王都編2-16 答え合わせ
公爵邸へ戻ったエルナは、公爵夫人との反省会を終えると、早々に夜着へ着替え、寝支度を整えた。
「おやすみなさいませ、お嬢様」
「おやすみなさい、ソフィー」
ソフィーが部屋を後にすると、広い寝室にはエルナ一人だけが残る。
身体はくたくただというのに、頭の中は今日のアイゼンベルク公爵家の夜会でいっぱいだった。
ベッドへ横になっても、眠気はなかなか訪れない。
(私も、次のヴァレリオン公爵家の夜会では、シャルロット様のように立ち回れるでしょうか)
社交シーズンもすっかり後半へ差しかかり、間もなくヴァレリオン公爵家の今季最後の夜会が開かれる。
(奥様から準備の一部も任せていただいておりますが……まだ、私にできることがあるのではないでしょうか)
アイゼンベルク公爵家の夜会は、武の名門らしい重厚さの中にも、柔らかな華やかさが添えられていた。
一方、ヴァレリオン公爵家の夜会は、貴族としてあるべき姿を極めたような洗練された空気がある。
あの場へ足を踏み入れるたび、自然と背筋が伸びた。
(……皆様、本当はとてもお優しいのです)
公爵家は厳しい。
そう言われることは少なくない。
けれど、アイゼンベルク家と並ぶ王国の重鎮として、公爵夫妻もルシアンも、常に他家の模範であろうと己を律し、その場にとって最善の振る舞いを選び続けているだけなのだ。
(私も、もっとルシアン様に相応しい婚約者に……)
何でも一人でこなし、公爵領を背負う次期公爵。
そんなルシアンを支えたいなど、おこがましい願いなのかもしれない。
(今日も、お世話されてしまいましたが、私だって……)
本当は、気遣われるよりも気遣いたい。
何でも一人で抱え込んでしまうルシアンに、少しでいいから頼ってほしい。
「手を貸してくれないか」
あの一言が、とても嬉しかった。
北部育ちの自分の知識や経験が必要だと言ってくれた。
凍った橋を共に歩き、雪道を確かめ、吹雪による足止めも一緒に予測した。
社交以外でも役に立てるのだと、嬉しかった。
倒壊しかけた納屋で、唯一安全そうな入り口を見つけた。
あの時は、あれが最善だったと今でも思っている。
(いけません)
エルナは小さく首を振った。
(今日はシャルロット様を見習おうと考えていただけでしたのに)
それなのに、どうしても、ルシアンのことばかり考えてしまう。
考えないようにしていたのに、脳裏へ浮かぶのは、あの日の光景だった。
倒壊した納屋。動けなくなったルシアン。赤く染まった左腕。
思い出しただけで、胸の奥へ鉛玉が沈むように苦しくなる。
(お父様には見抜かれていたのです。きっと、お辛かったはずです)
弱音を吐けない人だということは知っている。だからこそ、少しでいいから頼ってほしかった。
冬の視察では頼ってくれた。それなのに、怪我をしてからは書類でも、荷物でも、視察の準備でも、何一つ頼ってはくれなかった。
(「手伝ってほしい」と、一言仰ってくださればよかったのに……)
あの日も、同じことを考えていた。
婚約者なのに。家族なのに。
「家族と夫婦は、少し違うのですよ」
ふと、公爵夫人の言葉が頭をよぎった。
(違うとは、どういうことでしょう……?)
夫婦も家族だ。結婚すれば、その家の一員となる。
だから、お父様とお母様も、公爵様と奥様も、大切な家族であることに変わりはない。
(ルシアン様は、家族ではないのですか?)
生まれた時から、祖父同士の約束で婚約者だった。
初めて出会った幼い頃は、名前をうまく呼ぶことができず、「お兄様」と呼ぶようになった。
それからは、本当の兄のように慕い、家族同然に育ってきた。
それが違うというのなら、一体何が違うのだろう。
(お父様とお母様……)
豪快に笑う辺境伯と、その隣で穏やかに微笑む辺境伯夫人。
(公爵様と奥様……)
互いを信頼し、自然に支え合う公爵夫妻。
(お兄様とお義姉様……)
視察から帰れば笑顔で迎え合い、何気ない時間を幸せそうに過ごす夫婦。
皆、大好きな家族だ。
(何が、違うのでしょう……)
答えを探すように目を閉じる。けれど、思い浮かんだのは家族の姿ではなかった。
ルシアンと過ごしてきた日々だった。
ルシアンの左腕へ触れようとした令嬢の姿が、脳裏に浮かぶ。
(まだ、お怪我が治っておりませんでしたもの)
令息や当主だけではない。令嬢や夫人たちにも囲まれ、次々と声を掛けられるルシアン。
その様子が、なぜだか気になってしまった。
(ルシアン様は人気者なのですから。仕方がありませんわ)
令嬢が左腕へ触れようとした瞬間、さりげなく身を引いたルシアン。
その光景を見た時、不思議と胸を撫で下ろした。
「……今、安心しました?」
クレアの声が静かに響く。
(どうして、あれだけのことで安心してしまったのでしょう……)
夜会では、視線を向ければすぐそこにいる。
それなのに、一言二言交わす時間さえない。
(本当は、もっと……)
言葉は続かなかった。
次に思い浮かんだのは、白鳥湖だった。
木漏れ日の下で眠るルシアン。静かな寝息を聞きながら、ずっとこの時間が続けばいいと願ってしまった自分。
(私は……)
胸の鼓動が、どくん、と大きく鳴る。
もう考えなくてもいいと思う自分と、まだ答えを知りたいと思う自分。
相反する二つの気持ちが胸の中で揺れていた。
「君を失うくらいなら、公爵の地位などいらない」
冬薔薇の誓いの場面が、ふいに蘇る。陰謀の果て、雪の中で抱き合う婚約者たち。
「私……ずっと、お兄様のような人だと思っていました」
春告鳥の一節。湖畔で再会を果たしたエドガーとリリア。
彼はリリアにとって、兄でも、家族でもなかった。
(私、ずっと……婚約者とは、家族だと思っておりましたのに)
では、あの日。
納屋が倒壊し、ルシアンが雪の中へ飲み込まれた瞬間。
自分は、何を願ったのだろう。
(そういうことだったのですね……)
ずっと前から、答えはそこにあったのに。どうして、気づかなかったのだろう。
今までだって、気づく機会は何度もあったはずなのに。
(私としたことが……)
出会った時から、当たり前のように抱いてきたその感情。
幼い頃から尊敬し、憧れ、隣に立ちたいと願ってきた想い。
それは、あの納屋倒壊事件で生まれたものではない。
あの時の喪失の恐怖が、ずっと胸の奥へしまい込んでいた気持ちを、ごまかせなくしただけだった。
怖くて、考えることをやめてしまっていたのだ。
(お祖父様に、叱られてしまいますね)
家族へ向ける気持ちと、ルシアンへ向ける気持ちは、似ている。けれど、同じではなかった。
傷ついて、一人で耐える姿は見たくない。隣にいるだけで嬉しくなる。離れたくない。これからも、ずっと隣にいたい。
婚約者だからではない。家族だからではない。
ずっと尊敬し、慕っていたのは――
(ルシアン様が好きだから、なのですね……)
エルナは、そっと口元へ手を添えた。
静まり返った部屋に、自分の鼓動だけが響いている。
明日から、どうすればよいのだろう。
もう、今までのようにはいられない。




