最終話 それぞれの道へ
その後、オルトは遭難した兵たちを連れて王都へ到着した。
重い処分は受けなかった。
兵士たちの多くが、彼を庇ったからだ。
オルトが撤退を考えていたこと、それを第一王子府の文官が押し切ったことは、生き残った兵たちの口から語られた。
その話を聞いたオルトは、黙っていたという。
「……ならば、わしは、その者たちに恥じぬよう生きねばならんな」
そう言ったあと、亡くなった兵の家を一軒ずつ回る許しを願い出たらしい。
ローデン男爵領には、周辺領地から次々と荷が届いた。焼かれた穀倉の分も補われ、遅れは驚くほど早く取り戻されたという。
その報告が届いたころには、ローデン男爵も、ようやく人間らしい顔色に戻っていたそうだ。
王都外に待機していた北方の者たちには、酒と食事が振る舞われた。
王宮からの褒賞は後日改めて出ることになったが、彼奴らはそれを聞く前から帰り支度を始めていた。
「土産を買ったんで、早く妻に持って帰りたいんです」
トマが荷馬車の奥へ大事そうに包みを押し込む。
「年寄りは王都に長居すると落ち着かんのです」
バルドはそう言って、さっさと荷縄を締め直していた。
「せめて酒を飲み終えてからにしろ。俺が飲みづらいだろ」
そう言うと、二人は顔を見合わせて笑った。
残ったのは、バーデンとギデオンだけだった。
ギデオンは、当面のレオノーラの護衛として残るらしい。
「で、なんであたしまで残らないといけないわけ?」
バーデンが、口をとがらせて言った。
「酒場を人に任せっぱなしだから、早く帰りたいんだけど」
「王都で酒を買い漁ると言っていただろ」
「買ったじゃない」
「十分じゃないだろ」
「……もしかして、寂しいんじゃ――」
「うるさい!」
あながち外れていないから、余計腹が立つ。
だが、バーデンに残ってもらう理由がないわけではなかった。
「……ここの商会を飛ばすと、たぶん揉めるんだよな」
俺は街道沿いの商会名を書き込んだ紙を前に、頭を抱えていた。
「そこの商会主、顔は穏やかだけど、金の話になるとしつこくなかった?」
バーデンが紙を覗き込む。
「きっと取り分が減ったら怒るわよ」
「だよなぁ……」
リュミエールの品は、地方を経由させず王都へ直接流すことになったが、それでは、これまで荷を卸してきた街道沿いの商会の取り分が消えてしまう。
「こっちは残す。こっちは量を減らす。で、王都へ回す分は別口にする……」
「その方がいいでしょうね」
「……リュミエールの商人が王都へ向かう時は、この領地を経由する形に持っていくか」
「そこを通れば、商会主にも顔が立つから?」
「そうだ。取り分も残るだろ」
バーデンは、紙を見下ろしたまま黙り込んだ。
「よくそんな面倒なこと考えるわねぇ」
「……前世知識チートで俺は知っている」
「また始まった」
「荷の道を変えるなら、人の道は切らない方がいい」
「それが難しいんじゃない?」
「だから頭を抱えてるんだろ」
そう言って俺は、紙の上に線を引き直した。
そういうわけで、バーデンには俺の相談相手として、しばらく王宮に残ってもらうことになった。
そこそこ安全になった王宮で手持ち無沙汰になるのは、ギデオンの方だろう。
……と思っていたら、ギデオンのそばにユリウス殿下がいた。
「……何してるんだ」
「殿下の相手を」
ギデオンが真顔で答える。
ユリウス殿下は椅子に腰かけたまま、ギデオンの剣の柄をじっと見ていた。
「触っていい?」
「駄目です」
「ちょっとだけ」
「駄目です」
なんだこれ。
けれど、見ているうちに、ようやく分かった。
ユリウス殿下は、ギデオンのそばにいるときだけ、誰かの顔色を読むような目をしていなかった。
ギデオンが安全だと、最初から見抜いていたのか。
そう思うと、胸が痛んだ。
……あれ。
じゃあ、俺も警戒対象だったのか?
「旦那様、ちょっと胡散臭いからじゃないの」
「なんで胡散臭いんだよ。俺ほど正直者はいないだろ」
「だって、たまに変なことを言い出すんだもの」
変じゃない。
ありがたい前世知識だ。
バーデンが、ふと思い出したように言った。
「そういえば、王弟派の貴族たち、思ったより残るって本当?」
「ああ」
王弟派と呼ばれていた家が、すべて処罰されたわけではない。
実際に金を出した家、書状や印が残っていた家は裁かれる。だが、名前だけを貸した家や、王弟家に流されただけの家は、一定期間の役職停止や登城の制限、献金で済むらしい。
「兄上にしては、いい采配です」
ユリウス殿下が、淡々と言った。
「罰しすぎれば恨まれるし、許しすぎれば侮られる。今回は、その間です」
「確かにな……」
バーデンが、感心したように口笛を吹いた。
「王弟派に恩を売ったってわけね」
「恩というより、首輪です」
ユリウス殿下は、さらっと言った。
……王宮を安定させるための処置だろう。
ただでさえ、各派閥の頭は処分されたばかりだ。今ここで周囲まで根こそぎ裁けば、王宮の運営そのものが難しくなるはずだ。
あの殿下が、そこまで先を考えていたのか。正直、意外だった。
王族としては当たり前の判断なのかもしれない。だが、誰を切り捨て、誰を残すかを冷静に見極めるのは、簡単にできることではない。
あいつも、こういうところは王族らしい。
それと同時に、レオノーラを任せても大丈夫そうだと、少しだけ安心した。
ユリウス殿下は、レオノーラにもすぐ気を許したみたいだった。
レオノーラは、王宮行事の日程を書き写した紙を前にして、ユリウス殿下へ顔を向けていた。
「この日は、何をする日なのですか?」
「知らないの?」
「はい。ですから、教えていただけますか」
ユリウス殿下は、目を丸くした。
「……本当に知らないって言うんだ」
「知らないことを、知っているふりはできませんから」
「変なの」
そう言いながら、ユリウス殿下は紙を覗き込んだ。
「これは、退屈な挨拶の日です」
「退屈……?」
「偉い人が、偉そうに、偉いふりをする日です」
レオノーラがくすくす笑う。
「では、失礼のないように覚えます」
ユリウス殿下は、しばらくレオノーラを見ていた。
「……兄上が好きそうだな」
「え?」
「なんでもないです」
ユリウス殿下は、何事もなかったように紙へ目を戻した。
俺はそれを横目に見ながら、レオノーラのそばへ寄った。
「あ……あの、レオノーラちゃん」
「はい?」
「勉強は、はかどっているか?」
「ええ。少しずつですが」
レオノーラは手元の本へ目を落とし、ぱらぱらと頁をめくった。
「王宮のしきたりや、諸侯の家名、王妃として覚えるべき儀礼など、まだまだありますね」
「……無理するなよ? 俺からレオン殿下に――」
「お父様」
遮られた。
レオノーラは、ゆっくり俺を見上げた。
「お父様は、殿下にわたくしのことを信じろとおっしゃったそうですね」
「……」
「わたくしとの会話は、忘れていらしたのですか?」
「……だってなぁ」
俺は、両手の人差し指を合わせた。
「お前の本心には……聞こえなかったし……」
レオノーラは、呆れたようにため息をついた。
え、嘘だろ。
まさか。
あの場で、断れなかっただけだったのか。
血の気が引いた俺を見て、レオノーラは苦笑した。
「お父様は……わたくしのことをよくご存知ですよね」
その言葉に、こわばっていた肩の力が抜けた。
「……当たり前だろ。お前のお父様なんだから」
レオノーラは微笑み、また本へ視線を落とした。
そのとき、扉が叩かれた。
近衛が扉を開けると、王宮文官が一礼した。
「北方男爵閣下。レオンハルト殿下がお呼びです」
「殿下が?」
「はい。至急、とのことです」
連れていかれたのは、評議に使われる小広間だった。
そこには、レオン殿下と数名の重臣、それから法服を着た文官たちがそろっていた。
……なにこれ。
俺が入ると、レオン殿下は椅子から立ち上がった。
「急に呼び立ててすみません」
「いえいえ。殿下のお呼びであれば」
レオン殿下は俺に席を勧め、自らも椅子へ腰を下ろした。
「本来なら、もう少し落ち着いた場で伝えるべきことですが、即位式の準備に入る前に、先に話しておきたくて」
「……私に、ですか」
「北方男爵家について、評議の決定が出ました」
「評議?」
「まず、北方男爵家が用いてきたヴァルグレイヴの名を、正式な家名として認めます」
俺は思わず口を開けた。
「……本当に?」
「ええ」
「いや、嬉しいんですけど。あれは、その……」
言いかけて、言葉に詰まった。
いいのか?
勝手に名乗ったんだぞ。
かっこいいって理由で。
法服の文官が、無表情にこちらを見た。
「何か問題がございますか」
「いや……ありません」
文官が、抑揚なく書状を読み上げる。
「これにより、北方男爵家は以後、ヴァルグレイヴ家として王国貴族名簿に記載されるものとする」
……この場にいる奴ら全員、自称で名乗ってたのを知っているのか。
すんごい、いたたまれないんだが。
そう思っている間にも、文官は次の書状を広げた。
「続いて、ヴァルグレイヴ家に対する爵位について申し上げる」
まだ何かあるのか?
「北方街道の保全、王都騒乱における功績、ならびに国境防衛への長年の貢献を認め――ヴァルグレイヴ家当主に、公爵位を授けるものとする」
「…………は?」
小広間が、しんと静まり返る。
ちょ……ちょっと待て。
え? なんだって?
「公爵?」
「はい」
「誰が?」
「あなたが。必要だからです」
「いや……うちは男爵家ですよ。公爵なんて……飛びすぎですって……」
「北方で兵を救い、王都の騒乱を収め、私をここまで導いてくれた。あなたの功績は、それほどのものです」
「買いかぶりすぎです」
レオン殿下は首を横に振った。
「それだけではありません。私は、あなたとの旅で知りました。北方街道は、ただ荷を通すだけの道ではない」
言葉が出なかった。
「あなたは街道沿いの領地に利益が残るよう、荷の流れを築いてきた。道を通すだけでなく、道で人が生きられるようにしてきたのです」
「……それは、必要だったからです」
「だからこそです」
レオン殿下は、膝の上で組んでいた手を組み替えた。
「必要なことを、当たり前のように続けてきた家を、ただの辺境男爵家として扱うことはできません」
法服の文官が、そのまま続けた。
「また、王家に妃を出す家としての格を整える意味もございます」
「……確かに」
「それに、もう一つ」
レオン殿下は、俺をまっすぐ見た。
「これからの王家を、あなたに見張ってほしいのです」
「……見張る?」
「はい。王家がまた誤った道へ進まないように」
「それを、俺にやれと?」
「あなたに頼みたい」
重い。
なぜ俺に。
「あなたは以前、私を生かすのも殺すのも北方だとおっしゃった」
そんな言葉まで、覚えていたのか。
忘れろよ。
「私が王として誤り、北方を傷つけ、レオノーラを悲しませることがあれば、その時は私を止めに来てください」
「……殿下」
「そのための名と地位を、あなたに持っていてほしいのです」
「……果たして、それは褒美なんですか?」
思わずそう漏らすと、レオン殿下はかすかに笑った。
「これは、あなたへの褒美であると同時に、私への鎖です」
◆
数日後、レオンハルト殿下の即位式が行われた。
国王陛下の崩御からまだ日が浅いこともあり、式は華美なものではなかった。
だが、大聖堂には王宮貴族だけでなく、地方領主、国軍の将、街道を支える商人の代表まで集められていた。
俺はリエネと並び、前に座るレオノーラの背を見ていた。
離れた席には、リエネの両親の姿もある。
リシュアンは北方にいる。
日程が急だったうえ、北方を空けるわけにもいかなかったからだ。
バーデンとギデオンは、大聖堂の外で控えている。
中に入れと言ったのだが、二人とも嫌がった。
「旦那様が前へ出る途中で転んだりしたら、見ていられないもの〜」
おい。
何で転ぶ前提なんだよ。
レオンハルト殿下は、黒を基調にした礼装に深い青の外套をまとい、壇上に立っていた。
北方で見た旅装姿とは、まるで別人のようだった。
レオンハルト殿下が祭壇の前に跪く。
大司教は祈りの言葉を唱えたあと、両手で王冠を掲げ、その頭上へ戴かせた。
レオンハルト殿下が立ち上がる。
その瞬間、胸がどうしようもなく熱くなった。
北方で、俺を旦那様と呼び、好きな女と生きたいから王宮を逃げ出してきた青年。
その男が今、王になった。
誇らしかった。
同じくらい、寂しかった。
レオンハルト陛下は、祭壇の前で右手を胸に当てた。
「王国の法を守り、民を慈しみ、この国の安寧に尽くすことを誓う」
その声が、大聖堂に静かに響いた。
大司教は参列者を見渡した。
「ここに、レオンハルト陛下の即位を宣する」
最初に膝を折ったのは、王国軍を預かる老将だった。
続いて、重臣たちが膝をつく。
地方領主たちも、それに倣った。
あれだけ揉めていた王都が、今じゃ同じ方向を向いていた。
全員が立ち上がるのを待ち、宰相が一歩進み出て書状を開いた。
「続いて、新王陛下より、最初の王命を申し渡す」
宰相はレオンハルト陛下へ一礼し、書状へ視線を落とした。
「王命により、北方男爵家が用いてきたヴァルグレイヴの名を、正式な家名として認める。以後、同家をヴァルグレイヴ家と称する」
大聖堂に、かすかなざわめきが走った。
前で、レオノーラが小さく息をのんだ。
俺の横で、リエネの指が、俺の袖をそっと掴んだ。
宰相はさらに続ける。
「また、同家当主に公爵位を授ける」
ざわめきが、今度こそ大きくなった。
言いたいことはわかる。
けど俺だって、まだ飲み込めていない。
「ヴァルグレイヴ公」
レオンハルト陛下の声が響いた。
俺は壇上の前まで進み、レオンハルト陛下の前で膝を折った。
「拝命いたします」
声は、思ったよりも落ち着いていたが、胸の内はまったく落ち着いていない。
前世は庶民。
今世は平民生まれ。
昨日まで、男爵家だ。
それが今日から、ヴァルグレイヴ公爵家だという。
人生、何がどう転ぶか分からないにもほどがある。
俺が席へ戻ると、レオノーラが、まだ信じられないとでも言いたげな目でこちらを見上げた。
俺も同じだ。
隣で、リエネがそっと息を吐いた。
そうだよな。
これからは、気軽な辺境男爵ではいられない。
王家と北方は、今までよりずっと近くなる。
これから俺が何か言えば、ただの辺境男爵の愚痴では済まなくなる。
それはつまり、家に残してきたリシュアンにも、背負うものが増えるということだ。
あいつは今日から、ただの男爵家の息子ではなくなる。
ヴァルグレイヴ公爵家の跡取りだ。
……帰ったら、まず謝ろう。
苦労をかける、と。
「続いて、レオンハルト陛下の御婚約について、王命をもって告げる」
大聖堂が、再び静まり返った。
レオンハルト陛下が、壇上からゆっくりとこちらを見る。
その視線は、レオノーラに向けられていた。
「御相手は、ヴァルグレイヴ公爵令嬢レオノーラ」
今度こそ、驚きの声が大きく広がった。
……ざわめくよなぁ。
辺境男爵令嬢が、公爵家の娘になって、新王の婚約者に指名されている。
俺だってびびるわ。
しかし、聞こえてくる声に反対の色はなく、ひとまず胸を撫で下ろした。
レオノーラが静かに立ち上がると、大聖堂中の視線が一斉に彼女へ向いた。
レオノーラは、淡い青の礼装をまとっていた。
即位式に合わせて、祖父母が用意したものだ。首元には、リエネの母上が持参した祖母譲りの首飾りが輝いている。
華美な刺繍も、大ぶりな宝石もない。
それでも、背筋を伸ばして立つ姿は、まったく見劣りしなかった。
俺は隣にいるリエネの手を握った。
すると、リエネの指が、そっと握り返してくる。
レオノーラは、自分の足で前へ出た。
「レオノーラ・ヴァルグレイヴ」
「はい、陛下」
「あなたを、私の婚約者として迎えたい」
俺は耳を疑った。
本人へ願うように言うな。
王命だろうが。
レオノーラは一瞬だけ目を瞬かせたが、すぐに微笑んだ。
「はい。謹んで、お受けいたします」
レオンハルト陛下は、ゆっくりとレオノーラの手を取った。
一拍遅れて、拍手が起こった。
最初は小さく。
やがて、堂内全体へ広がっていった。
拍手の中で、俺はぽつりと呟いた。
「俺たちの娘が……未来の王妃か」
隣で、リエネがこちらを見る。
「心配しているのですか?」
「いや。大丈夫だろ」
「なぜ、そう思われるのです?」
「お前に似ているからな」
「……わたくしに、ですか」
「そうだろ。強いし、諦めないところとか」
リエネは一度黙り、それから首を横に振った。
「レオノーラは、あなたにも似ていますよ」
「俺に?」
「ええ。大切な相手を、全力で守ろうとするところが」
言葉が出なかった。
リエネは、そんな俺に微笑みかけた。
俺はレオノーラを見ながら、小さく息を吐いた。
「……そっか」
そうか。
それなら、きっと大丈夫だ。
拍手は、まだ鳴り続けていた。
お読みくださり、ありがとうございました!
物語は、ひとまずここで完結となります。
少しだけ、おまけのお話も投稿できたらと思っています。
そのあたりは、ブックマークや評価、ご感想などを見ながら考えます。
ここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございました!
王冠「ワシの出番、これだけ?」
首飾り「最終話ですもの。仕方がありませんわ」
王冠「年寄り相手にこの仕打ち……世知辛い世の中すぎんか?」
首飾り「希望はありますわ。評価とブックマーク次第……」
王冠「またそれかいな!」




