↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
5/70

王都編1-4 外出

 辺境伯邸を出たエルナは、朝から足取りが軽かった。


 今日はルシアンが王宮で会議のため、早くとも昼過ぎまでは戻らない。


 王都を歩くには、これ以上ない好機だった。


(私だって、一人で王都を歩けますわ)


 デビュタントを終え、社交界の一員となった。


 もう子どもではない。


 昨日のお茶会で聞いた菓子屋や本屋、仕立て屋やリボンの店。


 今日は自分の足で巡ってみようと、胸が弾んでいた。


「本当に、馬車はお使いにならないのですか?」


 隣を歩く侍女ソフィーが、どこか心配そうに尋ねる。


 エルナはにこりと笑って頷いた。


「馬車では景色が見えにくいですし、自分で歩いた方が道も覚えられますもの」


 少し考えてから、楽しそうに続ける。


「さすがに王都で馬を乗り回すわけにはまいりませんでしょう?」


 その言葉に、ソフィーは思わず苦笑を漏らした。


 辺境伯領なら、馬で城下町を駆ける令嬢も珍しくない。


 だが、ここは王都だ。


「それに、今日は騎士の皆もおります。」


 エルナは後ろを振り返る。


 少し距離を空けて付き従う二人の護衛騎士へ、嬉しそうに微笑んだ。


「我が家の騎士は王国一ですわ。」


「……ありがとうございます。」


 騎士たちは胸へ拳を当て、一礼する。


 主君から向けられるまっすぐな信頼に、自然と口元が緩んでいた。


「今日は一緒に王都を楽しみましょうね。」


「はっ。」


 元気よく返事が返ってくる。


「王宮前の広場は高級店ばかりだと伺いましたから、まずは一本奥の通りへ参りましょう。」


 昨日、お茶会で教えてもらった店もある。


 本屋。菓子屋。仕立て屋。リボン専門店。


 見て歩くだけでも楽しそうだ。


(お菓子屋さんがあれば、ルシアン様へのお土産も買いたいですわ。)


 いつも自分のために王都の流行を届けてくれる婚約者へ、今日は自分が贈ってみたい。


 そんな小さな楽しみを胸に、エルナは春の王都へと軽やかに歩き出した。



  ◇ ◇ ◇



 王宮前の広場へ到着したエルナは、思わず足を止めた。


 王国で一、二を争う名店が軒を連ねる広場。


 歴史を感じさせる重厚な石造りの建物に、磨き上げられた真鍮の看板。大きなガラス窓には、職人の技が光る宝飾や衣装が美しく飾られている。


 どの店も老舗らしい風格と品格を漂わせ、生半可な者では一歩踏み入れることすらためらわれるほどだった。


(……一人で入るには、少し勇気がいりますわね)


 ルシアンならば、何事もないように扉を開けて入っていくのだろう。


 そんな姿を思い浮かべ、エルナは小さく笑う。


 けれど、今日の目的はここではない。


 またいつか。


 そう胸の中で約束すると、エルナは広場から一本奥へ続く通りへ足を向けた。


 そこに広がっていた光景に、今度は思わず目を見開く。


 高級店が並ぶ広場ほど格式張ってはいない。


 それでも辺境伯領の城下町とはまるで違っていた。


 色鮮やかな外壁。季節の花で飾られた店先。


 木彫りの看板には、本や菓子、布やリボンが愛らしく描かれ、どんな店なのか一目で分かる。


 店の前を歩くだけで、焼き菓子の甘い香りや、焼きたてのパンの匂いが風に乗って届いてくる。


 まるで街そのものが「いらっしゃい」と歓迎してくれているようだった。


「ソフィー、見てください。」


 エルナは思わず立ち止まり、振り返る。


「辺境伯領の城下町とは、まるで違います!」


 茶色の瞳は、子どものようにきらきらと輝いていた。


「見ているだけでも、とても楽しいですわ。」


 その様子に、ソフィーは思わず頬を緩める。


「お嬢様。」


 少しだけ困ったように笑いながら声を掛けた。


「今日は、お店へ入ってお買い物をするのが目的でしたでしょう?」


「……そうでしたわ!」


 はっと我に返ったエルナは、照れくさそうに笑う。


 王都を探検したい気持ちは山ほどある。


 けれど今日は、昨日のお茶会で教えてもらった店を、自分の足で巡ると決めていた。


 きょろきょろと辺りを見回していると、一軒の本屋が目に留まる。


 窓辺には美しく装丁された本が並び、入口には「新刊入荷」の札が揺れていた。


「まずは、本屋さんへ参りましょう。」


 期待に胸を弾ませながら、エルナは軽やかな足取りで店へ向かった。


 本屋へ足を踏み入れたエルナは、所狭しと並ぶ新刊の数々に思わず目を見張った。


 子ども向けの絵本から、辺境伯領では滅多に見かけない仕掛け絵本まで揃っている。


 一冊を手に取り、そっと開く。


 すると大きな木が立体的に飛び出し、枝からは色鮮やかな蝶々がゆらゆらと揺れた。


 さらに頁をめくれば、今度は楽器を手にした森の動物たちが楽しげに姿を現す。


「ソフィー、見てください。可愛いです。蝶々さんが動きます!!」


 思わず夢中になって頁をめくっていたエルナは、はっと手を止めた。


(……これでは、まるで子どもみたいですわ)


 今日は社交界へデビューした淑女として王都へ来ている。


 少しだけ頬を染めながら、エルナは仕掛け絵本を棚へ戻した。


(私ももう淑女ですもの。静かに楽しみましょう)


 そう心に決め、新たな仕掛け絵本を手に取る。


 今度は落ち着いた様子で頁をめくる。


 ……けれど、瞳だけは先ほどと変わらず、きらきらと輝いていた。


 そんな主人の様子を見つめ、ソフィーは思わず小さく苦笑する。


 仕掛け絵本を十分に堪能すると、エルナは今度は山積みにされた新刊へ目を向けた。


 王都近郊や西部の野草をまとめた最新版。遥か東方での野外活動の経験録。南方の港町を巡る商船冒険譚。


 興味を引かれる本ばかりで、思わず手が伸びそうになる。


 けれど、ここで何冊も買えば、ソフィーや護衛騎士たちに持たせる荷物が増えてしまう。


「ソフィー」


「はい、お嬢様」


「欲しい本をメモしておきますので、時間のあるときに使用人へ買いに行ってもらってください」


「かしこまりました」


 まだ「王都広報」も「王都時報」も読み終えていない。


 急ぐ必要はない。あとでゆっくり読めばいい。


 そう思いながら、エルナは名残惜しそうに本棚を見つめ、本屋をあとにした。




 次に訪れたのは仕立て屋だった。


 店内では数組の親子や令嬢たちが、完成したドレスを手に取り、鏡の前で楽しげに合わせている。


「どれも一点ものでございます。あちらで採寸をいたしますので、少しお直しをすればすぐにお召しになれますよ」


 店員の声を聞きながら、エルナは目についた空色のドレスをそっと手に取った。


(普段のお出掛け用、といったところでしょうか……)


 胸元や裾には可愛らしいリボンと繊細なレースがあしらわれ、仕立ても丁寧だ。


 次に淡い黄色のドレスへ目を向ける。


 こちらは装飾を控えめにした、すっきりと上品な一着。


 さらに桃色、薄緑色、藤色――。


どれも可愛らしく、美しい。


 けれど、なぜだろう。


 レースの重なり方も、刺繍の細やかさも、生地の落ち方も、どこか物足りなく感じてしまう。


 決して悪い仕立てではない。


 むしろ辺境伯領なら十分に評判となる一着ばかりだ。


 それでも、胸が高鳴らなかった。


(私には少し合わないのでしょうか……)


 首を傾げながら、エルナはドレスを元の場所へ戻した。


 自然と脳裏に浮かぶのは、これまでルシアンから贈られた数々のドレス。


 繊細な刺繍。軽やかに揺れる上質な生地。光の加減で表情を変える宝石のような装飾。


 あの一着一着は、袖を通すたびに心が躍る特別なものだった。


(ルシアン様は、いつもどちらの仕立て屋さんへお願いされているのでしょう……)


 ふと、王宮広場で目にした格式高い仕立て屋が頭をよぎる。


 そこまで考えて、小さく首を振った。


(ドレスはルシアン様が贈ってくださった分でじゅうぶんですわ)


 急いで必要なわけではない。


 そう自分に言い聞かせると、エルナは店員へ丁寧に礼を述べ、仕立て屋をあとにした。




 次に訪れたのは、リボンとレースの専門店だった。


 こぢんまりとした店構えながら、一歩足を踏み入れた瞬間、思わず息を呑む。


 店内は、まるで宝箱のようだった。


 繊細な織りのリボンから、色鮮やかな刺繍が施されたものまで、大小さまざまなリボンが美しく巻かれ、壁一面に並べられている。


「こちらのお店も素敵ですわ」


 思わず声を漏らしたエルナへ、店主が微笑んだ。


「ドレス用から髪飾り用まで取り揃えております。お好みの長さにお切りいたしますよ」


「それはありがたいですわ」


 礼を返しながら、エルナはゆっくりと店内を見て回る。


 花柄を織り込んだもの。野草を刺繍したもの。薄いレースを幾重にも重ねたもの。


 どれも愛らしく、眺めているだけで自然と頬が緩んだ。


 髪飾り用のリボンが並ぶ棚へ足を止めた、その時だった。


 一つのリボンが、ふと目に留まる。


 深い青色の生地に、金糸と銀糸で散りばめられた小さな星々。


(……夏の夜空みたいですわ)


 そっと手に取る。


 光を受けるたび、星の刺繍が瞬くように輝き、なめらかな生地は指先へ心地よく馴染んだ。


 リボンなら辺境伯領で買ったお気に入りが何本もある。


 けれど、これほど心を惹かれたものは初めてだった。


 見入ったまま動きを止めたエルナへ、ソフィーが穏やかに声を掛ける。


「そのお色でしたら、公子様がお贈りくださった青や緑、黄色のドレスにもよくお似合いになりますよ」


「そうですか?」


「はい」


 エルナはリボンを見つめたまま、小さく微笑んだ。


「お星さまの刺繍が、とても気に入りましたの」


「それはようございました」


 気に入った理由は、本当にそれだけだったのだろうか。


 ソフィーは胸の内だけで小さく微笑み、口にはしなかった。


 店主を呼ぶと、リボンは髪へ結びやすい長さへ丁寧に切り分けられる。


 端はほつれないよう同じ青色の糸で細やかにかがられ、最後はリボンと同じ色をした小さな封筒へ納められた。


「ありがとうございます」


「きっと、お嬢様によくお似合いになりますよ」


 店主の言葉に笑顔で礼を返し、エルナは店をあとにする。


 封筒を大切そうに抱えながら、振り返ってソフィーへ微笑んだ。


「帰りましたら、ルシアン様がお見えになる前に結っていただけますか?」


「もちろんでございます、お嬢様」


 どんな結い方なら、この星空のリボンが一番美しく映えるだろう。


 そんなことを考えながら歩くエルナの隣で、ソフィーは静かに目を細めた。


(きっと、公子様も驚かれますね)


 青いリボンが風に揺れる姿を思い浮かべ、ソフィーは小さく微笑んだ。




 最後に訪れたのは、焼き菓子専門の菓子屋だった。


 店先には色とりどりの焼き菓子が描かれた看板が掛けられ、扉を開けると、甘く香ばしい香りがふわりと鼻をくすぐる。


「まあ……」


 思わず声が漏れた。


 店内には藤籠がいくつも並び、その中には花の形をした色鮮やかなジャムクッキー、一口サイズの可愛らしいマカロン、ドライフルーツを贅沢に飾った焼き菓子など、見ているだけで心が弾む品々が所狭しと並んでいた。


「どれも美味しそうで、迷ってしまいますわ」


 目を輝かせるエルナへ、店員がにこやかに微笑む。


「当店では、季節の果物を使った焼き菓子が一番人気でございます」


 ジャムクッキーも気になる。


 けれど、今日は自分のためではない。


 家族やルシアンへのお土産を選びたい。


(何が喜ばれるでしょう……)


 辺境伯領での食卓を思い浮かべる。


 父や兄たちは、香辛料を利かせた干し肉を酒の肴にすることが多い。


 それでも、仕事で疲れた日は甘い菓子を嬉しそうに口へ運んでいた。


 母は昔から甘いものが大好きだ。


 では――。


(ルシアン様は……)


 そこまで考えて、エルナははっと息を呑んだ。


(私……ルシアン様のお好みを存じ上げませんわ……!)


 共にお茶を飲むことは何度もあった。


 けれど、いつも同じ菓子を口にしていたような気がする。


 好きだから選んでいたのか。


 それとも、エルナに合わせていただけなのか。


 幼い頃からの思い出を一つひとつ辿ってみても、好物の話を聞いた覚えはなかった。


(……分かりませんわ)


 少しだけ肩を落とし、エルナは店員へ顔を向ける。


「殿方がお好みになる焼き菓子はございますか?」


「でしたら、こちらのナッツをたっぷり使ったクッキーや、オレンジピールを練り込んだ焼き菓子が人気でございます」


「ありがとうございます」


 エルナは二つの菓子を見比べる。


 ルシアンなら、どちらを選ぶのだろう。


 しばらく悩んだ末、甘さが控えめで香ばしそうなナッツのクッキーを手に取った。


 家族には、オレンジピールの焼き菓子を。


「こちらをお願いいたします」


 包みを受け取ると、大切そうに胸へ抱える。


(帰ったら、お聞きしてみましょう)


 好きなお茶は。好きなお菓子は。


 まだ知らないことが、こんなにもあったのだ。


「それでは、ルシアン様がお戻りになる前に帰りましょう」


「はい、お嬢様」


満足そうに微笑むエルナは、小さな包みを抱えながら菓子屋をあとにした。



  ◇ ◇ ◇



 午後になり、ルシアン来訪の報せが入った。


 エルナはクッキーの包みを大切に抱えると、足早に談話室へ向かう。


「お待ちしておりましたわ、お兄様!」


「元気そうだな」


「はい」


 ルシアンの隣へ腰を下ろすと、エルナは嬉しそうに口を開いた。


「今日は午前中に、お買い物へ行ってまいりました」


「……」


 その一言に、ルシアンの動きがぴたりと止まる。


 けれど、当のエルナは気づかない。


「本屋さんと、仕立て屋さんと、リボンとレースのお店、それからお菓子屋さんにも参りましたわ」


「……誰と?」


「ソフィーと騎士たちです」


 その答えに、ルシアンは小さく息をついた。


 護衛が付いていたことに安堵する。


 しかし同時に、新たな疑問が浮かんだ。


(なぜ、急に……。)


 今まで、エルナが王都で外出したいと言い出したことは一度もない。


 自分がデビュタント前の彼女を連れて街へ出れば、人目を集めるのは避けられない。


 辺境伯夫妻は公務で王都へ滞在しているため、街を遊び歩くという発想もない。


 そしてエルナ自身も、公爵夫人との淑女教育や、公爵邸の図書室、庭園での時間を楽しんでいた。


 王都での暮らしに必要なものは、自分が不足なく揃えてきた。


 不自由を感じさせたことはない――そう思っていた。


「何か足りないものでもあったのか。それとも、邸で過ごすには不十分だったか」


「いいえ?」


 エルナは不思議そうに首を傾げる。


「必要なものは、お兄様がいつもご用意くださいますし、公爵夫人も色々教えてくださいます。公爵邸のお庭も綺麗ですし、まだ読んでいない本もたくさんありますわ」


 穏やかに答えるその様子に、嘘はない。


 だからこそ、ルシアンにはなおさら分からなかった。


「では、どうして……」


「昨日のエリーゼ様のお茶会で、皆様ご自身でお店へいらしていると伺いましたでしょう?」


 エルナはにこりと笑う。


「私も見習おうと思いましたの」


「……そういうことか」


 ようやく合点がいった。


 デビュタントを終え、社交界へ足を踏み入れたことで、エルナは自らの意思で世界を広げようとしている。


 誰かに言われたからではない。自分で見て、考え、歩き始めたのだ。


 それは本来、喜ぶべき成長だった。


 けれど。


(ひと言、声を掛けてくれれば……。)


 そうすれば、自分も一緒に歩けた。


 案内したい店も、本屋も、菓子屋も、いくらでもあったというのに。


 胸の奥へ、ほんの少しだけ寂しさが滲む。


 それでも、その感情は表へ出さず、ルシアンは静かに微笑んだ。


「そうか」


 その一言に、エルナは嬉しそうに頷く。


「一人でお菓子だって買えたのです」


 誇らしげに抱えた包みを見せる姿は、まるで褒めてもらうのを待つ子どものようだった。


「――ですが、お兄様のお好みが分からなかったので、お店の方へおすすめを伺いましたの」


 少し困ったように、エルナが肩をすくめる。


「お兄様は、どのようなお菓子がお好きですか」


「私の好み?」


「はい」


 思いがけない問いだった。


 ルシアンはわずかに首をひねる。


 好み――。


 そう言われても、すぐには思い浮かばない。


 食事も菓子も、腹が満たされ、紅茶に合うものであれば十分だった。


 着るものも、使うものも、相応しいものであればそれでいい。


 少し考えた末、ルシアンは静かに答えた。


「特にはないな」


「え?」


「紅茶に合えば、何でも構わない」


「そうですか……」


 エルナは困ったように、膝の上の包みへ視線を落とした。


 せっかくお土産を選んだのに、喜んでもらえるのか分からない。


 その様子を見て、ルシアンはようやく我に返る。


「……いや」


 包みを見つめるエルナへ、穏やかに微笑んだ。


「エルナが選んでくれるものなら、何でも好きだ」


「そうですか……?」


 まだ少し半信半疑のまま見上げるエルナへ、ルシアンはゆっくりと頷く。


「ああ」


 それは嘘ではなかった。


 彼女が、自分のために初めて選んでくれた菓子だ。


 嬉しくないはずがない。


「見てもいいだろうか」


「もちろんですわ」


 包みを開くと、香ばしい焼き菓子の香りがふわりと広がる。


 ぎっしりとナッツが詰まった、素朴な焼き菓子だった。


「ありがとう。美味しそうだ」


 クッキーを見つめたまま、ルシアンは柔らかく微笑む。


「あとで、一緒にいただこう」


「はいっ」


 嬉しそうに頷くエルナを見て、ルシアンも自然と口元を緩めた。


 本当なら、この包みごと大切に取っておきたいくらいだ。


そんなことを考えながら視線を上げると、ふと、エルナの髪に結ばれた見慣れない青いリボンが目に留まった。


「そのリボンは?」

 

 彼女が身につけているものとしては、見覚えのないものだった。


 ルシアンが尋ねると、エルナはぱっと顔を輝かせる。


「リボンとレースのお店で見つけたのです」


 そう言うなり、もっとよく見てもらおうと思ったのだろう。


 エルナはルシアンのすぐ隣へ座り直すと、くるりと背を向けた。


「ご覧ください」


 ふわりと揺れた栗色の髪が、すぐ目の前へ流れる。


 その距離に、ルシアンは思わず息を呑んだ。


 肩が触れそうなほど近い。


 けれど当の本人は、そんなことなどまるで気にも留めていない。


 平静を装いながらリボンへ目を向ける。


 その瞬間、ルシアンの思考が止まった。


 深い青色の生地。そこへ金糸と銀糸で、小さな星々が丁寧に刺繍されている。


 まるで――。


「夏の夜空みたいで、素敵でしょう」


 嬉しそうな声が耳へ届く。


「……そうだな」


 それ以上は、何も言えなかった。


 そういうことに、しておこう。


「ソフィーが上手に結ってくれました」


「よくできている」


 青いリボンは栗色の髪へ自然と溶け込み、その星々は光を受けるたび控えめに瞬いていた。


 思わず口元が緩む。


(今日は、驚かされてばかりだ……)


 ようやく落ち着きを取り戻した頃、エルナが姿勢を戻した。


 自然と視線が重なる。


(……近い)


 思わず頭を撫でたくなる。


 幼い頃なら、ごく自然にそうしていただろう。


 けれど、もう彼女は社交界へデビューした淑女だ。


 軽々しく触れていい相手ではなかった。


 一方のエルナは、そんなルシアンの葛藤など露ほども知らず、楽しそうに話し始める。


「本屋さんと仕立て屋さんへも参りましたわ」


 仕掛け絵本に夢中になってしまったこと。気になる本がたくさんあったこと。


 仕立て屋のドレスも素敵だったけれど、やっぱりルシアンが贈ってくれたドレスの方が好きだったこと。


 王都での小さな冒険を、一つひとつ嬉しそうに語っていく。


 そのきらきらと輝く茶色の瞳を見つめながら、ルシアンは静かに耳を傾けていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。