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汝、我の敵なりや ~その女、神喰らいの魔神につき~  作者: 隣野ゴロー


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第四話 惨状

 フィーネを救い、略奪者を皆殺しにしたエルゼは、静かに呪文を唱えた。


「――クリエイト・サーヴァント」


 その瞬間、あたり一帯を夜の闇より深い黒い霧が覆い尽くし、地面を這うように渦を巻いて立ち昇る。やがて霧はエルゼの前でひとつに収束し、静かに晴れていった。


 そこに、一人の少女が佇んでいた。


 年の頃は十を僅かに過ぎた頃。腰まで届く銀髪は絹のように滑らかで、(ほの)かに光を帯びた艶やかな肌は沁みひとつない。整った輪郭に勝ち気な眼差し。幼さを残しながらも、どこか大人びた色香を感じさせる。


 まさに蕾が綻び花開こうとする、その刹那の奇跡を切り取ったような美少女。


 その姿を見つめるエルゼの口元に、満足げな笑みが浮かぶ。


「御霊は三八四柱。強さはまずまず……か」


 そう言って小さく頷くと、少女の前に腰を落として視線を合わせた。


「ここを襲った連中程度なら、千を相手にしても後れは取るまい」


 かつて自らが(ほふ)った神の魂を喰らい、その身に神性を宿したエルゼは、新たな力を得ていた。神が持つ、無から生を創り出すスキル。その劣化版――魔人創造の権能。ただし、神と違い、エルゼが魔人を生み出すためには、代価に魂を必要とする。


 そして、エルゼに産み落とされた魔人は、戦いの中で死者の魂を喰らうことでさらに己を成長させていく。


 魂喰い(ソウルイーター)――失われた魔法文明が残した禁忌にして究極のスキル。かつてエルゼはこの力で、神をも(たお)したのだ。


「お前の名はミア。眷属として我に仕えよ」


 エルゼは自らが生み出した少女の頭に手を乗せて、軽くぽんぽんと撫でた。名を与えられた少女は静かに片膝をつき、頭を垂れる。


「初めて御意を得るのじゃ、エルゼリナ・ブラットフォルム・シュヴァルツリート様。賜りし名に恥じぬよう、粉骨砕身、尽くす所存なのじゃ」


「エルゼと呼ぶがよい」


 ミアは顔を上げ、わずかに笑みを返す。


「いや……そうじゃのう、儂としては主殿(あるじどの)が呼びやすいのじゃが、どうじゃ」


「好きにせよ」


 ミアの無邪気な物言いに、切れ長の目がほんのわずかに細くなり、口元の端が柔らかく歪む。


 豪奢な装束に身を包んだ絶世の美女――エルゼ。


 そして彼女の前で、生まれたままの姿で膝をつき、礼を取る絶対的な美少女――ミア。


 この主従の出会いの儀式はなんともちぐはぐな図でありながらも、ひどく背徳的で妖艶な光景であった。エルゼはミアの瞳をじっと見つめ、主として初めての命令を下す。


「まずはお前の服と武器。次に路銀だ」


「承ったのじゃ……して、路銀とは?」


「我は文無し故」


「なるほどのぅ。旅といえばご当地のグルメを堪能するのが礼儀というものじゃ。先立つものがなければ話にならぬからのぅ」


 ミアは頭を上げて立ち上がると同時に、ふんすと胸を張った。まだ未熟ながらも背徳的な胸の曲線を自慢げに突き出し、無邪気な笑みを浮かべる。


「任せておくのじゃ、主殿」


 そう言って胸をトンと叩くと、そのまま踵を返した。


 ――とにもかくにも、まずは金だ。


 いかに神を殺す力を得ようとも、人の世を渡るのに金が無ければ何もできぬ。長き眠りから目覚めて早々、野宿の憂き目に遭うなどまっぴらごめんなエルゼである。


「追加で背嚢(はいのう)をひとつ、肩掛けの雑嚢(ざつのう)を二つ。これは――あればでよい」


 ふと思い出したようにかけられたエルゼの言葉に、背を向けて駆け出しかけたミアが足を止めて振り返る。


「収納の魔法なら、儂にも使えるのじゃが――」


「ダミーに使う故」


「なるほど……ならば、それも集めて参るのじゃ」


 そう言って笑うと、ミアは惨劇の跡へと駆けていく。エルゼは小さく頷き、その小さな背中を見送った。


「さて」


 ミアを見送ったエルゼは、ふと振り返る。その視線の先、死の臭いが濃く立ち込める地面に、フィーネが無防備に横たわっていた。まるで何もなかったかのように、あどけなく、静かな寝息を立てている。


 エルゼは音もなく歩み寄ると、ゆっくりとしゃがんで無垢な寝顔を覗き込んだ。小さく息を吐き、指先でそっとその額に触れる。


「ん……っ!」


 フィーネがびくりと身を震わせ、跳ねるように上半身を起こした。


「ここは……! あ、えるぜしゃまっ!」


 キョロキョロと辺りを見回すフィーネの小さな頭に、エルゼはそっと手を置いた。


「かかしゃまと、ととしゃまが……えるぜさま、たすてて……」


 フィーネの大きな瞳に涙が滲む。小さな体であたふたと動き始め、エルゼの手を引こうとする。


 エルゼは彼女の正面にしゃがみ込み、その小さな両手を自らの大きな手で包みこむ。そのまま優しく握りしめ、真っ直ぐに幼女の目を見た。


「やはり、帰らねばならぬか……」


 静かに独りごちると、間を置かずに続けた。


案内(あない)せい」


 その言葉に、フィーネの怯えていた表情が、まるで蕾が開くようにぱっと輝いた。大きくこくんと頷くと、握られていた右手を離して家の方角を指さす。


「こっち!」


 フィーネが先に立ち、左手でエルゼを引いて走り出す。


 高位の神官を思わせる、豪奢な身なりの大女。その手を引くのは、粗末な麻を纏った幼子。


 斜面を駆け下り、再び緩やかな上り坂となる。


 幼児は足が短く、頭が大きい。大人の手を引いて慌てて駆けようとすれば、途中で足をもつれさせて転ぶなど日常茶飯事だ。エルゼが倒れゆく体を掴み損ねた次の瞬間、フィーネはボテっと鈍い音を立てて、顔から派手に地面へと転がった。


 だが、フィーネは泣かない。


 痛みと涙をこらえ、泥だらけの顔で歯を食いしばって立ち上がる。そして再びエルゼの手を握り、ひたすらに、両親の待つ家を目指して駆け出した。


 白い光の玉が先行して辺りを照らす。やがて闇の中に粗末な板屋根が姿を現し、目的の木造家屋が見えてきた。蹴破られた戸の奥には、血まみれの父親が倒れている。


「おとと……」


 玄関の土間でうつぶせに倒れ、顔を横に向けている父親の亡骸。擦りむいた膝や肘の痛みも気にならないのか、フィーネはその(かたわ)らに立ちすくむ。


 エルゼは父親の亡骸のそばにしゃがみ込み、見開かれたままの目を手でそっと閉じてやった。


「死んでおる」


 右手に剣を握ったまま服はずたずたに切り裂かれ、左手の指は人差し指と中指が欠損していた。身体中に無数の傷を負った血濡れの亡骸。


「おとと! おとと!」


 父の血で手が汚れるのも気にせず、必死に揺り起こそうとするフィーネの小さな肩に、エルゼは後ろからそっと手を置いた。


「無駄だ。死んでおる」


「えるぜさまも、たしゅけられないの?」


 フィーネは振り返り、すがるような視線をエルゼに向けた。


「死者はどうにもならぬ」


 フィーネは両手でエルゼの服の裾をぎゅっと握りしめ、唇を噛む。やがてじわりと滲んだ涙が、大きな瞳からぽたぽたと溢れ落ちた。


「母親はどこに……」


 そう呟き、エルゼが家の中に目を向けた暗闇の先。そこには、激しい凌辱を受けた跡も生々しく、母親の無残な亡骸が転がっていた。


「母を連れてくるゆえ、父のそばで待つがよい」


 エルゼがフィーネの頭をそっと撫で、優しく、母が子に言い聞かせるようにして言葉を紡ぐ。


 だがフィーネは、視線をエルゼ、父の亡骸、そして家の中へとせわしなく移しながら、握りしめたエルゼの服の裾をさらに強く引いた。


「あたしもいく」


 予想通りの反応に、エルゼはフィーネの目をじっと見つめると、ゆっくりとその小さな手をほどいていった。


「聞き分けよ。お主が見てやらねば、父が寂しがる故――な」


 エルゼが(さと)すように言うと、フィーネは唇をギュッと噛みしめ、その目を見返してきた。


「わかった。おととと、ここでまってる」


 こくんと頷く幼子。エルゼはその小さな頭を優しくぽんと撫でると、一人、家の中へと足を踏み入れた。


 室内は滅茶苦茶に荒らされていた。


 棚は倒れ、食器は砕け、家具は壊され――部屋の真ん中には、妙に広く空けられた空間ができている。複数の男たちが、母親を犯すために作った宴の舞台。


 母親は、無惨にも両足を開かされたまま、一糸纏わぬ姿で事切れていた。


 顔は執拗な殴打によって原形をとどめていない。頬も唇も赤紫に腫れあがり、片目は完全に潰れている。さらに全身には無数の傷が刻まれ、男たちが吐き出した欲望の残滓と流れ出した血とが混ざり合い、そのままこびりついていた。


「これはまた……酷くやられたものだ」


 エルゼが小さくつぶやいた瞬間。背後に微かな気配を感じた。


 振り返ると、そこには父のそばに残したはずのフィーネが立ち尽くしている。


「フィーネ……なぜそこにおる」


「かかしゃま……そこにいるのは、かかしゃまなの?」


 幼児の小さな身体が、かたかたと震えていた。


 見開かれたつぶらな瞳。幼い彼女には、ここで具体的に何が行われたのかまでは理解できていないのだろう。ただ、大好きな母が激しく痛めつけられ、殺されたのだということ――その残酷な事実だけは、この惨状を見れば一目瞭然だった。


「父と母は、お主を助けるために命を()した」


 エルゼが静かに告げると、放心したようにフィーネはこくんと頷いた。


「だからお主は、父と母の分まで強く生きねばならぬ」


 フィーネは母親の亡骸から視線を外せないまま、呆然と立ち尽くしている。エルゼは惨状から目を逸らさせるように、その小さな体を優しく抱き寄せ、言葉を続けた。


「人はみな、生まれながらに運命(さだめ)を負う。与えられた役目を終えた時、人は天へと帰るのだ」


 抱きしめる腕に力を籠めると、早鐘のように打つフィーネの小さな鼓動が伝わってくる。エルゼは大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出すと、小さくとも力強い声で幼子の耳元へと囁いた。


「お主の父と母は、我とお主を巡り会わせることがその役目であったのであろう。二人は立派にやり遂げた……良い父と母であったな」


 それを聞いて、フィーネの大きな瞳から再び涙があふれ出す。


「おとと……かかしゃま……もう、あえないの……?」


 幼い声が涙に震え、消え入りそうになりながら闇に(こぼ)れた。


「死者と会うことは叶わぬ」


 残酷なまでに嘘のないその言葉を聞いた瞬間、堰を切ったように声をあげて泣いた。


「うわぁぁぁぁぁん! かかしゃまぁぁぁぁぁぁ!」


 狭く荒らされた家の中に響き渡る、悲鳴にも似た絶叫。フィーネはエルゼの胸に身を預け、ただひたすらに泣き続けた。エルゼはその小さな震える身体を力強く抱きしめ、ひとことも発することなく、ただ静かに寄り添い続けた。


 やがて、泣き疲れたフィーネは糸の切れた人形のように脱力し、そのまま深い眠りに落ちる。


 ちょうどその頃、装備を整え、荷物を抱えたミアが戻ってきた。


「遺体を庭へ」


「承ったのじゃ」


 エルゼはそれだけ告げると、室内へ戻って寝具を広げた。そこへフィーネを丁寧に寝かせると、ミアと共に荒れ果てた室内を片づけ、釜戸に火を入れる。


 ようやく静けさが戻った頃――エルゼは、すやすやと寝息を立てるフィーネの小さな手をそっと握った。


「起きたら、なんぞ食わせてやらねばな……」


 穏やかな声でそう言って、エルゼはミアに食事の支度を命じた。

皆さんの反応が、創作のモチベーションに繋がります。


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