夏の友人 肆
彼女とは、最初に出逢った日から、毎日会っている。昔に戻ったみたいで、嬉しい。彼女と会えるのが、彼女と話せるのが、彼女を見つめていられるのが。
恐ろしいくらいに、幸せな日々だ。
彼女には僕のことを彼女自身に思い出して欲しいから、何も教えていない。
はやく「夜陰」って、呼んでほしい。小夏ちゃんって、早く呼びたい。
「私さ、自分が嫌いなんだ。優秀な姉がいるんだけど、私は優秀じゃないから。出来損ないの自分が、嫌なんだ」
そんなある日、彼女は珍しく弱音を吐いた。彼女は言うつもりはなかったようで焦っていたが、僕に言ってくれたのが嬉しくて嬉しくて、僕は彼女を抱きしめないようにするのに精一杯だった。
でもすぐに冷静さを取り戻し、僕は悲しくなった。
僕を救ってくれた彼女が、自分をそんな風に思っているのが悲しくて。
いつの間にか、僕は彼女を撫でていた。彼女はそわそわと落ち着かなくて、慣れていないのかと聞くと小さく頷いた。
昔の君は、もっとこういうものを享受していたはずだ。
「君は…変わらないけど、少し変わったよね」
「どういうことですか?」
「昔君と会っていた頃は、もっと素直だった」
素直で、自由で。僕を暗闇から救い出してくれるくらいに、真っ直ぐだった。
彼女は素直じゃないと言われたと思って、ムッとしている。
僕は言葉が足りなかったらしい。きちんと言い直さないと。
「うーん…毎日君とこうして会うようになったでしょ?それで、昔の君と変わらないんだけど、確かに君が言った通り少し捻くれたなって」
「だから言ったでしょう。…それと悪かったですね、捻くれてて」
「そんなことないよ。ただ、君がそうなってしまうような環境にいたのが、少し悲しいかな」
そう言うと、彼女は目を見開いて僕を見た。
今まで、そんなことは言われたことがないというような顔をして。
しばらく僕を呆然と見つめていて、彼女はその零れそうなほど大きく見開いた目から雫を一筋、頬に流した。堰を切ったように流れる涙は、とても美しかった。
彼女は自分でなんで泣いているのか分からないらしく、困惑した顔をしている。
泣かないで。君が泣くと、僕は悲しい。
彼女の涙を僕の指に掬い上げ、拭った。
「僕は素直な君しか知らなかったから、君の変化に驚いたんだ。それだけの時間が過ぎていて、君がそれだけ変わるほどの何かがあった。それを防げなかったことが、悔しくて」
「どうしてあなたが悔しがるの?」
「僕は素直な君が好きだから」
彼女の顔が、夕焼けよりも真っ赤に染まる。
僕の言葉は、君の心に届いただろうか。
彼女は赤くなった顔を悟られぬようにと、誤魔化すように言葉を口にする。
「なんでそういうこと、さらっと言っちゃえるんですかね、あなたは」
「そういうことって?」
「だから、その…好き、とかそういうことです!」
そんなの、君が好きだからに決まってる。
そういえたら、どんなにいいだろう。
でも言った所で今は本当の意味では伝わらないだろうから。僕も誤魔化すように別な言葉を口にする。
「ご、ごめん。そういえば友達も前そんなこと言ってたかも。僕は直すべき課題が沢山あるみたいだ」
「そうですね。今のままだと女の敵ですからね」
「敵!?僕って君にとっても敵なの!?」
「ええ、敵ですよ敵。恐ろしい敵ですから早く直して下さい」
「分かった、頑張るよ!」
君の気に入る男性に、なれるように。
君に敵認定されるのは、死んでしまうくらい辛いよ。だから、少しずつ君が気に入る僕に、また僕は変えていくよ。君の為なら、僕はいくらでも変われるから。
彼女のことが知りたいから、逸れてしまった話題を戻して、確認してみる。
「君は、自分が嫌い?」
「…嫌い」
「昔の君なら、そんなこと言わなかったのに」
だって、自分を嫌いだって言う時、そんなに辛そうな顔してるじゃないか。
君はもっと、何でも真っ直ぐ、思ったことを言っていたのに。
そう思って言ったのだけれど、僕の想いは届かなくて。
「過去の私にこだわっているようですが、もう昔の私はいませんから。別に嫌な奴だと思ってくれて構いませんよ。私は変わりました。過去の私はいません」
過去の君も好きだけど、僕は今の君だって好きだよ。
「だから、もう会うのをやめましょうか」
でも僕は、いつも君に関しては間違えてしまう。
「あなたに会ってからの毎日は、結構楽しかったよ。久々に笑えたかも。だから、ありがとう。そして、さようなら」
どうしてこうなってしまったのだろう。
どうしていつも僕は君のことになると間違えてしまうのだろう。
こうやって、昔も怒らせてしまったろうか。
だけどね、僕はそれでも、君を諦められない。
「待って!」
「痛い…」
「あ、ごめん!」
焦ったせいで、思った以上の力で彼女の手を掴んでしまったらしい。慌てて掴んだ手を離した。
「ではこ」
「待ってってば!」
せっかく引き留めたのに、なおも彼女は僕の元から去って行こうとする。
待って、待って、行かないで。僕を一人にしないで。
「そんなこと…そんなこと言わないでよ!僕の言葉が気に障った?なら謝るから、だから!もう、会わないないなんて言わないでよ!」
彼女の顔は、ひらすらに困惑している。困らせているのは分かってる。彼女の為じゃなくて、僕自身の為にこんなことを言っているんだから。
彼女にしてみれば意味が分からないだろう。
彼女は戸惑いつつも、僕に一つの問いを投げかけた。
「ねえ、一つ聞いてもいい?」
「…何?」
「どうしてあなたは…そんなに私に執着しているの?私たちの過去に一体何があったの?」
「それは…」
これが僕のエゴだと分かっていても、僕の口からは言いたくない。彼女自身に思い出してほしい。
どうしたらいい。どうしたら彼女は僕を思い出してくれる?
彼女の問いに答えられないまま、時間だけが過ぎていく。
そんな時ふと、思い出した。
「……来週、夏祭りがこの神社であるんだ」
「…夏祭り、ですか?」
「うん。よかったら、一緒に回らない?」
もしかしたら。別れの切っ掛けになったあの夏祭りに行けば、彼女は僕を思い出してくれるんじゃないかって。そう思ったら口に出ていた。
彼女は迷っている様子だった。だけど、このままだと断られそうな気がする。
どうしてももう一度、君と行かなきゃ。あの夏祭りに。
「ねえ、駄目かな?」
答えを促すと、彼女は何かを決心したような顔をして、口を開いた。
「いいよ、行っても。ただし一つだけ聞いてもいいかな?」
「ありがとう!うん、いいよ」
「今回行くこの神社の夏祭りって、私たちにとって大切なものだったのかな?」
「…そうだね。君にとってどうだったのかは僕には分からない。でも、僕にとってはとても大切なものだったよ」
「……分かった。なら尚更行くよ。私も何か、思い出せるかもしれない」
彼女が、初めて僕のことを前向きに思い出そうとしてくれている。
嬉しくて、僕は縦に大きく首を振った。
この日から、彼女は僕のことを思い出そうと頑張ってくれた。
彼女は今の僕を、友人として認めてくれたのかもしれない。
嬉しい、嬉しい。この調子で僕を、好きになってくれないかな。好きになってくれなくても構わないけど、僕だけ彼女を好きなのは寂しいから。どうか好きになって、小夏ちゃん。
夏祭り前のある日、僕は彼女に夏祭りに浴衣を着てきてほしいとお願いした。きっと、前と同じような格好をして歩けば思い出しやすくなってくれるはず。
彼女は嫌がっていたが、頼み込んだ。彼女が浴衣を持っていないと言っていたので、僕が持ってくるからと頼み込んだ。彼女は渋々、頷いてくれた。彼女は優しいから、僕が縋るように頼み込めば、結局は僕の願いを叶えてくれるのだ。
彼女が切る浴衣を考えるのは、楽しかった。昔と同じ花で同じ色の浴衣を持っていこうと思ったが、それはやめた。彼女に、分かりづらいけど僕の気持ちを浴衣に込めることにしたのだ。
選んだ花は、勿忘草。どうか彼女が、花言葉に気付いてくれますように。そんな願いを込めて選んだ。
浴衣を友人に貸したいと言ったら祖母は喜んで貸してくれたが、祖父は何か言いたそうだった。僕が彼女に会っているのを、祖父は知っている。
でも、祖父は何も言わなかった。流石に11年経っても彼女を諦める気がない僕に、諦めるよう諭すのはやめたようだった。
夏祭り当日。鳥居の前で、彼女は僕の選んだ浴衣を着て待っていた。
ちょっと緊張したような面持ちで、そわそわしている。その姿が可愛くて、眩しくて、走って彼女のところに行きたかったけど、そんな彼女を見るのも楽しくて、思いの外ゆっくりと歩いて僕は彼女の元へ向かった。
「お待たせ」
「いえ。今日は宜しくお願いします」
「うん、よろしくね」
僕にとっても、彼女にとっても。今日はきっと運命の日になるだろう。
多分、何かが大きく変わる。そんな予感がしていた。
「…ねえ、この花なんていうの?ちょっと気になって」
「勿忘草っていう花だよ」
「そう。私この花、結構好き」
「そっか」
気に入ってくれたようでよかった。
どうか、僕の想いが伝わりますように。
こうして僕たちの夏祭りは、始まった。
言いたいことがことごとく空回りしちゃう、不憫系男子。




