第六話 決意と旅立ち
竈の中に小さな火球を浮かべ、湯を沸かす。
樽の底に残っていた穀物――蕎麦の実をさっと洗って鍋へ流し込み、砕いた乾燥キノコを放り込む。
「ミア、どこで料理を習ったのだ」
泣き疲れて眠りについたフィーネが目覚める前に、何か腹を満たすものを用意してやりたい。そう考えたエルゼだったが……破壊を目的として創られたこの亜神には、残念ながら料理の才能は皆無であった。
いやむしろ、食べた者の腹に破滅的な結果をもたらす凶器と考えれば、彼女らしいと言えなくもないのだが……その能力がこの場にふさわしいかと問われば、答えは否である。
「儂を形作る魂の中に、腕のよい料理人がおったようですのじゃ、主殿」
隣家の庭で飼われていた鶏から卵を二つ拝借し、そのうちの一羽にそっと手を伸ばす。
「フィーネのためだ、許せ」
エルゼは鶏に目礼をして、その首を魔法で刎ね飛ばす。受け取ったミアが手際よく血抜きを済ませて綺麗に捌き、またたく間に食肉へと変えてみせる。
解体された鶏ガラを鍋へ落として出汁を取り、蕎麦の実と鶏肉を、その他の具材と共に煮込む。やがて鶏の脂が表面に浮き、胃袋を刺激する良い匂いが部屋に立ち込めた。
その湯気に誘われたのか、寝台のフィーネが小さく身じろぎする。
「……うぅ……かか、しゃま……」
寝ぼけた眼のまま、すがるように両腕を伸ばし、抱きついた先は――心配そうに大きな身を屈め、顔を覗き込んでいたエルゼだった。幼女にしがみつかれ、一瞬たじろぎ、困ったように眉尻を下げるエルゼ。だが彼女は何も言わず、その小さな身体を不器用に抱き上げた。
次第に焦点が合ってきたのか、眼前の顔を見上げて、フィーネがきょとんとした表情を浮かべる。
「えるぜ――しゃま」
その言葉の直後――昨夜の惨劇を思い出したのだろう。あどけない顔が歪み、目元からポロポロと涙が溢れ出した。エルゼは戸惑いながらもその身体を強く抱きしめ、慰めるように、ただ静かに金糸のような髪を撫でた。
その様子を見たミアが卵を割り、器の中で手早くかき混ぜると、出来上がった蕎麦粥の上にそっと流し入れた。
食欲をそそる鶏肉の脂の匂いに、ほのかに交じる蕎麦の香り。昨夜から何も口にしていないフィーネは、ごくりと喉を鳴らした。
「まずは食べよ」
エルゼは匙で蕎麦粥をすくい、ふうふうと息を吹きかけて冷ます。それを一度、自身の唇にあてて温度を確かめてから、そっと眼の前の小さな口元へ運んだ。フィーネはこくりと頷いて、口を開ける。
差し出された粥をひとくち、もぐもぐと咀嚼すると――目を細めて、ぽつりと呟いた。
「おいちい……」
エルゼは僅かに目尻を緩めると、フィーネの柔らかな髪をなでるように、そっと指を通した。
「お主は生かされたのだ。食べねばならぬ」
膝を折ってちょこんと座ったフィーネは、木椀を両手でしっかりと抱え、あつあつの蕎麦粥を一生懸命に口へ運んだ。エルゼはそんなフィーネを見つめながら、ときおり髪を梳くようにそっと撫でる。
「ぽんぽんいっぱい」
しばらく無言で食べ続けていたフィーネ。やがて、出されたものをきれいに平らげたフィーネは、ぽっこり膨れた腹をさすりながら、にこりと笑った。
部屋の奥、竈の前ではミアが火を落とし、湯気の立つ鍋に蓋をする。
「さて、落ち着いたかの」
台所の土間から聞こえたミアの声に、フィーネはで小さく頷いた。涙の跡が残る頬を拭い、ぽつりと呟く。
「おととと、かかしゃまは、フィーネを……エルゼさまにあわせた。だから、わたしは……エルゼさまにちいてく」
力強く言うと、覚悟を決めたようにエルゼを見つめ、両手を太ももの上でぎゅっと握りしめた。
「今より我とミアが家族だ」
エルゼは静かに頷き、フィーネの視線を正面から受け止める。それを見たミアは、足を肩幅に開いて両手を腰に当て、うんうんと頷きながら満面の笑みを浮かべていた。
「お主の父母を葬ってやらねばならぬ」
「主殿、あの岩屋が良いと思うのじゃ。墓標代わりに例の祠を置けば、誰ぞが荒らすこともあるまいて」
フィーネの父母の埋葬地を、あの岩屋にしたらどうかとの提案。ミアは言いながら鍋からエルゼと自分の粥を椀によそい、土間から部屋へと上がってきた。
「それがよい」
大きく頷いて椀を受け取ると、粥を口に運んだ。
そうして食事を終えたエルゼは、空になった椀を置いて立ち上がり、フィーネの父母の亡骸が眠る部屋へと向かう。
「フィーネ、来い」
エルゼが短く告げると同時、二つの遺体が魔法によってふわりと宙に浮き上がった。
「わあっ、おととと、かかしゃまが……とんでる……!」
「魔法に興味があるのか」
凄惨な死の現実よりも、目の前で起きた神秘に心を奪われたのだろう。問いかけるエルゼに、フィーネはぱっと目を輝かせた。
「うん! フィーネもやりたい、まほーするっ!」
エルゼはそんな無邪気な様子にわずかに目を細め、口元だけでかすかに笑った。
「いずれ教えてやろう」
「よい子にしておれば、主殿がお主を一人前の魔導士にしてくれるのじゃ。楽しみにしておれ」
主の言葉にかぶせるように、ミアがフィーネの頭を撫でながら言う。
「うん……よいこ、する!」
フィーネは右手をぴょこんと上げて大きく頷く。それをみたエルゼの口元が僅かに緩む。
「なんじゃこの可愛すぎる生き物は! あいくるしいのぅ」
ミアはたまらず身を乗り出し、フィーネをぎゅっと胸に抱きしめた。
見た目は十代前半の少女――ミアと、その胸に抱きしめられる四歳の幼女、フィーネ。少し年の離れた姉妹のような二人をしばらく見下ろしていたエルゼは、ふと縁側の外へと視線を向ける。
この家の庭、その生垣の切れ目から外に出れば、すぐ目の前に件の岩屋があった。
「行くぞ」
エルゼの短い言葉を合図に、三人は家を出てゆっくりと庭を抜けていく。宙に浮く二つの亡骸を引き連れて向かう先は、かつてエルゼが封じられていた、あの祠がある岩屋だ。
「ここは、えるぜさまのおうち……すごい、きれい」
岩屋に足を踏み入れたフィーネが辺りをきょろきょろと見回し、感嘆の声をあげる。一方のミアは、顔を引きつらせて冷や汗を流していた。
「あ、相変わらず主殿の魔法はえげつない出力なのじゃ……岩を溶かすなど、規格外にもほどがあろうて」
岩屋の内部は、エルゼが放った桁外れの爆炎魔法に焼かれ、姿を一変させていた。
壁面のあちこちが熱で溶け、冷えて固まった跡が残っている。所々が黒いガラスをはめ込んだように滑らかな光沢を帯び、その表面は緩やかに波打ちながら光を反射していた。暗がりの中できらきらと輝く様は、まるで別の世界に迷い込んだかのような、神秘的な雰囲気すら漂わせている。
昨夜ここにいた者たちは、爆発の衝撃で砕かれ、超高温に焼かれ、跡形もなく吹き飛ばされた。血も肉も残されてはおらず、圧倒的な暴力がすべてを拭い去ったあとの空間は、異様なほど静かで整然としていた。
中央には、かつてエルゼを封じていた祠が横倒しのまま残っている。その表面もまた高熱で融け、ガラス化によって緑がかった深い光沢を帯びていた。
「ここでよかろう」
エルゼが指さしたのは、かつて祠が建っていたその場所だった。彼女は静かに手をかざし、ふたりを葬るのに十分な大きさの穴をす穿つ。
その様子をじっと見つめていたミアが、束ねた野花をそっとフィーネに差し出した。
幼い手でそれを受け取るフィーネ。ミアは続けて、花の種が詰まった布袋をエルゼに渡す。どれもこの近くの家や庭から集めてきたものだろう。
「気が利くではないか」
エルゼはそう言って、口元をわずかに緩める。袋の口を開いて中の種にふうと息を吹きかけ、そのまま穴の底へとばらまいた。すると、辺りの地面が薄緑に輝き、種を優しく包み込む。
「わぁ! ちれい!」
一拍の間を置いて……種が芽吹き、瞬く間に穿たれた穴の底で無数の花が咲き誇った。白や紫、薄紅色――柔らかな色彩が、薄暗い岩屋の中に浮かび上がる。
エルゼは右手の平を上に向け、そこに光の玉を生み出すと、天井近くに浮かべた。それは柔らかく白い光を発し、辺りを鮮やかに照らし出す。その光がガラス化した岩肌に反射し、花の彩と相まって、神秘的な景観を生み出していた。
「すごいすごい! エルゼさま、これも、まほー?」
フィーネが手を叩き、目を輝かせる。
「いかにも」
エルゼは小さく頷いた。
フィーネは穴の縁に歩み寄り、咲き乱れる花のベッドを覗き込む。やがてエルゼが魔法で父母の遺体を優しく宙に浮かせ、静かにその花の中へと降ろした。
「フィーネ、その花を父と母に供えてやるのじゃ」
ミアが促すと同時に、フィーネの身体が魔法でふわりと持ち上がり、穴の中へと降ろされる。彼女は手にした花束を抱えたまま、そっと父と母の遺体に近づいた。
「おとと、かかしゃま……またね」
小さな声でつぶやき、フィーネはすんと鼻をすすった。ぽろぽろと大粒の涙が頬を伝い、冷たくなった母の胸に顔をうずめる。そしてしばらくのあいだ、小さな両腕でそっと抱きついていた。
やがて花束をふたりの胸元へ置くと、フィーネは顔を上げて、穴の上で見守るエルゼを見た。
「別れはすんだか?」
「……うん」
小さく頷いたその身体が、再び宙に浮いてエルゼの元へ戻る。
そして、花で満ちた穴は静かに土で覆われた。
エルゼは最後に、倒れたままになっていた祠を魔法で静かに引き上げ、墓標の代わりとしてその土の上に据え直した。
「ここがお主の父と母が眠る場所じゃ。大きくなったら、また訪れるとしよう。よいじゃろ、主殿」
ミアの言葉に、エルゼは無言で深く頷く。
「おとと、かかしゃま……またくるね」
フィーネは幼い声で父母が眠る場所に別れを告げ、ミアにふわりと抱き上げられた。
やがて、弔いを終えたエルゼが岩屋を出た――その瞬間だった。
村へと近づいてくる微かな人の気配を察知し、エルゼは鋭く目を細める。そこへミアが歩み寄り、そっと耳打ちをした。
「主殿、敵の本隊が到着したようじゃな」
エルゼは無言のままひとつ頷き、視線を前に真っすぐ外へ向けたまま僅かに口を開いた。
「フィーネを頼む」
「うむ、主殿。安心して儂に任せておくのじゃ」
ミアはしっかりとフィーネと手を繋ぎ、絶対的な強者たる主の横顔を見上げる。エルゼはゆっくりと足を踏み出し、敵の気配が集まる方角へと歩き出した。
小さな集落を抜け、村を一望できる丘へと登る。丘の上には一本の巨木がそびえ、その根元には、村の子供たちが遊んだままごとの跡がそのまま残されていた。
眼下に望む村の外れ。一本の道に沿って、鎧を着込んだ兵士が列を成し、槍の穂先を揃えながら次々と集結する。彼らは色とりどりに染抜いた、所属を表す紋章旗を掲げていた。
昨夜ここで壊滅した中隊が所属する、ランスステッド軍の増強大隊。その本隊が、ついに到着したのである。
「早いな」
昨夜の戦闘の最中、敵は強大な魔導士との遭遇を想定し、本隊へ援軍を要請していた。今、道を抜けて近くの農地を埋めるように集まっているのは、その増援として駆けつけた大隊の本隊である。
「我の前で密集するとは、愚かな」
現れたのは六個中隊からなる増強大隊、総兵力はおよそ一二〇〇。村の入り口に開けた平地では、そのうち八百ほどがすでに集結を終えていた。
広範囲を焼き尽くす攻撃魔法が存在するこの世界において、兵を密集させる陣形は集中砲火の的となる愚行である。だが、大隊以上になると分散による各個撃破を避け、むしろ部隊を密集させることで多数の魔導兵による強固な魔法障壁を展開する。
これが、この地における主流の戦術であった。
もっとも――そんな常識が通用する相手であればの話だが。
エルゼは無言で彼らを見下ろし、ゴキリと首を鳴らすように首を傾ける。空間魔法で収納していた十文字槍を虚空に現出させると、その柄を静かに握りしめ――そのまま右肩に担ぐと、眼下にひしめく敵の軍勢に向けて、悠然と歩き出した。
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