夏の友人 弐
僕は小夏ちゃんと過ごす日常が、一等大切だった。
だからあの夏祭りから僕は、あの日々を取り戻す為に変わることを決意した。
人間世界の夏祭りの日、僕は人間の世界にまた遊びに来ていた。ちなみに祖父母も一緒である。
祖父母に聞いたら、昔からこの神社は夏になると、特定の時間だけ人間の世界と繋がることがあり、祖父母も遊びに行ったことがあったらしい。今日はお祭りだから、念の為一緒についてきてくれるようだ。
だけど祖父母は不思議な布を顔に被せている。聞くと、人間から視認されなくなる布らしい。僕も付けるかと聞かれたが、小夏ちゃんに僕が認識されなくなるのが嫌で、断った。
今日のお祭りには、小夏ちゃんが来る。僕が興味があって夏祭りに行くと言ったら、彼女も行きたいから両親に頼むと言っていたからだ。会えるかは分からないが、一目でも僕は彼女を見たかった。
夏祭りを楽しんでいると、ぽつんと一人佇む彼女を見つけた。家族とはぐれてしまったんだろうか。
「大丈夫?」
泣きそうな顔をしていた彼女が僕の方を振り向くと、駆け寄ってきてくれた。泣くのを必死に堪えているのが伝わってきて、彼女が泣かないように僕は彼女の頭を、祖父母がしてくれたように優しく撫でた。
少し落ち着いたのか、彼女がまだ少しだけ震える声で僕に話しかけた。
「よかげおにいちゃん、まいごになっちゃったの」
「そっか。じゃあ家族が見つかるまでお兄ちゃんと一緒にいる?」
「うん!」
彼女が迷子になってしまったのは可哀想だなと思ったけど、それよりも僕は彼女と一緒に夏祭りを楽しめるのが嬉しかった。
わたあめが食べたいと言った彼女にわたあめを買って一緒に食べた。沢山の屋台を回った。揃いの狐のお面も買った。
嬉しくて嬉しくて、僕はずっと彼女の手を離さなかった。食べにくいって少し怒られたけど、なんだか彼女の手を離したくなかったんだ。
お金は、僕らの世界の通貨と全く一緒だったので問題なかった。
祖父母に聞いてみると、僕ら妖怪の世界と彼女ら人間の世界は、表裏一体のような関係で、鏡のようになっているらしい。僕が僅かな違和感を覚えたのは、ほんの微かな違いからだろうと言われた。
彼女が歩き回って疲れたようだったので、いつものベンチに座った。彼女をベンチに座らせて、彼女の隣に僕も座った。二人で空を見上げると、夜空に星が輝いていた。
以前の僕だったら、そんな風に感じることはなかっただろう。それでも今、こうして星が輝いているのを美しいと思えるのは、隣に彼女がいるから。
彼女がいると、僕の世界は色鮮やかだ。
「わぁきれい…」
空の星よりも美しく輝く彼女の瞳には、夜空の星々が輝き、とても美しかった。
僕は夜空なんかより彼女の方が綺麗だと思ったが、彼女に同意して笑って答えた。
「うん、綺麗な空だね」
「よかげおにいちゃんもそうおもうんだ!いっしょだね!」
「うん、一緒だね」
本心では君の方が綺麗だよ、なんて思っているけれど、くさい台詞みたいで言うのはやめた。
「よかげおにいちゃんのかみのけとめは、このおそらみたいだね」
「…え?」
僕にとって忌々しい、避けられる原因のこの髪色と目の色。
君の目には、そんな風に映っていてくれるの?
「とってもきれい!こなつおにいちゃんのかみとめ、とってもすき!」
「小夏ちゃん…」
思わず僕は、彼女を抱きしめた。彼女が少し戸惑っているのを感じるが、僕は嬉しいという自分の気持ちを伝える方法を、これしか知らないからぎゅっと彼女を抱きしめ続けた。
嬉しいだけじゃない、違う気持ちもある。寧ろ今は、その気持ちを伝えたかった。
愛しい愛しい、この気持ち。
「よかげおにいちゃんどうしたの?」
「…僕、小夏ちゃんが好きだ」
「わたしもおにいちゃんすきだよー?」
「ありがとう、小夏ちゃん…」
きっと、彼女の好きと、僕の好きの意味は違う。
でも今は、それでも嬉しい。
僕は、彼女に恋をしたんだ。
ちっちゃくて、可愛くて、僕を受け入れてくれるちょっと意地っ張りな、だけど素直な女の子。
君が好きだ、小夏ちゃん。
だけど。
僕と彼女は、同じじゃない。
僕は妖怪で、彼女は人間で。一緒じゃない。僕は彼女とずっと一緒にいたい。だけど、本当に一緒にいれるのだろうか。
途端に不安になって、彼女を離すのが怖くなって、彼女を更に抱きしめた。
すると、彼女が初めて抱きしめ返してくれた。僕の不安を溶かすように。優しく、小さな彼女にできうる力で包んでくれた。
「おにいちゃん、なにかこわいの?」
「……小夏ちゃんは、僕が普通じゃないって分かっても、僕のこと嫌いにならない?」
「ふつうじゃない?」
「うん」
彼女は、僕が普通の、彼女と同じ人間じゃないと分かったら、僕を拒絶するだろうか。
僕を、嫌いになってしまうだろうか。
だけど彼女は。
「よくよかんないけど、おにいちゃんがふつうじゃなくても、よかげおにいちゃんはよかげおにいちゃんじゃないの?こなつはおにいちゃんがすきだよ」
「小夏ちゃん…」
僕の不安なんて知らずに、無邪気にそう言った。きっと何もわからないし、分かってない。
でも小さいなりに、僕を安心させようとしてくれている。とってもとっても、優しい子。
「小夏ちゃん…僕のこと、聞いてくれる?」
「おにいちゃんのこと?いいよ!」
これは、賭けだ。
それでも、彼女なら受け入れてくれるんじゃないかと。そう思ってしまうから。
抱きしめる腕を放し、彼女の方に手を乗せ、彼女の目を見つめて僕は、彼女に打ち明けた。
「僕ね、人間じゃないんだ…僕は…妖怪、なんだ」
「よーかい?」
「そう。小夏ちゃんは人間、僕は妖怪。違う世界を生きているんだ。それがたまたまここの神社で、夕方だけ会える。何故だかは僕にも分からない。だけど、互いに違う世界に生きているのに、会えるんだ」
「んーむつかしくてこなつよくわかんない!」
「そうだよね…まだ今の小夏ちゃんには難しいか」
彼女はまだ小さいし、人間の5歳と妖怪の5歳は違う。
妖怪は早いうちから結構な理解力がある。具体的に言えば妖怪の5歳は、人間の10歳程度の知力を持つ。
僕は書物を読むのが好きだし、知らないことを知るのが好きだから他の妖怪より理解力がある方だと思う。だから、彼女には僕の言っていることなんてよく分からないだろう。
そもそも人間側は、あまり妖怪側のことなんて知らなくて、伝説とか架空の生き物だと思っているだろうし。
それでも、彼女に受け入れて欲しい。僕のことを知ってほしい。
そんな一心で、嫌われるかもしれないという覚悟で彼女に打ち明けた。
不安そうな顔を僕がしていたのか、夜空を映していた瞳に僕を映し、彼女は言った。
「でもね」
小さい彼女の、真剣な顔。
「おにいちゃんがよーかい?でも、こなつはおにいちゃんがだいすきだよ!」
この時の僕の気持ちを、なんて表せばいいだろうか。
僕は無我夢中で彼女を抱きしめた。きっと彼女は分からないことだらけで、僕が打ち明けた秘密なんて、まだ理解していない。
それでも、小さな頭で必死に考えて、僕に真剣に向き合って答えてくれた。そして僕を、好きだって。
ああ、彼女は知らないだろう。今僕が彼女を誰にも渡したくないくらい、彼女を僕の世界に連れて帰りたいくらい、好きなこと。君に触れるのが、嬉しいこと。
僕の世界をこんなにも、鮮やかにしていることに。
いつまでも抱きしめていると少し動きづらいらしく、もぞもぞとし始めたので仕方なく彼女を包む腕を解いた。
「小夏ちゃんは…名前の通り、夏そのものだね」
「ん???」
「なんでもない。大好き小夏ちゃん」
僕が幸福感に包まれていると、彼女は何かがひと段落したのだと気付いたようで、
「んーのどかわいた」
と実に子供らしいことを言った。
確かに食べ物ばかり食べていて、喉が渇いたのだろう。
「じゃあラムネを買ってきてあげる。ここで待っているんだよ?」
「うん!」
更に喉が渇くような飲み物だが、目を輝かせてラムネを飲んでいた彼女を思い出し、僕はラムネを買いに行くことにした。彼女の笑う顔が、見たかった。
このせいで、彼女に長い間会えなくなるなんて思いもせずに。
「お待たせ…ってどうしたの、体育座りなんかして」
ラムネを買って戻ってくると、彼女はベンチで何故か体育座りをしていた。
「かんけいないでしょ!」
何故か、彼女が本気で怒っている。僕は何かしてしまったのだろうか。それとも、僕のいない間に何かあったのだろうか。
僕はどうしたらいいか分からなくて、とりあえずラムネを彼女に渡して頭を撫でてみた。それでも彼女の機嫌は直らず、僕はひたすら困惑するばかりだった。
そんな時、彼女の名前を呼ぶ大人の声が聞こえた。彼女が声の方を向く。少し、嬉しそうだ。
どうしたらいいか分からない僕は、彼女の両親であろう彼らの所へ彼女を返してあげるのが最善だと思った。
「両親が心配しているよ。君をかなり連れまわしちゃったからね、ごめんね。さあ、早くお行き」
「いわれなくても、かえる!」
なのに、彼女は益々機嫌を悪くするばかりで。こんな彼女は初めてで、僕は初めて今まで友人がいなかったことを後悔した。きっと友人がいたら、こういう時、どうしたらいいか分かったと思うのに。
「また明日」
「……」
いつもみたいに「またあした」って、返してくれなかった。
悲しくて悲しくて。でもきっと明日も会える。
「ばいばい」
そう思って言った別れの言葉は、その後随分と長い間の、別れの言葉となってしまった。




