2 祝賀会
社交シーズンが幕を閉じ、王宮には久方ぶりの静けさが戻っていた。
夜会や晩餐会に追われる日々は終わり、慌ただしかった王宮もようやく落ち着きを取り戻している。
――ただ一部屋を除いて。
王宮の一角にある執務室では、朝一番から文官や秘書官が忙しなく出入りを繰り返していた。
その中心で、ルシアンは今日も圧倒的な速さで書類へ目を通す。
署名をし、指示を書き添え、読み終えた書類を秘書官へ渡す。
その手は、一瞬たりとも止まらない。
社交シーズンが終われば、王太子による仕事量の調整も終わるものだと思っていた。
しかし、秘書官たちは今日も変わらず、仕事を抱え込ませまいと書類を管理している。
ならば、与えられた仕事を一つでも早く終わらせるしかない。
辺境伯領へ帰ってしまうエルナと過ごせる時間を、少しでも増やすために。
その時だった。
ノックもなく、執務室の扉が開く。
「――今日、帰るんだったか?」
顔を上げると、レオンハルトとジークが並んで立っていた。
「ええ。最後くらい、あなたから足を運んでくださってもよかったのではありませんか?」
ジークが苦笑すると、レオンハルトが肩を竦める。
「そんなに器用だったら、あんなことにはならなかっただろう?」
その一言だけで十分だった。
エリーゼとシャルロットが、一部始終を話したのだろう。
ルシアンは諦めたように小さく息をつき、手にしていたペンを置いた。
「要件はなんだ?」
二人が訪ねてきた理由など、聞くまでもない。
それでもルシアンは、何事もないように問いかけた。
「皆まで言わせるな。分かっているだろう?」
「ようやく、ですね」
含みを持たせながらも、どこか安堵したような幼馴染たちの声に、ルシアンは短くため息をつく。
「……今度こそ、ちゃんと伝えた」
その返事だけで十分だった。
あの夜、エルナから返してもらった数え切れないほどの想いは、自分だけの宝物だ。
自然と頬が緩むルシアンを見て、レオンハルトとジークも顔を見合わせて笑った。
「幸せになれよ」
「いつでも相談に乗りますからね」
「……感謝する」
素直に礼を口にしたルシアンへ、レオンハルトはしみじみと笑う。
「おまえ、エルナ嬢に感謝しろよ。彼女じゃなかったら、白い結婚まっしぐらだったぞ」
「私たちと、シャールたちにも、感謝していただきたいものですね」
レオンハルトとジークは、互いに笑って頷き合う。
ルシアンとエルナ、その双方へ働きかけていなければ、二人はきっとすれ違ったままだっただろう。
もともと仲の良い婚約者だった。
だからこそ、あと一歩があまりにも遠く、本当にもどかしかった。
「式には必ず呼べよ」
「エルナ嬢へ、ブーケはシャールに投げるようお願いしておいてください」
「おい。気が早いぞ」
笑うレオンハルトへ、ジークは肩をすくめた。
「願掛けですよ」
「まだ先だぞ?」
公爵家の婚礼ともなれば、一年がかりの大事業だ。
エルナの花嫁衣装やヴェールを仕立てるだけでも、気の遠くなるほどの時間を要する。
その日が訪れるのは、まだ少し先の話だった。
「シャールへ挨拶がありますので、私はこれで失礼いたします」
西の大山脈を守護するアイゼンベルク家の嫡男であるジークは、王都と領地を気軽に行き来できる立場ではない。
だからこそ、こうして会える時間は何よりも大切だった。
「シャールにも、早くこちらへ来てほしいものです……」
ぽつりと漏れた本音に、レオンハルトは苦笑する。
「昨日も、リゼや私とすぐ会えなくなるのは嫌だって、全力で逃げていたな」
「シャルロット殿下だって、そのうち決心されるさ」
ルシアンの穏やかな言葉に、ジークはふっと笑う。
「まさか、あなたが私より先に式の日取りを決めるとは思いませんでした」
「ブーケのことは、伝えておこう」
「頼みましたよ」
そう軽口を交わすと、ジークはルシアンへ背を向けた。
「またな」
「ええ」
レオンハルトとジークが執務室を去る。
静けさの戻った部屋で、ルシアンは再び机へ向き直り、積み上げられた書類へ手を伸ばした。
仕事は、まだ終わらない。
だが、その先には帰りを待つエルナがいる。
そう思うだけで、自然と口元が緩んだ。




