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第2話:狂犬は錆びつかない

「お嬢。目が完全に『買い叩く側』の悪党になってんぞ」



ボロアパートの下、黒塗りの最高級セダンの革シートに深く腰掛けた瞬間、隣から呆れたような声が降ってきた。



声の主は、黒鉄颯太。

さっきまでよれよれのパーカーを着て、スーパーの半額惣菜を奪い合っていたはずの幼馴染だ。



今の彼は、寸分の狂いもなく仕立てられた黒のベストスーツを纏い、銀髪をワックスで軽く整えている。

その腰には、大統領警護SPのみに携帯を許される特殊警棒。

そして、人殺しじみた鋭い眼光を、蓮華にだけは柔らかく崩して、不敵に笑っていた。



「……うるさいわね。じいちゃんが遺した駒がこれだけ優秀なんだもの。使わなきゃ損でしょう?」



蓮華は、手元にあるじいちゃんの手紙をなぞりながら、

ふっと窓の外を見つめた。



アパートの周りを埋め尽くしていたはずの商店街の住人たち――

いや、天馬グループの特級使用人たちは、いつの間にか影も形もなく消え失せていた。

ただ、その連携の鮮やかさだけで、彼らがどれほど鍛え上げられた集団なのかがよく分かる。



「しかし、まさかお前が天馬の『女帝』ねえ……」

颯太はシートに頭を預け、天井を仰いだ。

「俺も親父から『いつかその時が来たら、命を賭してお嬢を守れ』とは言われてたが。まさかあのボロアパートの横が、まるごと天馬の『箱庭』だったとはな」



「颯太。あなた、いつから知ってたの?」



「俺が『元SP』としての訓練を終わらせたのは半年前だ。

お前が英単語帳を暗記してる横で、俺は要人警護とハッキング、あと近接格闘術のシミュレーションを叩き込まれてた。……結構、きつかったんだぜ?」



颯太はそう言って、自身の引き締まった手首を軽く回して見せた。

その細身の体躯からは想像もつかないほど、無駄のない筋肉がスーツの下に隠されているのが、蓮華にも分かった。



「お嬢を騙してたのは悪かったよ。けど、これでお前を公私ともに『護衛』できる。

……おい、御子柴。本邸へ行く前に、例の『役者』たちはどこに集めてある?」



颯太が運転席の白髪の老紳士に問いかける。



フロントミラー越しに、御子柴が静かに微笑んだ。

「すでに、鴉羽商店街の裏手にある、天馬グループ極秘シェルター『黒曜館』にて待機しております。元財務省事務次官の源一郎(源さん)様、元警察庁長官の鉄様、ほか皆様、お嬢様のご下命を今か今かとお待ちです」



「よし。お嬢、まずは挨拶回りだ。お前の『手駒』が、どれだけバグったスペックしてるか見せてやるよ」



セダンは静かに、しかし圧倒的な加速で、夜の下町を滑るように走り出した。



     ◆



商店街の裏手。

かつては「立ち入り禁止」の古い廃倉庫だった場所の地下に、その空間はあった。



分厚い防音隔壁が開いた瞬間、蓮華は軽く息を呑んだ。



広大な地下スペースには、数十台の最新鋭サーバーラックが明滅し、壁一面に配置された巨大モニターには、日ノ本皇国の国家予算、主要人物のスキャンダル、さらには人工衛星からのリアルタイム映像が映し出されていた。



そして、その空間の中央

円卓を囲むようにして立っていたのは、蓮華がよく知る、下町のご近所さんたちだった。



「――蓮華お嬢様」



かつて、定食屋で「蓮華ちゃん、おかわり食うかい?」と優しく笑っていた、エプロン姿の源さん。

今は、白髪をきっちりと撫で付け、高級テーラーの三つ揃いを着こなしている。その佇まいは、国家の財布を牛耳る冷徹な大蔵官僚そのものだった。



「元財務省事務次官、一ノ瀬源造にございます。本日より、天馬の『財政ブレイン』として、お嬢様のそろばんを弾かせていただきます」



「元警察庁長官、乾鉄心だ」

駄菓子屋の頑固じいさんだった鉄さんが、厳めしい顔で一礼する。その眼光は、どんな凶悪犯をも一瞬で屈服させる凄みに満ちていた。

「お嬢の退路を塞ぐ不届き者は、合法的、かつ永久に社会から『排除』する。情報戦、暴力、搦め手、何でも使いなさい」



さらに、最新のキーボードを叩いていた工場の親父――拓さんが不敵に笑う。

「元・最先端AI研究所長、神崎拓だ。お嬢、颯太。自動運転車でも、自律飛行型ドローンでも、何でも言ってくれ。天馬の資金がありゃ、明日にも国会の上空を天馬のドローンで埋め尽くしてやれるぜ」



「皆、ありがとう……」



蓮華はすっと背筋を伸ばし、円卓の主座へと進んだ。

一歩。歩くたびに、自分の中で「貧乏学生」の皮が剥がれ落ち、じいちゃんから叩き込まれた『天馬の女帝』としての覇気が満ちていく。



円卓の前に立ち、眼下の超一流の臣下たちを見据える。



「さっそく、最初の仕事をお願いしたいの」



蓮華の鈴を転がすような、しかしひどく冷徹な声が、地下シェルターに響く。



「一ノ瀬(源さん)。現職の少子化対策特命大臣、岡部について。彼の『金の流れ』を教えて」



一ノ瀬は口元を歪め、手元のタブレットをタップした。

巨大モニターに、無数の数字と、いくつかのペーパーカンパニーのリストが展開される。



「岡部は、日ノ本皇国の少子化対策予算、年間三兆円の約二割を、自身が実質的に支配する『子育て支援NPO法人』へ流しております。完全なマネーロンダリング。天馬の調査能力を以てすれば、その口座の履歴を完全に掘り起こすのは容易にございます」



「神崎(拓さん)。そのNPOが運営しているという『託児システム』の、実態は?」



工場の親父、神崎がキーボードを叩く。

「名前だけの幽霊施設だな。AIを導入した最先端保育、なんて謳ってるが、中身はただの雑居ビルにタブレットを置いただけのゴミだ。実態報告書をAIで偽造してる」



「乾(鉄さん)。警察庁のルートを使って、この証拠を確実に、だけど『私の合図があるまで』握り潰しておいて」



「容易い御用だ。お嬢の合図一つで、いつでも東京地検特捜部を動かせる網を張っておく」



完璧だった。

財務、技術、警察の元トップが、最初から自分の手の中にある。

これだけの暴力と頭脳を相手に、あの強欲なだけの凡庸な世襲議員が勝てるはずがない。



「颯太」

蓮華は、傍らに控える銀髪の幼馴染を振り返った。



「ん? なんだ、お嬢」



「明日、岡部大臣がメインゲストで出演する、生放送の『国政討論番組』があるでしょう?」



「ああ。生放送で、国民に自分の『輝かしい少子化対策実績』をアピールする予定のやつだな。……まさか、そこに乗り込む気か?」



蓮華は、妖艶に、そしてこの上なく愉しそうに微笑んだ。



「ええ。テレビの生放送という、言い訳が一切通用しない舞台で、あの男のすべてを『買い叩く』の。

颯太。番組の『特別ゲスト枠』に、天馬の力で私をねじ込みなさい。

……小娘が少子化対策に物申す、っていう、都合の良い生贄としてね」



颯太は一瞬、呆気に取られたように蓮華を見つめ、それから――

獲物を見つけた狂犬のように、獰猛な笑みを浮かべた。



「ははっ! 最高だな、お嬢。了解、明日の生放送、電波ごと乗っ取る準備をしてやるよ」



可憐な女帝と、牙を剥いた狂犬。

二人の共犯者による、初めての「国家買収」が、今ここに幕を開けた。



(第2話・了)

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