馬蓮華氏が就任!』
『史上最年少、そして初の現役女子大生大臣の誕生! 汚職を暴いた”令和のジャンヌ・ダルク”に、国民の期待感は最高潮!』
テレビから流れる熱狂的な報道を、天馬の極秘シェルター『黒曜館』のソファーで横になりながら眺めていた銀髪の少年――黒鉄颯太は、クスクスと喉を鳴らした。
「ははっ! ジャンヌ・ダルクねえ。テレビ局を買収して世論をコントロールすりゃ、悪党のボスでも聖女様になれるってわけだ。最高にイカれてるな、お嬢」
「お口が悪いわよ、颯太。私はただ、じいちゃんの遺言通り、この国を建て直すための『スタートライン』に立っただけよ」
大臣にふさわしい、仕立ての良い黒のタイトスーツに身を包んだ蓮華が、冷徹な目で巨大モニターの日本地図を見つめる。
「これで、国会を通さずに『特別特区』を申請・承認する大臣権限を手に入れたわ。……颯太、そっちの準備は?」
「完璧だ」
颯太は手元のノートPCの画面を、蓮華の見つめる大画面へと同期させた。
モニターには、アメリカ、ドイツ、そして中国を代表する、世界最高峰の自動運転メーカーや医療テクノロジー企業のロゴが並んでいた。
「俺の親父――神崎の拓さんが開発した、次世代の『完全自律型ドローン自動制御システム』と『生体監視AIのソースコード』。これをエサにして、世界のテックジャイアントどもに交渉をかけた」
「反応は?」
「涎垂らして食いついてきたよ。どの国も、少子化による『労働力不足』と『介護崩壊』に怯えてるからな。うちが開発したAI制御システムを使えば、人間の介護士なしで老人の健康を常時モニタリングできる。……ただ、彼らが最も悩んでいたのは『法規制』だ」
颯太は銀髪をかき上げ、不敵な笑みを深くする。
「どれだけ最先端の自動運転車やドローンを作っても、一般の国じゃ事故の懸念だの、道路交通法だの、うるさい法律のせいでろくに実証実験もできねえ。だから、俺は奴らにこう提案した」
『日ノ本皇国に、すべての法規制を免除した、完全なる【超法規的実験特区】を用意してやる。技術も、資金も、そこへ集約しろ』と。
「……頼もしいわね、颯太。さすがは私の幼馴染だわ」
蓮華はふっと目を細めた。
「だろ? これで、世界の金と、最先端の技術を日ノ本の一点に集中させるパイプラインが繋がった。……で、お嬢。その『一点』となる、実験場はどこにするんだ?」
蓮華は地図の一箇所――本州の最西端に位置する、歪な形をした県を指さした。
「ここよ。高齢化率七五%超。財政再建団体に指定され、数年以内に『消滅』すると言われている、日ノ本最大の限界集落――」
「『西海県』ね。この死にかけた土地を、私たちは二束三文で買い叩くわ」
女帝の戴冠。
そして、国家の土地を合法的に買収する、前代未聞の「地方再生(エデン計画)」が、ついに牙を剥いた。
(第5話・了)




