王都編2-15 アイゼンベルク公爵家夜会
アイゼンベルク公爵家の夜会は、武の名門にふさわしい品格と熱気に満ちていた。
赤と黒を基調とした大広間には、歴代当主ゆかりの剣や斧が飾られ、壁際には磨き上げられた甲冑が等間隔に並んでいる。
武の公爵家らしい重厚な空気の中、テーブルには赤や白の花が彩りを添え、所々には可愛らしいリボンが結ばれていた。
(シャルロット様ですわね)
きっと婚約者として夜会の準備を手伝われたのだろう。
武の力強さに、柔らかな華やかさが添えられている。
ルシアンに手を引かれながら大広間を見渡していると、ジークとシャルロットが二人を迎えにやって来た。
今朝も王宮で顔を合わせていたルシアンとジークの挨拶は、ごく簡潔なものだった。
「エルナ嬢も、お久しぶりです」
「本日はお招きいただき、ありがとうございます。先日は、ノルドガルド辺境伯家の夜会へお越しくださり、ありがとうございました」
丁寧に礼を述べるエルナの横で、シャルロットがぱっと笑顔になる。
「お二人とも、今日はたくさん楽しんでくださいましね!」
夜会の装飾を思い出したように、胸の前で両手を合わせた。
「今回はリボンをたくさん飾っていただいたんですの! 甲冑にも結びたかったのですが、公爵夫人に止められてしまいましたわ!」
「殿下らしい、とても素敵な飾り付けですわ」
エルナが微笑むと、シャルロットも嬉しそうに笑みを深める。
その時、新たな客人が入口へ姿を見せた。
シャルロットはすぐに気づき、小さく「あっ」と声を上げる。
「また後ほど、お話ししましょう!」
「はい」
手を振りながら、ジークと共に客人のもとへ向かっていく。
さすがは公爵家の夜会だ。
次々と訪れる客人へ挨拶をする二人は、休む暇もない。
「今日はエリーゼ殿下もいらっしゃる。疲れたら無理はするな」
「お気遣いありがとうございます」
エルナは柔らかく微笑んだ。
「ですが、私がお休みしている間に、今度はルシアン様や皆様へお客様が集中してしまいますもの」
アーヴェル伯爵家の夜会以来、エルナへ声を掛ける令嬢や夫人も確実に増えていた。
「それに、お待たせしてしまっては申し訳ありません」
「……そうか」
ルシアンはいつものように短く頷く。
その返事に微笑み返すと、エルナは改めて大広間へ視線を向けた。
(シャルロット様からも、たくさん学ばなくては)
アイゼンベルク公爵邸の大広間は、侯爵家や伯爵家の夜会とは比べものにならないほど広かった。
しかし、それを埋め尽くすほどの招待客で賑わっている。
主催であるジークとシャルロットは次々と訪れる客人を迎え、レオンハルトやエリーゼ、オリヴィアの周囲にも絶えず人の輪ができていた。
ルシアンも例外ではない。
今日も令息や当主たちに囲まれ、途切れることなく歓談を続けている。
一方のエルナも、令嬢や夫人たちと話をしながら、ときおりシャルロットへ視線を向けていた。
主催として客人を迎える立ち居振る舞いは、ヴァレリオン公爵家の夜会を控えた今、学ぶことばかりだ。
壁際では、相変わらずクレアが手帳へ何やら書き込んでいる。
夜会も中盤に差しかかった頃。
歓談を終えたルシアンが、まっすぐエルナのもとへ歩いてきた。
「少し休もう」
「なぜです? 私は平気ですわ」
不思議そうに首を傾げるエルナへ、ルシアンは静かに告げる。
「顔色が少し違う」
「まだ夜会も中盤ですもの。疲れるには早いですわ」
そう言って微笑むエルナだったが、ルシアンは首を横へ振った。
このまま一人にしておけば、また誰かに話しかけられ、休む間もなく歓談を続けてしまうだろう。
「少しだけだ」
そう言うと、ルシアンは自然にエルナを軽食コーナーへ促した。
途中、二人へ声を掛けようとした令息や令嬢がいたが、軽く視線を向けるだけで歩みを止めない。
果実水のグラスを手に取ると、そのままエルナへ差し出した。
「好きだろ」
「ありがとうございます」
嬉しそうに受け取る姿を見届けると、今度は皿へ軽食を取り分けていく。
肉料理が並ぶ中から食べやすいサンドイッチを選び、野菜や果物のゼリーを添える。
手際よく盛り付けると、そのままエルナへ渡した。
「ルシアン様は召し上がらないのですか?」
「私はこれで十分だ」
ルシアンはワイングラスを軽く掲げる。
「まだ先は長い。食べられる時に食べておけ」
「……はい」
そう言われてしまえば頷くしかない。
エルナが素直にサンドイッチへ手を伸ばすと、ルシアンはようやく小さく頷いた。
けれど、エルナが軽食を食べ終えるのを見計らったように、再び令嬢たちが集まってきた。
「エルナ様、この後のお茶会ですが──」
「先日のお話の続きを──」
ルシアンは静かにエルナの前へ立った。
「こちらへ」
そう言って自然にエルナの手を取る。
「ここは人が多い。あちらの方が話しやすいだろう」
令嬢たちも異論はなく、そのままルシアンの後について歩き出した。
案内されたのは、大広間でもひときわ風通しの良いバルコニー近く。
人の流れもほどよく落ち着き、先ほどまでより幾分過ごしやすい。
「こちらなら涼しくて気持ちがいいですわ」
エルナが微笑むと、ルシアンは「ああ」とだけ返し、近くにいた令息との歓談へ自然と加わっていった。
その間も、エルナは令嬢たちとの会話を楽しむ。
「ご覧になりまして?」
「ええ、もちろんです」
少し離れた場所で、その一部始終を見ていたオリヴィアとクレアは静かに視線を交わした。
やがて歓談がひと段落すると、二人はエルナのもとへ歩み寄る。
「エルナ様、少し風に当たりません?」
オリヴィアがバルコニーの外へ視線を向ける。
「ちょうどお話ししたいこともありますし」
「私もご一緒してよろしいでしょうか」
クレアも静かに続けた。
「もちろんですわ」
三人は並んで、大広間から一歩外へ出る。
初夏の涼やかな風が、夜会の熱気を優しくさらっていった。
「ルシアン公子様は、あなたのことばかり見ておられるのね」
最初に口を開いたのはオリヴィアだった。
「飲み物も、お料理も、人の少ない場所への移動も。とてもお優しいこと」
「ええ。ルシアン様は、とてもお優しい方ですわ」
エルナは素直に頷く。
軽食コーナーへ連れて行ってくれた後も、ルシアンはすぐ近くにいた令息へ自ら声を掛けていた。
自分だけではない。次期公爵として、誰に対しても気を配っているのだ。
「他の令嬢には、なさっておりません」
間髪入れずにクレアが返す。
「……皆様も、ルシアン様とお話ししたいからではないのですか?」
「…………」
不思議そうに首を傾げるエルナを見て、オリヴィアとクレアは顔を見合わせた。
いったいどれほどの令嬢が、一度でいいからルシアンに気遣われたいと願っていることか。
目の前の少女だけが、それをまるで特別だと思っていない。
クレアは小さく息をつき、静かに尋ねた。
「逆にお伺いします。エルナ様は、ルシアン様に世話を焼かれたいと思われたことはございますか?」
「ありませんわ」
エルナは迷うことなく答えた。
「淑女教育を受けて、『もう子どもではありません』と申し上げても、ルシアン様は昔からああなのです」
懐かしそうに目を細める。
「とても、お優しい方なのです」
「ちなみに、その『昔から』とは、いつ頃のお話ですの?」
オリヴィアが尋ねる。
「本当に昔からですわ。幼い頃からずっと」
物心ついた頃には、ルシアンはいつも気に掛けてくれていた。
困っていれば手を差し伸べ、転びそうになれば支え、景色が見えるよう馬車では膝へ乗せてくれた。
そんな日々が当たり前だった。
「『お兄様』と呼んでいらしたものね」
「ええ」
エルナは少し照れくさそうに笑う。
「皆様のおかげでやめましたけれど」
その笑顔を見つめながら、オリヴィアとクレアは再び視線を交わした。
オリヴィアとクレアと共に風へ当たり、すっかり気分も晴れたエルナは、大広間へ戻ると再び歓談やダンスに励んだ。
「庭園のお花が見頃だそうですよ」
「ぜひ一曲、お相手いただけないでしょうか」
「最近、新しい菓子店ができたそうですの」
次々と声を掛けられ、一人ひとりと丁寧に言葉を交わしていると、ふと視界の端に足取りのおぼつかない令嬢の姿が映った。
人の多さに酔ってしまったのだろうか。
(どうやって、お話を切り上げましょうか……)
そう考えた、その時だった。
シャルロットが、すでに令嬢のもとへ駆け寄っていた。
何事もなかったかのように自然に腕を支え、侍女へ飲み物を持ってくるよう指示を出す。
そのままバルコニー近くの椅子まで付き添い、令嬢をゆっくりと座らせた。
(シャルロット様……)
エルナは小さく目を見開く。
(私よりも早く、お気づきになっていらしたのですわ)
きっと歓談の途中だったはずだ。
それでも迷うことなく会話を切り上げ、真っ先に令嬢のもとへ向かった。
話の内容に夢中になるだけでは足りない。
周囲へ目を配り、助けを必要としている人へすぐに気づくことも、主催する側の大切な役目なのだ。
先ほどルシアンに気遣われたばかりのエルナは、胸の内で静かに頷いた。
その後もシャルロットは、足元がおぼつかない年配の夫人へ椅子を勧めたり、何かを耳打ちすると、ジークが困り顔の令嬢へしつこく話しかける令息のもとへさりげなく向かい、自然な流れで会話へ加わっていた。
令嬢はほっとしたように笑みを浮かべる。
(シャルロット様、さすがですわ)
エルナは心から感心した。
一方のジークも、武の名門の跡取りでありながら、客人へ向ける笑顔や立ち居振る舞いはどこまでも穏やかで品がある。
(ジーク様は、お父様やお兄様とはまるで違いますのね)
これが、公爵家の品格というものなのだろうか。
父や兄が同じように優雅に微笑む姿を想像したエルナだったが、あまりに似合わず、思わず笑いそうになってしまう。
慌てて表情を整えると、再び歓談へ意識を戻した。
夜会も終盤。
相変わらずルシアンは令息や当主たちに囲まれながら、落ち着いた様子で言葉を交わしている。
(もうひと頑張りですわ)
エルナも小さく気持ちを切り替え、笑顔で次の令嬢へ向き直った。
◇ ◇ ◇
アイゼンベルク公爵家の夜会は、シャルロットの活躍もあってだろう、大きな混乱もなく盛況のうちに幕を閉じた。
エルナが馬車へ乗り込むと、ほどなくしてルシアンも隣へ腰を下ろす。
ゆっくりと馬車が動き始めると、エルナは今日の夜会を思い返しながら口を開いた。
「シャルロット様、お見事でしたわ」
「ああ。殿下も王女だ。人の上に立つ者としての務めを、よくご理解されている」
幼い頃に遊んだ姿や、お茶会で楽しそうに笑う姿の印象が強い。
それでも今日のシャルロットは、紛れもなくアイゼンベルク公爵家を支える未来の公爵夫人だった。
「私も、ルシアン様やシャルロット様のように、皆様の変化へすぐ気づけるよう精進いたしますわ」
そう言うエルナへ、ルシアンは静かに頷く。
「今日だって、客人が多い中よくやっていた」
ルシアンから見れば、エルナは十分すぎるほどよく立ち回っていた。
令嬢や夫人たちとの歓談も、ダンスも、どれ一つ疎かにはしていない。
それでも本人は、まだ足りないと思っているらしい。
「どうしてルシアン様は、すぐに気づけたのですか?」
エルナが素直に尋ねると、ルシアンは迷いなく答えた。
「いつ何が起きてもいいように、常に周囲を見ているからだ」
そう言って馬車の窓の外を指さす。
「あの子どもは走っている。転ぶかもしれない。あちらの荷馬車は積み荷が高い。荷崩れの可能性がある。向こうの馬は耳を伏せている。何かに驚けば暴れるかもしれない」
起こり得る可能性を一つずつ挙げながら、ルシアンは淡々と説明していく。
エルナが求めているのは、変化へ気づくための考え方だ。
「離れていても、私は常にエルナを気にかけている」
そんな言葉を口にする必要性など、ルシアンは微塵も感じていなかった。
「なるほど……勉強になりますわ」
感心したように何度も頷くエルナを見て、ルシアンも静かに頷き返した。
馬車は夜の王都を抜け、公爵邸への帰路をゆっくりと進んでいった。




