夏の友人 伍
夏祭りは、昔と変わらず人が多かった。
彼女とはぐれるのが怖い。昔ように、僕の元から去って行ってしまいそうで。だから彼女の手を握った。僕から離れていってしまわないように。
でも彼女は手を握られるのは嫌だったようで、僕に敵認定を下してきた。慌てて握っていた手を離し、事なきを得た。彼女に嫌われたら、僕は生きていけないかもしれない。
はぐれたら困るとそれとなく手を繋ぎたいことを伝えてみても、「はぐれないように気を付けたらいいんですよ」とさらりと躱された。悲しかった。
だけど彼女が隣でため息をついていて、悲しいなどと思っている場合ではなくなった。そんなに僕と手を繋ぐことが嫌だったなんて。
「ご、ごめん!そんなに手を握ったのが嫌だったなんて思わなくて」
「別にそう言う訳じゃないです。人混みが苦手なのでちょっとうんざりしてただけ」
「なんだ、そっかー」
僕と手を繋ぐこと自体を物凄く嫌がってため息をついた訳ではないらしく、一安心した。
「ごめんね、人混みが苦手なのに夏祭りに誘ったりして」
「いいですよ、別に。…たまになら、そういうのも悪くないかなって、ちょっとだけ今は思えますから」
「そっか」
その言葉に、少しだけ自惚れてもいいのかな。
最近打ち解けてきてくれた君が、苦手なはずの場所に来てくれたのは、少しは僕の為だって、自惚れてもいいのかな。
嬉しくて笑うと、彼女は恥ずかしそうにそっぽを向いた。
一緒に神社内を歩いていると、彼女はどことなく不安そうな顔をしていた。迷子になって一人佇んでいた、あの時みたいに。
「大丈夫だよ」
そう言うと、彼女は少しほっとしたような顔をした。無意識下に、過去の思い出が影響しているのかもしれない。
ならやっぱり、僕は彼女を掴んでいなくちゃ。君が、消えてしまう。
「ねえ、浴衣の袖なら掴んでいてもいい?」
「…別にいいですよ」
「ありがとう!君は目を離したらどこかにふらっと消えちゃいそうだから。ほら、行こうよ。何食べる?」
「……わたあめ」
彼女は昔と同じで、一番最初にわたあめを食べたいと言った。変わらない彼女に、嬉しくなる。
屋台でわたあめを購入すると、カップルに間違えられるという嬉しいハプニングがあった。調子に乗って彼氏のフリをすると、彼女は必死に反論していた。そんなに反論しなくてもいいのに。
ぷりぷりと怒っている彼女をベンチに連れていき、宥めることにした。怒っている彼女も可愛いけれど、このままじゃ本気で怒っちゃうかもしれないからね。
「あはは、カップルに見られちゃったね」
「見られちゃったじゃないですよ!なんで否定してくれなかったんですか!」
「だっておまけくれるっていうし、話に乗った方が良かったかなって」
「ちゃっかりしてますね!…はぁ」
「そんなに僕が彼氏に見えたら嫌?」
「そういうことじゃないです。嘘つくのが嫌いなだけです」
じゃあ、本当にしようよ。そんなこと言ったら、君は本気で怒るかな。
彼女が財布を取り出そうとするので、慌てて止めた。
「お金はいいよ」
「え?あのおじさんに嘘ついてまでわたあめが欲しかった程金銭状況がまずいんじゃないんですか?」
「君の中では僕はそんなことになってたのか!?」
「ええ、とんでもない貧乏学生なのかと思いまして、お金を返そうかと…」
まさかそんな風に思われていたとは。
彼女の思考回路はちょっと変な所があるから、勘違いさせないように気を付けないと。
「違うから!そうじゃないから!」
「では何故?」
「…はぁー。僕は別にわたあめが欲しくて否定しなかった訳じゃないよ」
「じゃあ何故?」
「…君の彼氏だと思われたのが嬉しかったから、ちょっと調子に乗っただけ」
「は?」
彼女は心底意味が分からないという顔をしている。
彼女は自己肯定力が低い。自分が嫌いと言うのも、あまり好意を感じずに育ってきたからかもしれない。だから、僕の想いもなかなか伝わらないのかな。
「君ってさ、他人からの好意に疎いよね」
「…そうでしょうか」
彼女は、少し沈んだような顔をしている。考えていることから意識を逸らすように、わたあめを無心で食べている。
僕も彼女の意識を沈んでいる原因のそれから逸らす為に、話題を変えた。
「何か、思い出した?」
「…残念ながら何も」
「そっか。まあまだ夏祭りは始まったばかりだしね」
僕も、わたあめを食べた。わたあめみたいに甘い、彼女との思い出を思い出しながら。
途中でふと、彼女はどんな環境で育って、こんな風に変わったのだろうと思った。別に彼女が卑屈になっても、僕は全然構わない。どんな彼女になっていても、根本は変わっていないから。
でも彼女が卑屈な自分を嫌いだと言うから、気になった。
そんなことを考えていると、彼女がこちらを向いた。どうしたのだろうか?
「あのさ。昔も…私とあなたって、わたあめ食べたよね?神社の拝殿の裏の方で。二人で分け合って」
思い…出したの?
驚きのあまり持っていたわたあめを落としそうになると、その手をぎゅっと彼女が握ってくれた。僕はその手を、両手で包んだ。
「思い出したの!?」
「ちょっとだけ。あなたがわたあめ食べてるの見てたら思い出した」
「ほんと!嬉しいよ!確かに昔、一緒に拝殿の裏手に行ってわたあめ食べたよ」
「ねえ、私とあなたが昔一緒に夏祭りを回った時って、私は家族と来ていたの?」
彼女は確実に思い出してくれている。そして、思い出そうと色々僕に聞いてきてくれている。
僕はその時のことを詳しく彼女に話した。もっと、もっと思い出して。
彼女は僕の話を聞いて、何やら納得したような顔をしている。もしかして、別れ際のことも思い出した?
不安になりながらも、彼女の言葉を待つ。
「そっか。忘れていたのに納得」
「なんで?」
「だってあなたのことは私しか知らなかったんでしょ?家族の中で話題に出ないなら、幼い頃のことは覚えてないから。私あんまり小さい頃のことって覚えてないんだ。多分意図的に忘れたの」
そう言って、彼女は悲しそうな顔をしていた。
意図的に忘れたということは、過去に何かあったのだろうか。だったらこれ以上、彼女に辛い過去を僕は思い出させてもいいのだろうか。
今まで思い出して欲しくて僕の気持ちばかりを優先させていたが、彼女が辛い思いをするなら、思い出さなくてもいい。だから、そんな顔しないで。
そう思うのに、僕の心は彼女に思い出して欲しいと、叫んでいた。
だから、彼女に聞く。君の答えに、僕は従うよ。
「…思い出しても大丈夫?」
僕の問いに、彼女は俯きながら小さく呟いた。
「うん、大丈夫。あなたがそう、思わせてくれるから」
天にも昇る気持ちとは、こういうことを言うのだろう。
僕が、彼女が思い出してもいいと思える存在であることに感謝を。その時の僕の顔は、きっと真っ赤に染まっていただろう。
思わず呟いてしまったといった様子の彼女はハッとして顔を上げ、僕の様子に気付いて彼女が僕から顔を逸らした。聞かれてしまって、恥ずかしかったのかもしれない。可愛い。
「と、ともかく!この調子で過去の記憶になぞって色々試してみれば思い出せるかもしれない。私に思い出して欲しいんでしょ?誘ったのはそっちだし、付き合ってよね」
「もちろん!」
誤魔化すようにそう言う彼女に、僕は喜んで同意した。
嬉しくて更に手をぎゅっと握ると、握られていたことに気付いた彼女に手を振り払われてしまった。
こういう人のことを、ツンデレと呼ぶのだろうか。なんて可愛らしいのだろう。僕の口角は、しばらく上がりっぱなしだった。
彼女とその後も夏祭りを回った。過去の僕らをなぞるように。
人間はこういうのを聖地巡礼だと言うらしいので「聖地巡礼だね!」と言ってみたのだが、無視されてしまった。何か間違っていたのだろうか。
少しずつ思い出を共有する数が増えてきた。彼女は順調に思い出してくれている。やっぱり、夏祭りに誘って正解だった。
林檎飴を買い、疲れた様子の彼女をベンチに連れて行って座った。
飴を舐めている彼女は、どこかぼーっとしている。しばらく彼女を眺めてみたが、心ここにあらずといった様子でぼんやりとしている。瞬きがゆっくりとなり、目を閉じてしまった彼女が心配になり、声を掛けた。
「大丈夫?」
「…大丈夫です。ちょっと記憶を繋ぎ合わせてて」
まだどこかぼんやりとしていて、僕を見ているはずなのに彼女の目は焦点が合っていない。
色々思い出して、疲れてしまったのだろうか。
「結構沢山思い出したよね。僕は嬉しいけど…君は辛くない?」
「うん、平気」
「そう、良かった。無理だけはしないでね」
「ありがとう」
本当に大丈夫なんだろうか。無理はしていないだろうか。
そんなことを思っていると、彼女が申し訳なさそうな顔をして言った。
「色々思い出してきたけど、肝心なことはまだ思い出せないの。このベンチに休憩する為に来た所までは思い出したんだけど…」
「それでも十分思い出したよ。…そっか、ベンチに来た所まで思い出したんだね」
だいぶ記憶が戻ってきている。
嬉しいはずなのに、やっぱり怖くて。僕は夜空を見上げた。
彼女が、僕を受け入れてくれた場所。でも、長い別れが生まれた場所。あれだけ思い出して欲しかったはずなのに、急に僕は怖くなってきた。
全部思い出したら、彼女は僕を嫌いになるだろうか。今の彼女の年齢なら、僕が妖怪、つまり彼女とは違う存在であるということは理解できるはずだ。そしたら彼女は、僕を拒絶するだろうか?
「ねえ、昔一緒に夏祭りを見て回った時も、こんな風に二人で夜空を見上げていたのかな」
彼女が突然、独り言のようにそう呟いた。
少し答えるか逡巡した後、僕はその呟きに答えることにした。
「うん、このベンチに座って見ていたよ。懐かしいなぁ。あの日もこんな風に星が綺麗な夜空だった」
「凄く嬉しそうですね」
「嬉しいよ。やっと君と思い出を共有できるようになったから、一層嬉しい」
素直に、思っていることを伝えた。
彼女は戸惑っているが、どことなく嬉しそうに見えた。
もっと、僕の想いを知って。そして、僕を嫌いにならないで。
「僕ね、君と出逢ってからの夏が本当に楽しかったんだ。それはとても新鮮で、鮮やかで。僕は君が”夏”を連れてきてくれたんだなって思った」
「夏を、連れてきた?」
「そう。夏ってさ、生命力に溢れてて鮮やかで何もかもが生き生きとしてるでしょ?僕にとって、君は夏そのものなんだ」
「…よくそんな恥ずかしいこと言えますね」
「心の底から思ってるからね」
「そうですか」
真っ直ぐに僕の想いを伝えると、彼女は林檎飴みたいに顔を真っ赤にしていた。
僕が彼女を見ているのに気づくと、彼女は顔を凄い勢いで逸らした。恥ずかしかったらしい。あまりに可愛くて、思わず笑ってしまった。
「休憩も済んだことですし、続きをやりましょう!」
彼女は恥ずかしいとき、こうやって誤魔化す癖があるらしい。新たな彼女の一面を知れて嬉しい。
全然こっちを向いてくれないけど、これは仕方がないな。
「うん、続きしよっか」
僕たちは、思い出巡りを再開することにした。
僕は浮かれていて、彼女の様子が少し違っていたことに、この時気付かなかった。この時の自分を、殴ってやりたい。
そのせいで彼女とはぐれて、彼女が一人で体調を崩していることに気付けなかったのだから。




