王都編2-10 辺境伯家の別れ
例年以上の客人を迎えた辺境伯家の夜会は、盛況のうちに幕を閉じた。
北部蛮族との国境を守る辺境伯は、領地に初代辺境伯と次男がいるとはいえ、長く王都を空けるわけにはいかない。
冬の別れからようやく再会したばかりだというのに、あっという間に辺境伯家が帰領する日を迎えてしまった。
辺境伯邸の中庭には、すでに荷物を積み終えた馬車が待機している。
エントランスホールでは、ヒルダがエルナの前で大きく肩を落としていた。
「責務があるとはいえ、もうエルナとお別れだなんて、早すぎるわ」
昨年は辺境伯夫人がエルナとともに王都へ残った。
だが今年は、公爵家がエルナを預かることになっている。
「社交シーズンが終われば戻りますから、またすぐお会いできますわ」
「その『すぐ』が長いのよ! 三か月以上でしょう? シーズン中は、うちより公爵家にいる時間の方が長いじゃない」
「ルカが待ってるんだ。俺たちは帰るぞ」
矢継ぎ早に話していたヒルダも、アルヴィンの一言でようやく口を閉じた。
今ごろルカは、曽祖父と叔父にたっぷり可愛がられていることだろう。
早く帰って、誰が両親なのか思い出してもらわなければならない。
「エルナも、ルカくらい小さくならないかしら」
「それは難しいですわ……」
困ったように笑うエルナを見て、ヒルダも思わず吹き出した。
そこへ、荷物の最終確認を終えた辺境伯夫妻も合流する。
「帰ってきたら、またたくさん話を聞かせてくれますよ」
辺境伯夫人が優しく微笑む。
「ルカに会えば、お前も寂しさなんて忘れるさ」
辺境伯が笑うと、ヒルダは頬を膨らませた。
「忘れません!」
他愛もないやり取りに、皆の笑みがこぼれる。
そんな穏やかな時間の中、使用人が一礼した。
「ヴァレリオン公爵家の馬車が到着いたしました」
ほどなくして、ルシアンたちがエルナを迎えにやって来た。
二台の馬車から、真っ先に降りてきたのはルシアンだった。
続いて公爵夫妻も姿を現す。
公爵が一歩前へ出ると、辺境伯も歩み寄った。
「今年も娘をよろしく頼む」
「任せておけ。社交シーズンの間は、ヴァレリオン公爵家が責任をもって預かろう」
公爵は隣に立つルシアンを一瞥し、辺境伯と力強く握手を交わした。
ルシアンも静かに一礼する。
「お手紙、お待ちしておりますわね」
辺境伯夫人の言葉に、公爵夫人が穏やかに頷いた。
「ええ、もちろんです」
「少しは休まったかしら? またよろしくお願いしますね」
「はい、奥様。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
一礼したエルナが顔を上げると、公爵夫人は優しく微笑んだ。
「ルシアン殿。万が一にもエルナを泣かせたら、承知しませんからね」
「心得ている」
ヒルダの真っ直ぐな言葉にも、ルシアンは大真面目に頷く。
その様子に、アルヴィンが苦笑した。
「ルシアン殿は、そんなお人じゃないさ」
そう言ってヒルダの背中を軽く叩く。
「妹を泣かせて、俺たちや騎士団に囲まれたい奴なんているわけないだろう?」
「あなたが言うと、冗談に聞こえないのよ」
ヒルダの返事に、その場へ笑いが広がった。
その間にルシアンはエルナの前へ歩み寄り、静かに手を差し出す。
「迎えに来た」
「はい」
エルナは迷うことなく、その手を取った。
「それでは、行って参ります。また秋に戻って参りますわ」
「何かあったら、すぐ手紙を書くのよ」
「もちろんです」
にこやかに手を振るエルナを乗せ、公爵家の馬車はゆっくりと辺境伯邸を後にした。
馬車が見えなくなると、屋敷には少しだけ静かな時間が流れる。
「……エルナったら、すっかり公爵家の人間ね」
馬車を見送りながら、ヒルダがぽつりと呟いた。
幼い頃から義妹として見守ってきた。いつか公爵家へ嫁ぐことは分かっていた。
それでも、少し寂しい。
「どうしたらアルヴィンの嫁になれるんだって、毎日のように押しかけてきたお前が、何を言う」
辺境伯が笑う。
「それは子どもの頃のお話ですわ、お義父様」
ヒルダもつられて笑みをこぼした。
「戻ってきたら、たっぷり甘やかしてあげないとね」
「そうだな」
アルヴィンも頷く。
秋の再会を思い浮かべながら、辺境伯家の面々はゆっくりと屋敷の中へ戻っていった。




