第三話 魔人創造
「なんだ、何が起きた!」
轟音とともに地面が揺れた。村の広場に設けられた仮設の陣所――声の主は、この村を占拠した部隊の指揮官だ。異変を察した男が経験豊富な先任の下士官に声をかけたその時、隣の天幕から一人の魔導兵が駆け込んできた。
「中隊長! 村の奥、岩場の方角から規格外の魔力反応を確認! 大規模な範囲攻撃魔法です!」
その報告を聞いた瞬間、中隊長は天幕を飛び出し、周囲の従卒たちに鋭い視線を向けた。
「敵襲だ! 非常呼集! 各小隊長は直ちに部隊を掌握しろ!」
本部の天幕、その一角で今後の行軍計画を確認していた士官たちが、ただちに非常事態の対応へと動く。
「大隊本部に伝令! 我、強力な魔導士と接触、救援を乞う!」
最悪の事態を想定し、中隊長は本隊に向けて伝令を走らせた。
「固まるな! 分隊ごとに散開し、岩場を完全に包囲しろ!」
ここはウォーレンマーク連合王国の辺境領、国境沿いの山岳地帯にある寂れた小村。
襲撃を仕掛けたのは、ランスステッド軍の増強大隊に属する一個中隊──およそ二百名の精鋭たち。彼らはラッシュリー高地での決戦において、敵主力の背後を突くため、険しい山脈を越えての迂回進撃を敢行している最中であった。
「どうなってる……この方面に敵はいないはずだろう。しかも範囲攻撃魔法だと……? そんな規格外の魔導士が配されているなど聞いていないぞ」
ウォーレンマーク連合王国にとって、国境を跨ぐ峻険な山岳地帯を完全に封鎖することは不可能に近い。ゆえに、ランスステッド軍は勝機をそこに求めた。一〇〇〇メートル級の峰々を尾根伝いに進軍する——通常であれば補給もままならず、行軍不能とされる過酷なルートだ。
この作戦のために山岳民族よって編成された特殊部隊は、事前の入念な偵察に基づき、敵の監視網を完全に回避していたはずだった。
だが現実には、すでに魔法攻撃を受けている。しかも相手は、強力な範囲攻撃魔法を単独で操る戦略級の魔導士である可能性が高い。
周囲は急速に宵闇に包まれ、視界は既に奪われている。一刻も早く術者の所在を突き止めねば、遠距離から一方的に蹂躙され、中隊そのものが壊滅するおそれすらあった。
戦場において、未知の魔導士と対峙することほど、兵士の神経をすり減らすものはない。
分隊・小隊規模の支援火力を担う魔道兵から、治療を受け持つ衛生兵、中にはたった一人で大隊を陣地ごと消し飛ばすほどの魔法を行使する――いわゆる戦略級の大魔導士まで、その実力には大きな開きがあるからだ。
無論、戦略級と呼ばれるような怪物は、全世界でも両手で余る程度しか確認されていない。それでも相手の力量が不明である以上、たとえ敵が単身であっても、魔導士を侮るべきではないのだ。
村の略奪に散っていた部隊を急ぎ集結させるため、中隊長と呼ばれた男は笛を携えた伝令をただちに走らせた。警笛を鳴らして速やかに兵士を召集し、再び戦闘態勢を整えるためだ。
さらに状況を確認すべく、副官と護衛を伴って魔法攻撃が行われた岩場へと移動を始めたその瞬間――背後から、不意に低く、妙に艶のある女の声が聞こえた。
「天に目あり、後ろに隙あり」
中隊長がその声に気づいたときには、すでに遅かった。背後から突き飛ばされるような激しい衝撃を受け、捻りの加わった身体が地面に横倒しとなって叩きつけられる。強かに打ち付けた頭部に鈍い痛みが走り、同時に熱風が辺りを吹き抜けた。
何が起きたのか思考が追いつかぬまま、視界がぐらぐらと揺れる。
やがて、頭を打ちつけた衝撃で霞んでいた視界が、徐々に焦点を取り戻していった。
目に映ったのは、妙に明るい光――
宙に浮かぶ、白く発光する玉だった。静かに漂いながら、周囲を白昼のように照らし出している。
その光に浮かび上がったのは――全身を焼き尽くされ、かろうじて人の輪郭を残すだけの残骸だった。毛髪は失われ、赤く爛れた血肉と茶色く焦げた皮、そして完全に炭化し黒くひび割れた部位が、グロテスクな斑模様となってへばりついている。
その顔は男女の判別もつかず、眼球は破裂し、眼窩からは黒い液が滴っている。喉の奥まで焼かれて窒息したのか、自らの爪で首を掻きむしったように胸元の皮膚が剥がれ落ちていた。
「な……」
中隊長は跳ね起きようと全身に力を込めた――が、動かない。四肢の感覚が、まるで無いのだ。恐る恐る視線を落とすと、そこにあるべき手足が……根元から消えていた。
傷口の断面は焼け焦げ、炭のように黒く変色している。熱線で焼き斬られたかのような断面。そのため、血は一滴たりとも流れていない。
だがその代償として――皮膚の内側から、激痛が押し寄せてきた。中隊長は地に転がり、四肢のない身体でごろごろとのたうち回る。およそ人の声とは思えぬような、喉を引き裂くような絶叫が、熱風の余韻のなかに響き渡った。
そんな地獄のただなかで――再び、艶のある女の声が聞こえた。
「あっ……」
ふと何かに気づいたような、あるいは忘れていたことを思い出したかのような、気の抜けた呟き。中隊長は激痛に顔を歪めながらも、思わず声のした方へと視線を向ける。
――中隊長が見上げた先。
そこに立っていたのは、白い光りを浴びて神々しいまでに輝く、褐色の肌を持つ長身の美女であった。腰下まで流れる漆黒の髪。成熟した淑女の色香と、他者を圧倒する威厳。瑞々しい肉体から放たれる健康美は、人の世の理から逸脱した、まさに神話に描かれる女神そのものであった。
しかし、その女神は手で口を押さえ、無惨に転がる部下の残骸を見つめている。その切れ長の瞳は、まるで「やっちゃった」とでも言うように、気まずげに眉をひそめていた。
「……幼子の前であったか」
エルゼはふと思い出したように呟き、後ろに立つ小さな影へと視線を落とした。
彼女の腰にも届かない、小さな四歳の幼女――フィーネ。大きな瞳は見開かれたまま、口をぽかんと開けている。
「フィーネ、見るでない――と言うたところで、手遅れであるな」
呆然としたまま立ち尽くすフィーネ。エルゼは幼女の前にしゃがみ込むと、そっと頭を抱き寄せ、背をぽんぽんと優しく叩いた。
「フィーネよ、しばらくそこで休んでおれ」
エルゼが体を離し、人差し指をフィーネの額に当てる。すると彼女はふっと意識を手放し、その身体から力が抜けた。倒れかけたフィーネをエルゼは優しく抱きとめると、壊れ物を扱うかのように大切に寝かせる。
それからゆっくりと立ち上がり、手足を失った男に向けて歩き出した。
「そこのだるま」
足を肩幅に開いて堂々と胸を張り、十文字槍の石突を地に突き立てて仁王のように立つ大女。その足元には、両腕両脚を切断された中隊長――侵略者の指揮官が転がっていた。
集落の中から聞こえていた村人の悲鳴はすでに途絶え、代わって、異変を察知した兵士たちの声と足音がこちらへと近づきつつある。
見る者を釘付けにするような、神々しいまでの美貌。その切れ長の瞳には、残酷な愉悦の色が滲んでいた。
その視線の先で地に転がる、四肢を失った敵の指揮官。痛みにのたうち回り、ただ命が尽きるのを待つだけの哀れな木偶である。
エルゼはそんな男の姿を、壊れた玩具でも見るような冷ややかな目で見下ろした。
「く、くるな!」
「貴様が招いた惨状であろうが」
拒絶の言葉に、エルゼは吐き捨てるように言葉を落した。背後の闇からは、新たな気配が迫ってくる。
何事かと仲間同士で言葉を交わす声や、略奪の途中で呼び集められたことへの不満のぼやき。無数の足音と、金属の装備が擦れる重苦しい音が近づいてくる。エルゼは、その気配に視線を向けて挑発的な笑みを見せ、ゆっくりと口の端を吊り上げた。
「わざわざ姿を見せるとは――よく躾けられた犬だ」
エルゼは手に持った槍の石突を僅かに持ち上げ、とん、と地を突いた。瞬間、彼女を中心に光の輪が走る。
それは腿ほどの高さで空間を薙ぐように、外へ外へと広がってゆく。その光に触れた者たちは――光が通り過ぎて一拍の後、上下に切断された。
「……あ、ああ、あああ……ッ!」
倒れた兵士の口から、くぐもった呻きが漏れた。ある者は両足を失い、ある者は腰で両断され、ずるりと上半身が地面にこぼれ落ちる。一拍遅れて、残された下半身がどさりと倒れた。
断面は焦げ、肉は炭のように黒ずんでいる。出血はほとんどない。だが、意識はまだ途切れておらず、激痛が彼らを襲う。
次いで、押し殺したような悲鳴が、連鎖するようにいくつも上がった。
「……ッい、痛い……熱ッ……!?」
「な、なぁぁっ!?」
「なんじゃこりゃぁぁ!」
ようやく自分の身に何が起こったのかを理解した瞬間、兵士たちに脳髄を灼くような激痛が襲いかかる。
胴が、脚が、熱線で焼き斬られた――それでもまだ生きている。だが肉体はもう、二度と繋がらない。
「いやだ、いやだ…… 死にたくない……ッ たすけて、たすけてぇ!」
「誰か……誰かッ!! こっちに来てくれェ! えいせいへーい!」
血を吐くような嗚咽と、狂ったような絶叫。理性は命の終わりを悟りながらも、まだ死ねずに苦悶の中に留まっている。
肉体が引き裂かれ、神経が焼かれ、己が致命傷を負ったという事実がじわじわと意識に染み込んでいく。逃がれられぬ死が一歩ずつ、確実に迫りくる恐怖。
これは戦いではなく、一方的な殺戮。
範囲魔法を警戒し、分隊ごとに散開していた兵士たち。だが、その行動が功を奏することはなかった。エルゼが放った光の輪による全周攻撃。逃れるすべを持たぬ二百の兵士は、一瞬にして物言わぬ肉塊へと変わった。
エルゼは静かに息を吐くと、地に転がる中隊長の前にしゃがみ込んだ。艶やかな切れ長の瞳で、血と土にまみれた男の顔を至近距離から覗き込む。
「因果の軛から解き放たれるには、貴様は弱すぎた――因果応報、報いの炎に焼かれて散るが良い」
そっと耳元で囁く甘い声。エルゼにしては珍しい、優しく語りかけるような訣別の言葉。最後に口の端を僅かに緩め、彼女は指先を軽く鳴らす――直後、不可視の熱波が男の顔面を包み込んだ。
喉と肺を焼かれ――声も出せぬまま、男は全身を痙攣させてのたうつ。意識は最後まで鮮明に残り、すべての苦しみが容赦なく襲いかかる。
やがて動かなくなった中隊長と呼ばれた男、その顔は苦悶と恐怖で歪みきっていた。人とは思えぬ凄惨な死に顔を見届けると、エルゼは何事もなかったかのようにすっと立ち上がる。
「さて、これだけ死ねば十分か……」
そう呟きながら、辺りを見回す。そして、静かに詠唱した。
「クリエイト・サーヴァント」
その瞬間、夜の闇をさらに黒く塗りつぶすような霧が広がり、地面を這うように渦を巻いて立ち昇る。やがて霧がエルゼの前でひとつにまとまり、静かに晴れていった。
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