第18話 王家の責任
「……すまない、レオノーラ」
「殿下?」
レオン殿下は、苦しげに眉を寄せた。
「王家の恥を見せた。君が聞くべきではない言葉まで、聞かせてしまった」
「そんなことは……殿下は、かばってくださったではありませんか」
「いや。君を守ると言いながら、私は君の答えを聞く前に、君を矢面に立たせてしまった」
「わたくしは、自分の意思でここにいます」
レオノーラはそこで、目を伏せた。
「それに……わたくしも、謝らなければならないことがあります」
「君が? どうして」
「わたくしは、殿下の足枷になるのなら、離れるべきだと思っておりました。きっと、その方が殿下のためになるのだと……」
レオン殿下の息が、わずかに止まった。
「でも……殿下が、また一人で抱え込んでしまうのではないかと、離れている間、ずっと不安でした」
レオノーラは、胸の前で手を握った。
「その時、気づいたのです……殿下がおつらい時、そばにいたいと。殿下に寄り添うのが、わたくしでありたいと」
俺は、思わず鼻をすすった。
「殿下にふさわしい方は、ほかにいらっしゃるのだと思います。わたくしの望みが、身の丈に合わないものだということも……」
レオン殿下の表情が揺れた。
「それでも、知らないことは学びます。足りないものは、少しずつでも身につけますから」
レオノーラは、まっすぐレオン殿下を見た。
「どうか、殿下の隣にいさせてください」
レオン殿下は、すぐには答えなかった。
息を呑むように、レオノーラを見つめている。
「……君は」
ようやく出た声は、ひどく掠れていた。
「君は、いつも……私が一番欲しかった言葉をくれる」
レオノーラの目が揺れた。
レオン殿下は、ゆっくりと首を横に振る。
「だが、『いさせてください』ではない」
「え……?」
「私が、君に頼むのだ」
レオン殿下は、レオノーラの前で膝をついた。
「どうか、私と共に歩んでほしい」
王子が、娘の前で膝をついた。
やっぱり俺は、そういう話に巻き込まれていたらしい。
「……はい」
レオノーラは、泣きそうに笑った。
「わたくしで、よろしければ……」
「違う。君がいい」
レオン殿下は、そう言って手を差し出した。
レオノーラは、涙を一筋こぼしながら、その手を取った。
決まった。
……決まってしまった。
ふと、腕に温かいものが触れた。
見れば、リエネが俺の腕にそっと手を添えていた。
その目元が、かすかに潤んでいる。
俺は何も言えなくなって、リエネの手に自分の手を重ねた。
◆
リエネが両親と再会できたのは、その翌日のことだった。
控えの間で両親の姿を見た瞬間、リエネは言葉を失った。
その隣で、レオノーラも胸の前で手を握りしめている。
「……お父様。お母様」
震えた声でそう呼ぶと、リエネの母上が立ち上がった。
「リエネ、レオノーラ……!」
次の瞬間、リエネは母上の胸に抱き寄せられていた。
普段なら、王宮の控えの間で取り乱すような女ではない。
それでも、その時ばかりは違った。
リエネは母上の肩に顔を伏せ、声を殺して泣いていた。
レオノーラも、そっと二人に近づく。
「お祖母様……」
リエネの母上は、涙に濡れた顔でレオノーラを見た。
そして、空いている手で、その頬にそっと触れる。
「会いたかったわ。よく無事でいてくれたこと」
「お祖母様も……ご無事で、よかったです」
レオノーラも涙目だった。
リエネの父上も、しばらく黙ってそれを見ていた。
そして、ゆっくり三人のそばへ歩み寄る。
「よく無事でいた」
リエネとレオノーラの頭に順に手を置いた。
俺は少し離れたところで、その光景を見ていた。
リエネの父上が、レオノーラへ視線を向けた。
「レオノーラ……第二王子殿下と、話はできたのか」
俺は息をのんだ。
レオノーラは一度だけ目を伏せ、それから頷いた。
「はい」
リエネの母上が、涙を拭う手を止めた。
「では……」
「わたくしは、殿下のお傍にいると決めました」
リエネの父上は、しばらくレオノーラを見つめてから、ふっと息を吐いた。
「……そうか」
リエネの母上は、両手で口元を押さえた。
「まあ……まあ、ではレオノーラが……」
「で、殿下もレオノーラを強く望まれていて……」
俺は慌てて口を開いた。
「レオノーラも自分の意思で決めまして、決して俺が言わせたわけでは――」
あれ?
俺、何を言い訳してるんだ?
「レオノーラが、そう選んだのだろう?」
「は……はい」
「ならば、十分だ」
「え?」
リエネの母上は、レオノーラの手を取って、嬉しそうに目を細めた。
「さすが、リエネの娘ですわね」
「お祖母様……」
「もちろん大変な道ですし、簡単なことではありません。でも、誇らしいことだわ」
リエネの父上は、どこか遠い目をした。
「レオノーラが王妃か……隣の侯爵家には、知らせておかねばならんな」
「あなた、まだ早いでしょう。けれど……正式に決まりましたら、茶会の準備をしなければなりませんね」
「そうだな。皆様にきちんとお知らせしなければ」
「昔から娘の自慢ばかりなさっていたあの方にも、招待状を用意しないと」
「それは……リュシエンヌ子爵夫人ですか」
リエネが、少し呆れたように言った。
「ええ、そうよ。前にもお茶の席で、娘が伯爵夫人に気に入られただの、春の保養地へ誘われただの、それはもう楽しそうに話していらしたもの」
「まあ……」
「今度はこちらが、レオノーラの話をしなければ失礼でしょう?」
失礼なのか、それは。
リエネの父上は、そんな二人の会話を聞きながら、ひとり難しい顔で呟いた。
「……仕立て屋を呼ばねばならんな」
「仕立て屋?」
「礼装も、外套も、茶会用も要る。宝飾品も見直さねばならん。ラヴェル商会に宝飾を見繕わせて……いや、仕立てはエルモン夫人のところが早いか……」
俺が口を挟む隙もなく、リエネの父上はぶつぶつと段取りを組み始めた。
「あの方、どんな顔をされるのかしら。ふふっ」
リエネの母上は、生き生きとした顔で笑った。
「ああ、でも、その前にレオノーラの支度を整えなくては。祖母から譲られた首飾りがあったでしょう? あれを少し直して……いいえ、石も足した方がいいかしら。王宮でも見劣りしないようにしませんと……」
……楽しそうだな。
俺の心配。
なんだったんだ?
そう思ったところで、リエネの父上がこちらを見た。
「リエネ。聞いたか?」
今度は何だ……。
「お前の夫は、王都に着くなり馬で王宮へ突っ込んだぞ」
空気が止まった。
リエネが、ゆっくりとこちらを見る。
その隣で、レオノーラが目を瞬かせた。
「あなた?」
「……待て、リエネ。あれには事情があってだな」
「レオンハルト殿下と一緒にな」
リエネの父上が、余計なことを付け足した。
リエネの目が、さらに冷たくなる。
「……殿下も?」
「いや……あの時はそうするしか……」
「何故、他の方法を考えなかったのですか?」
「……一応、相談して決めて……殿下も納得して……」
「殿下が納得なさったからといって、そんな危険な真似が許されると思ったのですか?」
返す言葉がなかった。
リエネの母上が、小さく笑った。
「リエネ。皆、無事に再会できたのですから」
「ええ、喜んでおります。ですが、それとこれとは別です」
俺は黙って頭を下げた。
その横で、レオノーラがそっと俺を見上げる。
「お父様……殿下も、馬で王宮へ……?」
「うん……」
「まあ……」
レオノーラの頬が、ほんのり赤くなった。
「ん?」
その日の夕方、王宮文官が客室を訪れた。
エスメラルダ嬢についての聞き取りが、少しずつ進んでいるらしい。
最初に話を聞かれたのは、レオノーラが見舞いに行ったという令嬢と、その家の者たちだった。
そこから、王都で黙らされていた声が次々に出てきた。
婚約を壊された者。
濡れ衣を着せられた者。
社交界から追われた者。
どれも表向きは、噂や不作法、家同士の都合として処理されていたが、たどっていけば、その中心にはいつもエスメラルダ嬢がいた。
相手が王弟家の娘だったから、誰も声を上げられなかったのだ。
陰湿すぎだろ。
嫌がらせに権力を振り回すな。
「あのお人形みたいな子がねぇ」
バーデンが、嫌そうに顔をしかめた。
「でも、これだけ証言が集まれば、もう噂では済まないわ」
さらに、王宮前広場の黒外套についても、エスメラルダ嬢が事前に配置を知っていたらしいことが分かった。
証言したのは、王弟家に仕えていた使用人だった。
その男は、もともと貴族家の次男だったらしい。
以前、エスメラルダ嬢に婚約を壊された令嬢の、元婚約者でもあった。
「私は、あの方が何を話すかを記録しておりました」
そう言って公開されたのは、数冊の手帳だった。
そこには、エスメラルダ嬢が使用人の前で漏らした言葉が、日付つきで書き留められていた。
――レオンハルト様なんて、死んでしまえばいいのに。
――あの家の娘、辺境へ送られたそうよ。いい気味だわ。
――傭兵がレオンハルト様と北方男爵を始末してくれれば、少しは気が晴れるのに。
――田舎娘が伯爵家に嫁いだら、レオンハルト様はどんな顔をするかしら。
俺もバーデンも、口を開けて固まっていた。
人は見た目だけでは分からない。
二度目の人生でも、まだまだ知らないことはあるらしい。
数日後、俺たちも呼ばれた評議の場で、エスメラルダの処遇が告げられた。
王弟家の籍から外され、王族の名を名乗ることを禁じられ、身柄は、王都から遠く離れた監視修道院へ移される。
「……これは、わたくしへの当てつけですか」
エスメラルダの声が、静かな広間に落ちた。
「殿下のお心に背いたから……だから、わたくしから婚姻も社交も奪うと?」
レオン殿下は何も言わず、その言葉を聞いていた。
「王になられる方が……私怨で人を裁くのですか!?」
「……私情がないとは申しません」
俺は、思わずレオン殿下を見た。
エスメラルダが、細く笑った。
「お認めになるのですね……そんな方が、王にふさわしいとでも?」
「ですが、私情だけで人を裁くつもりもありません」
レオン殿下の声は、落ち着いていた。
「あなたとの違いは、私は、この処分を一人で決めていないことです」
エスメラルダの笑みが、わずかに歪んだ。
「評議に諮った上で決めています」
「周りも認めたから、私怨が許されると!?」
「王宮は、噂と身分で人を追い詰めるやり方を認めない。これは、王族にも、宮廷貴族にも、王都の社交界にも示すための処分です」
俺は息を呑んだ。
これが、こいつのレオノーラの守り方か。
近衛が、エスメラルダのそばへ進み出た。
「わたくしの罪ではないでしょう!?」
エスメラルダの声が、広間に響いた。
「わたくしは、命じてなどおりませんわ……勝手に怯え、勝手に従った者たちが悪いのではなくて!?」
誰も答えなかった。
「わたくしより、力にひれ伏した者たちを裁きなさいよ!」
近衛に促されながらも、エスメラルダはなお叫んだ。
「自分可愛さに従った者たちを!」
扉が閉まるまで、その声は広間に残っていた。
頼むから。
修道院で改心しろよ。
……無理かなぁ。
イザベラ王妃と第一王子アルベール殿下の処分も、正式に決まった。
イザベラ王妃は王妃位を剥奪され、王都外れの旧離宮へ移された。
名目は療養。
実際には、終身の幽閉である。
その旧離宮なら、俺も兵士だった頃に一度だけ遠目に見たことがあった。
街道から外れた辺鄙な場所にあり、周囲には人家も少ない。
石壁は古び、庭は荒れ果て、窓は固く閉ざされていた。
当時の俺は、あれは本当に人の住む場所なのかと思ったものだ。
そこへ、死ぬまで出られない。
……きついな。
だが、国王陛下を殺した報いとしては、軽すぎるくらいなのかもしれない。
王妃の実家は爵位を失い、王都に持っていた屋敷と財の大半を没収された。
王妃派として動いていた貴族たちにも、次々に処分が下された。
王妃は、王家のためだったと訴えた。
「わたくしは国と王家を守るために動いたのです……! それなのに、このような仕打ちをなさるのですか!」
レオン殿下は、しばらく王妃を見ていた。
「国王陛下を害し、王宮の秩序を乱した方が、王家のためを口にするのですか」
「っ……あなたさえ、消えていれば!」
「それが、あなたの本音ですか」
近衛に囲まれてなお、王妃は最後まで自分の非を認めなかった。
「わたくしは、間違ってなどおりません……いずれ分かります。わたくしのしたことが、王家のためだったと……!」
王家のためなどと言われて、こんな女を娶らされた国王陛下には、同情しかなかった。
第一王子アルベールは廃嫡され、王位に連なる資格そのものを失った。
今後は王都の外に置かれ、亡くなった兵士たちの家へ謝罪と補償を続けることになるという。
「兵が王家に仕えるのは当然だろう。なぜ私が責められる!」
アルベールは、そう言った。
「兵が命を懸けるからこそ、王家はその命に責任を負わなければなりません」
「補償は出す。遺族にも謝罪はする。……ほかに何をしろと言うのだ?」
「王家は先に、兵が死なずに済む道を考えなければなりません」
レオン殿下の声は、冷えていた。
「それを、兵が死んだあとに考えることだと思っている時点で、あなたは王位にふさわしくありません」
俺は心底呆れた。
その当然のために死んだ兵がいる。
その当然のせいで、帰ってこなかった父親や息子がいる。
それが分からない者が、王にならずに済んだ。
そのことだけは、この国にとって幸いだったのだろう。
アルベールは、納得できないという顔のまま、近衛に促された。
お前は遺族に殴られてこい。
一度くらい、思い知れ。
そして、王宮の内側にいた裏切り者たちにも、処分が下された。
近衛副長もまた、王宮前広場での襲撃に加担した者として裁かれることになった。
きっかけは、捕らえられた黒外套の証言だった。
命惜しさに口を割った男が、王宮前広場へ入る手引きをした者の名を明かしたのだ。
さらに、王弟家から見つかった書状にも、副長の確認印が残っていた。
近衛籍は剥奪され、持っていた爵位や継承権も取り上げられ、本人は地下牢へ移されたという。
マルセル・ローヴァンもまた、密約文書の作成と資金の流れに関わったことが確認され、同じく地下牢へ移された。
王宮に仕える者のくせに、守るべきものを売っていた。
俺は、吐き気がした。
そして、その裏側にいたヴィクトルもまた、王弟としての特権を失った。
問われたのは、外国勢力との無断交渉、兵権の私的濫用、そして王弟家の権威を用いた貴族家への圧迫である。
王弟家の兵権と直轄領は取り上げられ、ヴィクトル本人も王都から遠く離れた旧離宮へ幽閉されることになった。
離宮とは名ばかりで、かつて国境警備の拠点として使われていた古い建物だという。
周囲に町はなく、出入りする道も限られている。
王弟として人を動かしてきた男には、何より重い罰なのかもしれなかった。
「その甘い考えで、いつまで王でいられるかな」
ヴィクトルは、愉快そうに目を細めた。
「少なくとも、利権のために王家の名を使う者に、この国を渡すつもりはありません」
「私一人を退ければ済むと思うな。権力の匂いに群がる者など、いくらでも湧いて出る」
レオン殿下は、ゆっくり頷いた。
「ええ。それが王宮です」
ヴィクトルの笑みが、わずかに止まった。
「叔父上のご助言、ありがたく頂戴いたします」
その言葉に、ヴィクトルは黙り込んだまま、近衛に促されて広間を後にした。
「……お前にしては、思い切ったな」
俺が思わず小さく呟くと、レオン殿下は一度だけ目を伏せた。
「……彼らは己の欲のために、民を利用しました」
レオン殿下は、広間に集まった諸侯を見た。
「王家の名を使ってそれを行った者を、王家が軽く許せば、次に同じことをする者が出ます」
俺は黙った。
「王家を名乗るなら、それに伴う責任を負わなければなりません。王族であることは、罪を軽くする理由ではない。むしろ、重くする理由です」
その言葉に、貴族の何人かが深く頭を下げた。
……そうだよな。
こいつは、いつも頭を下げていた。
王家の責任を重んじていたのは、最初からレオン殿下だけだったのだ。
宰相の椅子「ざまぁが、これで終わり……だと?」
宰相の羽ペン「北方男爵視点だからな。これ以上は難しい。我々もこの場から動けん」
宰相の椅子「くっ……もっとないのかよ……! ざまぁが……足りねぇ!」
宰相の羽ペン「それはブックマークと評価次第だ」
宰相の椅子「宣伝かよ!」




