王都編2-19 確認
ルシアンが帰邸したと聞いたエルナは、さっそく執務室へ向かった。
夕食後、談話室で尋ねることも考えたが、一瞬で終わる話だ。ならば、早いほうがいい。
「失礼します」
「どうした?」
文官へ書類を渡していたルシアンが顔を上げ、エルナへ座るよう促す。
けれどエルナは首を横に振り、執務机の前で立ち止まった。
「一つ、お尋ねしたいことがあります」
「聞こう」
真剣な眼差しに、ルシアンも自然と表情を引き締める。
「ルシアン様は……」
言葉を探すように小さく息をつき、エルナは意を決した。
「私との婚約を、どう思っていらっしゃいますか?」
「…………」
一瞬で、執務室が静まり返った。
本気で首を傾げたルシアンの視界に、硬直している文官たちの姿が映る。
「……少し席を外してくれ」
その一言で、侍従や文官たちは慌ただしく退室した。
ソフィーだけを残した執務室で、ルシアンは改めてエルナを見つめる。
「どういうことだ?」
「先ほどと同じです。私との婚約を、どう思っていらっしゃいますか?」
意味が分からない。
今日のエルナは、どうしてしまったのだろう。
「私たちの婚約は祖父同士の約束によるものだ。私の婚約者はエルナだろう?」
たとえ祖父同士の約束がなかったとしても、自分の婚約者はエルナ以外に考えられない。
(……そういえば、今日はエリーゼ殿下のお茶会だったな)
また何か吹き込まれたのだろうか。
「殿下のお茶会で、何かあったのか?」
「確認する必要があると思っただけですわ」
「そうか……」
なぜ、確認する必要があったのだろう。
胸の奥に、じわりと不安が広がる。
こんな気持ちになるのは、いつぶりだろうか。
「何か……私に不十分なところがあっただろうか?」
「いいえ」
「良くない噂でも聞いたのか?」
「ありませんわ」
エルナはきっぱりと首を振る。
彼女のことは誰よりも知っているはずなのに、今日は何を考えているのか分からない。
探るように、ルシアンは問いかけた。
「エルナはどう思っているんだ?」
「私も、この婚約に異存はございません」
間髪入れず返ってきた答えに、ルシアンは小さく安堵の息をついた。
互いに相手の言葉だけで頭がいっぱいで、控えているソフィーが何とも言えない表情を浮かべていることには、二人とも気付かない。
「お話は以上です。お仕事中に失礼いたしました」
「また、いつでも来るといい」
エルナが一礼すると、ルシアンもいつものように頷く。
二人とも、どこか安堵したような表情を浮かべていた。
ただ一人、その様子を見守っていたソフィーだけが、小さく息をつく。
(……お二人とも、まったく噛み合っておりません)
◇ ◇ ◇
執務室を出たエルナは、まっすぐ自室へ戻った。
「少し休みます」
そう告げて寝室へ入り、一人になると、そのままソファへ腰を下ろして背中を預ける。
ふかふかとした背もたれが、身体だけでなく、胸の内に渦巻いていた気持ちまで吸い取ってくれるようだった。
「想いが通じれば、少し落ち着きます」
オリヴィアの言葉が脳裏をよぎる。
想いが通じたわけではない。
それでも確かに、少しだけ心は落ち着いていた。
(やっぱり、私はルシアン様にとって婚約者なのですね)
自分の質問に、なぜそんなことを尋ねるのかと、不思議そうにしていた。
幼い頃からずっと、自分はルシアンの婚約者だった。
それ以上でも、それ以下でもない。
けれど――。
(少しだけ、違う答えを期待していたのですね)
自分でも気づかないうちに、期待してしまっていたらしい。
(私が、浮かれていただけなのです)
ルシアンに不十分なところなど、あるはずがない。
良くない噂の一つも聞いたことはない。婚約者として大切にしてくれている。
それで十分、満足するべきなのだ。
今までと、何一つ変わりはしない。
エルナはゆっくりと深呼吸をすると、ソファから立ち上がった。
(今は、夜会の準備に集中しましょう)
そう自分に言い聞かせ、エルナは再び歩き出した。
◇ ◇ ◇
その後のエルナは、ルシアンのことで一喜一憂していたのが嘘のように、穏やかな毎日を過ごしていた。
夜会の準備のために使用人たちと打ち合わせを重ね、毎日のように他家の茶会へ足を運ぶ。
夜会へ行けば、令嬢や夫人たちと歓談し、令息からダンスに誘われれば快く応じた。
次期公爵夫人として、やるべきことはいくらでもある。
けれど――。
ルシアンが女性たちと歓談し、ダンスを踊る姿だけは、どうしても気になってしまう。
(社交ですもの……)
自分だって、同じことをしている。
夜会が終われば、また一緒に帰れる。
分かっているはずなのに、そんな姿を見るたび、胸の奥に小さな隙間ができたような気がした。
そうして日々を過ごすうちに、いよいよヴァレリオン公爵家の夜会の日を迎えた。




